2025/05/28 (水) 12:00 48
競輪でよく口にされることで「1着で褒められず、負けているのに称賛される」というケースがある。奥の深いものであるが、その構造は分かりやすい。別に初心者だからとっつきにくいものでもない。人間の性質の部分であって、普遍的なものともいえる。
ただ勝てばいいのではなく、勝つための過程にこだわる。それは個人としてもであり、ラインとしてもである。5月25日、防府競輪の初日にS級予選6Rを走った望月永悟(48歳・静岡=77期)が唇を噛んでいた。3着に入ったレースだ。「汚いレースと言われるかもしれない。でも今は外から追い上げる脚はない…」。競輪の戦い方にこだわってきた人。
内をしゃくって番手の位置を取りに行くのは、基本的に邪道とされている。相手のラインを攻める時は外から行くのが仁義。望月はずっとその戦いをやってきて、このレースは前のラインが上に上がったこともあって内からになった感じだが、自分を戒めるかのようだった。単騎だったこのレース。「4番手の位置を回ってそのままでは競輪がつまらない。何もしないで終わるのは」と必死の戦いだった。
例えばこのレース、望月としては外から追い上げて番手を取り、2着以内に入っていれば、レース後は笑顔を見せていたはず。結果だけ、ではない。競輪の奥深さ、面白さがある。
5月23日に引退した平原康多(42歳・埼玉=87期)氏の言葉で、「村上(義弘)さんの競輪が、競輪だと思っている」というものが胸に残っている。村上氏が引退した時に、そう話していた。平原はGI・9勝という実績だけでなく、競輪界にドラマを与え続けてくれた偉大な功績は、永遠に残るもの。心を打ってきた。
平原氏、村上氏の自力の時の戦いで分かりやすいパターンがある。
ん…ちょっと待ってくれ。なんか、「氏」って書くの違和感があるな…。何日か経っても、実感もまだまったくない現在だ。ここからは平原、村上と書かせてもらうことをお許しいただきたい。
3分戦で、あるパターンをよく見てきた。打鐘前あたりで中団を取った場合。打鐘からホームにかけて、7番手になった選手より先に仕掛けることが多かった。この形では、車間を取って7番手の自力選手をけん制しつつの2角まくりが勝ちやすいものである。
ラインを生かす。ラインみんなにチャンスがある。ラインの先頭を走る意味、をその位置で体現してきた。村上は怖いほどの責任感でその走りを続け、平原は「ラインで決めるためにはあそこでしょう。決まってよかった」と笑顔を見せていた。
平原が引退した。
平原のレースを、戦いを見てきたファンや、周りにいた選手たち、また関係してきた人たちはみな感謝の思いだと思う。私もその感情がすべてだ。競輪ファンとして見ている感じの時は、「こんな走りができるのか」と何度も圧倒されてきた。村上のように、平原が競輪の形を作っていった。
その走りを見ることができたことに、感謝しかない。競輪を追求する姿勢は、崇高だった。今、体がその道を終わりに導いたのは、極限まで平原が向き合ったという証左としか思えない。そして平原は、曖昧に競輪と向き合うことはできない心の持ち主だった。
活字としてこうしたコラムで平原の引退について書くわけで、どうにも固くなるが、正直なところは「悲しい、寂しい、ウソだろ…」が本音だ。近年のケガへの苦しみようから「ウソだろ」が成立しないことは、一瞬で判じたもの。その決断の重みが、何度も襲ってくる。
悲しい、寂しい…は残る。ええっ、引退なの…。村上さんが引退した時に悲しんでいたら「死ぬわけじゃないから!」と笑って肩を叩かれたものだが、空が静かに色を変えていくこの景色は、見慣れることはない。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。