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松井律の競輪・耳をすませば

“機動力”で勝負した初現場ーー充満する凄まじい緊張感、命をかける男たちの姿/松井律『競輪・耳をすませば』vol.3

2025/07/18 (金) 12:00 15

日刊スポーツ・松井律記者による競輪コラム『競輪・耳をすませば』。10代の頃から競輪の魅力に惹かれ、今も現場の最前線で活躍中のベテラン記者が、自由気ままに綴る連載コラムです。
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現場デビューは今は無き『花月園競輪』

 2〜3週ほど内勤をした後、ようやく現場デビューの日を迎えた。最初に担当したのは、花月園競輪だった。花月園はファン時代にも数えるぐらいしか行ったことがなく、神奈川西部に住む二十歳の私にしたら、仕事で横浜に行くのは、それだけでテンションが上がった。

 ラッシュ時を少し抜けた横浜駅を経由して、花月園前駅(現在は花月総持寺駅)で降りた。勾配のきつい坂を上ると競輪場のエスカレーターが現れる。IDカードを警備員に見せ、関係者の入り口を通れることに少し優越感があった。

 記者席は半地下の“パラサイト”な位置にあり、窓がほぼバンクと平行になる。目の前を通る車輪の「シャー!」という音がいくつも重なると、臨場感がハンパじゃなかった。これは花月園特有の目線だ。

 新人の私は、早めに現場に到着してスタンバイしていた。花月園は、記者の数が多く、スポーツ紙と専門紙を合わすと、10社以上が取材に来ていた。スナックで年上の人との会話に慣れていた私は、あまり緊張することもなく、人生で初めて作った名刺を来る先輩、来る先輩に配って回った。

好位を陣取る先輩たちには『機動力』で対抗

ついに生の選手と接触…(photo by Shimajoe)

 いよいよ生の競輪選手と接触できる時が来た。前検日の検車場に降りると、パラパラと選手が到着し始めていた。取材デビューはF2戦だったため、選手の顔は特選クラスしか分からない。ペライチの選手名簿をインタビューボードに挟み、ヘルメットカバーの参加番号を頼りに選手を必死に見分けた。

 これまで専門紙の選手コメントは、メインの3レースぐらいしか掲載されていなかったが、今後は全レース、全選手のコメントを取る方針になっていて、とにかく片っ端から聞いて回らないといけなかった。

 全選手が必ず通る検車受付にいれば、効率良くコメントは取れる。でも、そこには大御所風のスポーツ紙記者たちが陣取っている。プライドの高い先輩たちを差し置いて、そこで口を挟むのは無謀な挑戦だ。自分でコメントを取りたければ、チョロチョロと検車場を動き回るしかない。自分は機動力で勝負しようと思った。

 まだ何のテクニックもない私は、「調子はどうですか?」と「明日はどうされますか?」の2つしか取材のボキャブラリーがない。参加番号の分からない選手には、「お名前を教えて下さい」と失礼を承知で突撃した。不安よりも好奇心が勝っていたので、手当たり次第にガンガン話しかけた記憶がある。選手たちは若い記者が物珍しいのか、つたないインタビューにも穏やかに答えてくれた。これはレースのない前検日で選手の気が立っていないことも大きかった。

好奇心が勝り、手当たり次第にガンガン話しかけた(photo by Shimajoe)

 競輪選手は年齢層が幅広く、こんなおじさんが特選シードなの?と感じることもあった。逆に、いきってる若い選手や、めちゃくちゃ鍛え上げられた肉体をしている選手がB級だったり、その風貌だけでランクを推測するのが難しかった。それでも、しばらく観察していると、練習でも食事でも同県の選手同士で行動をともにしているのが分かった。各県の目立つ選手を1人覚えれば、あとはその周りにいる選手の年齢を確認すると、だいたい誰か分かるようになった。

 私と同時期に入った年上の記者は、選手名簿の空欄に「ヒゲ」とか「メガネ」などと特徴をメモっていた。時には「熊」とか「でぶ」みたいなひどい書き込みもあり、一度、落としたメモを選手に見られて、つるし上げられた。その光景に私は腹がちぎれるほど笑った。

息が詰まった控え室の光景

 翌日の開催初日になると、雰囲気が一変した。選手の表情が前日とはまるで違う。頭にタオルを巻いてウォーミングアップしている選手からは、戦いに向かう緊張感がひしひしと伝わってきた。

 変わったのは、選手だけではない。競技会のスタッフたちは、私が発走前の選手に話しかけないか、まるで万引きGメンのように厳しく見張っていた。さらに、スポーツ紙と専門紙は取材できるゾーンが区別されていて、ここにも専門紙の信用のなさが表れていた。

 スポーツ紙は全国からお客さんを呼んでくれる有能な宣伝マン。専門紙は競輪場の中で商売しているやつら。こんな考え方をする人が多かった時代だ。でも、当時は場内のお客さんの大半が専門紙を握りしめていた。「スポーツ紙と出走表にはたいしたデータが載っていない。俺たちの新聞がなきゃ勝負なんて出来ないだろ」。専門紙の記者にはこんな小さなプライドがあった。

計り知れない緊張感が充満…(photo by Shimajoe)

 発走控え室で待機する選手の緊張感はすごかった。昨日は冗舌に話してくれた選手たちが、互いに目を合わせず一言も発さない。脛にオイルを塗ったり、水を飲んだり、シューズの紐を結び直したり、各々の過ごし方があった。自転車に塩を振ったり、お祈りをしている選手もいた。見ているだけで息が詰まった。

 車券の発売が終わると、選手たちが控え室から出てきて整列する。係員が注意事項を言い終わると、「おりゃ〜!」とか「しゃ〜!」と気合を入れて、敢闘門から出て行った。その後ろ姿がたまらなくかっこ良く見えた。

落車後の選手を目の当たりにして…

 後半のレースで落車があった。今でもはっきり覚えている。落車したのは、田中まいちゃん(104期)のお父さんである田中進さん(36期=04年引退)だった。担架で医務室に運ばれてきた田中さんは、敢闘門を過ぎるとすぐに上半身を起こし、自分の体のあちこちを触って骨折がないか確認しているようだった。太ももに出来たピンク色の擦過傷が生々しい。痛みを想像しただけでも顔をゆがめてしまう。さらに驚いたのは、医務室に入るとすぐに、擦過傷の部分を乾いたタオルでゴシゴシと擦られるではないか。患部が化膿しないための処置なのだが、この時ばかりは選手も苦悶の表情だった。

 金網の外側で言いたい放題だった自分が恥ずかしくなった。命がけで走る競輪選手が、とてつもなく強い男に感じた。ファン時代から憧れの存在ではあったが、記者になって33年が経った今でもその気持ちは変わらない。

男たちは今日も命がけで戦っている(写真提供:チャリ・ロト)


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松井律の競輪・耳をすませば

松井律

Ritsu Matsui

松井 律(マツイ リツ) 記者歴30年超、日刊スポーツのベテラン競輪記者。ギャンプル歴は麻雀、パチンコ、競馬と一通りを網羅。競輪には10代の頃に興味を持ち始め、知れば知るほどその魅力に惹かれていった…。そのまま競輪の“沼”に引き摺り込まれ、今日も現場の最前線で活躍している。

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