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松浦悠士の“真っ向勝負!”

【松浦悠士の近況報告】いつか平原康多さんを追い越せるように…! いろいろと成し遂げて行きたい

2025/05/31 (土) 18:00 33

日本選手権競輪に出場した松浦悠士(写真提供:チャリ・ロト)

 netkeirinをご覧のみなさん、松浦悠士です。今月のコラムは日本選手権と宇都宮記念を振り返ります。また平原さんの引退について、思うところを綴ってみようと思います。

ピークに到達するタイミング

 先月から走りに手応えを感じていた通り、ダービーにはしっかりと調整をして入りました。僕のシリーズ初戦は2日目の特別選抜予選で、「スタートの並び次第で」と考えてレースに臨みました。前々に行く形で、並び的に「寺崎君を切れば良い流れになる」と考えて、寺崎君が切ったタイミングで僕も切りにいきました。1走目の並びは想定していた通りでしたね。

 しかし、レースではアクシデントがあり、落車を避ける必要がありました。それまでは非常に良い感触でしたが、落車回避の動きでフォームが崩れてしまいました。そんな中でもしっかりタイムが出せましたし、最後まで踏み切れたので、状態は良かったと思います。優秀競走の「ゴールデンレーサー賞」に進めたことも、気持ち的に大きなプラスでした。

ゴールデンレーサー賞へ進出(撮影:北山宏一)

 ゴールデンレーサー賞は単騎戦でした。レースでは「郡司君の仕掛けに乗って仕掛けたい」と考えていましたが、郡司君の仕掛けはなく、結果として中途半端な走りになってしまいました。もっと早めに展開が動き、残り1周くらいは踏み合うと読んでいたので、前が仕掛けたスピードをもらってさらにその上を行くといったイメージを持っていたのですが…。調子を確認したり、踏み方を試したりを視野に入れていたのですが、中途半端に終わってしまいそれらもできませんでした。踏み込んだ手応えを好感触は得られませんでしたね。

 レースのなかった3日目に少し乗る量が少なかったのか…。日に日に感覚が悪くなっていきました。調整ミスをしたかな、とも振り返っています。いつもなら1走してからが楽になりますし、もっと状態も上がってくるのですが、ダービーでは日が進むにつれて悪くなる感じでした。ピークをシリーズ前に持ってきてしまったのか、一番良い状態を作るタイミングを失敗した感覚がありました。

レース後は険しい表情をのぞかせていた(撮影:北山宏一)

ショックの中で得た教訓

 準決勝は海也との連係でした。いろいろと作戦はあったのですが、最終的に海也が行ってみたいという作戦で挑みました。僕も行けると思いましたし、行ってみようって感じだったんですが…。正直、途中の加速に付いていけなかったのはショックでした。追走にも技術があるんですけど、「追走技術に頼っていてはダメ」ということを痛感しました。

「タイミングが合えば」とか「前が踏む前に先に踏んで」とか、そういう風にやっているようでは本当に脚のある選手には付いていけないと感じています。踏み出しのキレや加速するまでの時間、トップスピードまでの時間などが足りていません。前がスッとスピードが上がった時に同じように加速しなくては厳しいですね。タイミングや技術ではどうにもならない領域だと思いました。自分の中ではショックではありましたが、そこが今回の課題であり、教訓でしたね。

太田海也と松浦悠士がタッグを組み、準決勝に挑んだ(撮影:北山宏一)

 最終日も海也と一緒で、「関東が行ってから行こうか」という話はしていましたけど、来る前に行っちゃいましたね。その辺は中野君を意識してのレースというのもあったと思います。ちょっと北日本にうまくやられてしまった感じはありますね。また最終日のレースは風も強くて難しかったですね。海也も準決勝やそれまでのレースと走りが少し違うように思いました。まだホームの時点では脚が残っているように感じていたので、迎え入れて後ろをけん制しながらでした。「前が踏んだら行かないと」とは考えていましたが、中野君に行かれてしまって…。

 その後、僕自身はコースに迷ってしまいましたし、状態も戻っておらず苦しくなりました。長丁場なのでピークを早めに持ってきてしまった分、復調できなかったのは仕方がなかったように思います。普段は「ダービーに向けて」とかピークを持って行くようなことはしていませんでしたが、今回は「そこに向けて」の意識がありましたし、事前に仕上がり過ぎてしまった感は否めません。入る直前や1走目の状態が良かった分、シリーズ中に調子が下がっていく感覚は厳しいものがありました。

ピークから下降していく状態でシリーズを戦うことになってしまった(撮影:北山宏一)

浅井さんと話したことを実践できた二次予選

 それでは宇都宮記念を振り返っていきます。初日特選は裕友が主導権を取ってくれたんですが、自分のイメージしている動きと周りが感じる動きとで違いが生じてしまいました。自分の走り方、持って行き方に反省点がありましたし、事前にきちんと後ろの岩津さんとも話をしておかなければいけない動きもしてしまいました。前に対する意識だったり、後ろに対する意識だったり、事前に伝えておくことだったり。ライン戦に対して改めて課題感を見つけたレースになりました。

 二次予選は後藤君が楽に駆けられるメンバーで、そこでしっかり倒せるのか、叩き切れるのかというのがテーマでした。脚力をそこで消耗するだろうっていうのは想定していました。そういうところはしっかりとできたように思いましたし、良い手応えもありました。

 前検日に体の使い方の部分で浅井さんと話をして、初日はちょっとうまくいかなかったんですが、2日目はしっかり体を使えて、準決勝を走るのが楽しみになりましたね。具体的に言うと「握り方」です。自分の理想とする乗り方があるんですが、握り方が定まらなくて、ずっとできていませんでした。浅井さんにはその部分を教えてもらいました。

 深く話をする選手は同地区の選手くらいしかいませんが、浅井さんとはちょくちょく話をさせてもらいます。しっかりと体が使えた2日目でしたが、打鐘過ぎの接触でペダルが壊れてしまって、最後の踏み直しだけ「あれ?」といった違和感を感じました。でもそんな中でよく行き切れたかなっていうのはありましたね。

真鍋君との次回の連係がとても楽しみになった

準決勝は愛媛の新鋭・真鍋智寛に前を任せた(撮影:北山宏一)

 準決勝は真鍋君と初連係でした。玉野で一緒のレースになったことはありますが、その時は敵として対戦しました。それにしても真鍋君はめちゃめちゃ強かったです。僕が抱いていたイメージと違ってスピードも綺麗に踏み上がっていて、「ああ、これ行ったな」って感じさせる強さがありました。眞杉君のブロックも来ると思ったけど、「全然交わして行き切れるな」と感じたくらいです。

 眞杉君のブロックですが、あれは避けられなかったですね。前がブロックをもらい過ぎて完全に失速している状況なので、前に付いていかずに内に切り替えることを事前に考えていない限りは避けられないと思います。ブロックが綺麗に入ったことでスピードが急激に落ちたわけですから、僕はそこに差し込んでしまう形になって、こけてしまった。「止まるだろう」と予測して追走していたら、行き切った時に離れてしまう走りになるし、その時は僕がブロックをもらうことにもなります。

 しかしあのスピード差をしっかり止めたっていう眞杉君には凄さも感じますし、とても対応はできなかったですね。

ブロックを受け急減速する真鍋智寛、ピタリと追走している状況で回避はできない(撮影:北谷宏一)

 こけた時は左側が痛かったんですけど、次の日起きた時は右側が痛みました。息をしたり、くしゃみをしたりすると激痛でした。「ひびくらいはあるな」と思っていましたが、いざ診てもらうと右の肋骨が2本折れていました。肋骨骨折は2回目です。骨折だけではなく、今回はむち打ちもかなり痛かったので入院しました。

 落車や怪我はレースなので仕方ないですし、あの形でこけていなかったら、それこそ状態が悪いということです。クチがあいていたら避けられたという意味で。骨折こそしてしまいましたが、次に真鍋君と連係する時が楽しみです。自分がスタートを負けた中で、良い仕掛けをしてくれました。眞杉君が想像以上に一気に来たと思うんですけど、あれを交わしていれば、ゴール前で良い勝負ができたと思います。

 ちなみに眞杉君はレース後に医務室へ2回謝りに来てくれました。だいたいは1回なんですけどね。LINEまでくれましたし、眞杉君が一番心配してくれました。レース中のことだから仕方ないし、彼も地元に懸ける思いがある。しっかり止めているので、僕がこけてなければすごい好ブロックだったと思います。

普段から親交があり、開催中も言葉を交わしている眞杉・松浦両選手

 今は別府記念を走れたら走りたいと考えていますが、状態的には厳しそうな感じがあります。しっかり様子を見ながら決めていこうと思います。自転車は大丈夫は大丈夫だったのですが、ハンドル周りがダメになったので、もう一回セッティングをやり直さないといけません。今は自転車に乗り始めた時にしっかりフォームが作れるかどうかが気になっています。肋骨なので痛まなかったらいいんですけどね…。高松宮記念杯に向けて、少しでも状態を上げていきたい一心ですね。

平原康多さんを追い越せるように

 先日、平原康多さんが現役引退を発表されました。ダービーの時は辞めるなんて微塵も感じませんでした。元気がないなとは思いましたが、まさか引退を考えていたとは…。

 開催が一緒になれば必ず話はするし、僕には“多くは語らない方”でした。検車場や控え室での優しい笑顔、岐阜記念で前節の富山記念に続き先着で優勝したゴール後に「またお前かよ!」って笑いながら言われた事、そしてグランプリの優勝を喜んでもらえた事が印象に残っています。

 普段は優しいのに、レースになるとスイッチが入る感じで、ON/OFFもしっかりある方だと思います。デビューした頃から憧れていましたし、「平原さんみたいな選手になりたい」と思っていました。でも憧れていては勝てないと気づき、追い越せるように努力しました。まだ僕が比べるのはおこがましいですが、平原さんを追い越せるようにこれからもいろいろなことを成し遂げたいです。

2022年岐阜記念決勝ゴール後に松浦悠士に声をかける平原康多「またお前かよ!」と笑いながら(photo by Shimajoe)

読者の方から寄せられた質問に答えます

 それでは今月も質問に答えていきたいと思います!

ーー松浦選手は以前「7車は苦手」と語られていましたが、見事な立ち回りで優勝したように見えました。それでも9車の方が力を発揮しやすかったり、走りやすかったりするのですか?

 これは“もちろん”です。玉野とかは隙があったから優勝できた部分もあったと思います。7車のレースは自力でやる際の不安というか、レース展開による戦力ダウンっていうのは否めないかなと思います。9車に比べて戦略的な部分がどうしても“脚”になります。戦略うんぬんよりも脚勝負。脚力的に超一線級がいた場合を考えるとかなり苦しくなってしまいますね。

ーー競輪は売上も伸ばしているし、新規のファンも増えていると思います。選手から見て、10年前と今とで感じる盛り上がりはだいぶ違うものですか?

 全然違いますね。お客さんの層も違うし、人数も違うし、「知名度も上がってきたんだなあ」と感じます。特に新しいお客さんが多いなっていう印象がありますね。コロナ禍で無観客開催もかなりありましたし、お客さんが少ない時期も走ってきましたから、やっぱり多くのお客さんの前で走るのは気持ちが入りますし、すごくありがたいです。

観客の声援を受けて気持ちが入る(撮影:北山宏一)

ーーKEIRINアドバンスが始まりましたが、松浦選手も走ることはありますか? 走るとしたらどんな走りになるのでしょうか?とても興味があります。

 点数の兼ね合いがあるので、あっせんが来ても走るかどうかはわからないです。正直にいえば個人的には走りたくないです(苦笑)。もちろんアドバンスは見てましたが、ルールや違反などが普段の競輪と違うっていうのが厳しいと感じています…。走る側として混乱する部分もあるし、いつもの動きも染みついていますからね。普通開催の間にぽんっと入ったりすると厳しいかなと想像しています。

 ただ、新しいお客さんが入ってきてくれている中で、「何が面白いのか?」とか「何がお客さんのニーズに応えられるのか?」っていうのを探すのはとても大事だと思います。アドバンスに限らず、新たな試みっていうのはどんどんやって欲しいです。

 今は新人でやったりしていますけど、マスターズみたいな形で45歳以上とか50歳以上の選手を集めてレースをやっても面白いだろうし、地区戦とかやっても面白そうです。決まり手が「追」だけの選手だけの企画レースも良さそうです。新しい試みには大賛成なのですが、僕自身が走るうえでアドバンスを捉えると、点数やルール、違反もそうですし、感覚が狂いそうな点で参戦にはやや消極的です。

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松浦悠士

Matuura Yuji

広島県広島市出身。日本競輪学校第98期卒。2010年7月熊本競輪場でレースデビュー。2019年の競輪祭でGI初優勝を飾り、翌2020年のオールスター競輪では脇本雄太との死闘を制し優勝、自身2つ目のGIタイトルを獲得した。その翌年2021年には日本選手権競輪を“有言実行”で優勝。3つ目のGIタイトルを獲得し、グランドスラムへの意識を高めた。2023年はGI優勝こそなかったが、賞金順位でKEIRINグランプリの出場権利を獲得。広島カラーを象徴する3番車で挑んだ大一番は最終直線で渾身の差し切り勝ちを決め、見事グランプリ王者となった。チャンピオンとして臨んだ2024年は度重なる怪我に苛まれてS班の座を明け渡すことになったが、グランドスラムを目指す気持ちには一点の曇りなし。中国地区の大エースとしてさらなる飛躍を目論む。

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