アプリ限定 2025/04/19 (土) 18:00 17
25日にガールズケイリンGI「第3回オールガールズクラシック」が開幕する。大一番を前に、ガールズグランプリ2024を制した石井寛子選手にインタビューを行った。前編では、一筋縄ではいかなかった2度目のグランプリ優勝までの道のりと振り返り、GIへの意気込みを聞いた。
ガールズケイリン2期生として、デビュー13年目を迎えようとしている石井寛子。昨年末のガールズグランプリ2024は圧倒的な人気を集めた佐藤水菜を振り切って優勝した。
ガールズケイリンを初期から支え、10年連続でグランプリに出場。2023年に連続出場が途切れたが、昨年は選考7位で滑り込んだ。7年ぶり2回目となるグランプリ優勝の瞬間溢れた思いはーー。
「ゴールを駆け抜けた瞬間、優勝したことがわかりました。その瞬間は『勝った、うれしい』という気持ちよりも、『優勝できたよ! みんな見てくれているかな』という思いが大きかったです」
ガールズグランプリ出場回数は誰よりも多い11回。それでも2度目の優勝にはなかなか届かなかった。手が届いた瞬間、自分自身の感情よりも周囲への思いがあふれたというのが石井寛子らしい。7年前の優勝は、ゴールを過ぎても優勝を確信することはなかったという。
「7年前はわからなかったんですが、今回は勝ったとわかったので『みんなに恩返しできた』というのを真っ先に思いましたね。ファンのみなさん、それに支えてくれている人たち… 私に関わってくれるみんなの顔を思い出して、いい報告ができることがうれしかった」
2022年のインタビューでも、石井は「周りに支えられている」とファンやトレーナーなど関わる人々への感謝を明かしていた。“強い石井寛子”を支え続ける人たちに報いることができ、喜びがあふれた。
そんな石井寛子の“グランプリロード”は、一筋縄ではいかなかった。2023年は年間通じてグランプリ出場権争いを繰り広げたが、最後のGI・競輪祭女子王座戦で逆転され、賞金順位は8位。11年連続のガールズグランプリ出場にはわずかに届かず、補欠選手となった。
「グランプリに出場できないことは残念でしたが、補欠選手として気持ちは保ったまま、会場入りして帰るという初めての経験をしました。今後も長く選手人生を続けるうえで、記憶に残る1年でした」
結果的にグランプリ復帰を果たした2024年も、簡単な道のりではなかった。
「1月、岐阜で600勝を挙げることができ、スタートはすごくよかったんですが…。崩れたのは、ちょっと暑くなった時に行った5月の大宮開催でした。タイトなスケジュールと、暑さで思ったようなコンディションで臨めなかった」
石井にとって珍しい”強行日程”もありリズムを大きく崩し、それを引きずって直後のGI・パールカップは初日6着で予選敗退となった。7月のガールズケイリンフェスティバルでは連日大敗を喫し、普通開催でも確定板を外すなど“らしからぬ”結果が続いた。
「夏は完全に賞金でのグランプリ争いから外れていたので、しばらく賞金状況は見ていませんでした」
しかし気持ちを落とすことはなく、目の前の状況に一喜一憂せず“自分が今やるべきこと”と向き合った。
転機となったのは8月の女子オールスター競輪だった。初日のガールズドリームレースで7着に敗れた石井は、2日目に1着を取ると涙を見せた。
「1日目はまったく(体が)よくなくて、その夜に『自分のやりたい走りは何だろう』と考えて動いた結果、2日目は1着が取れた。体の不調の中でやりたいことができたことと、ファンの方の声援の力で勝てたと思う。また3日目はダメだったんですけど…。ジェットコースターみたいな3日間でした。体のコンディションの上でキーポイントになったのが、このオールスターだと思います」
そしてオールスター以降はリズムを取り戻し、“強い石井寛子”に戻った。1着を積み重ね、グランプリまで確定板を外すことは一度もなかった。
そしてもうひとつ転機があった。10月、別府の4日制開催での完全優勝だ。
「ここで4連勝できたのが大きかったですね。久しぶりに賞金ランキングを見たら9位まで上がっていて、その後は続けて優勝できました」
7枠あるガールズグランプリ出場権のうち、2024年のGI3大会の優勝者を除くと賞金での出場権は残り4枠だ。ラストチャンスとなるGI競輪祭女子王座戦で出場圏外の選手が優勝する可能性を考えると、賞金7位では逆転されてしまうリスクがある。
獲得賞金でグランプリ出場を決めるうえで重要だったのが、賞金6位以上で競輪祭を迎えること。石井は競輪祭までに走った4開催すべてを優勝し、賞金6位まで順位を上げた。迎えた競輪祭では準決勝敗退となったが、最終日を1着で締め賞金7位でグランプリ返り咲きを決めた。
「競輪祭が終わって、ギリギリ7番手でグランプリに出られることがわかり『グランプリの舞台に戻れてよかった』と思ったんです。でもトレーナーさんに『出場するだけじゃだめだよ』って言われてハッとしました。そこからどうやったら勝てるのかを考えました」
安堵もあっただろう。だが、そこで気を抜かないのが石井寛子だ。自身を知り尽くした信頼するトレーナーからの言葉でスイッチが入り、それまでの『グランプリ復帰』という目標から『グランプリ優勝』に切り替え、調整に励んだ。
そして迎えたグランプリ当日は、不思議なほど落ち着いた心境だったという。
「良いのか悪いのか、自分でわかりませんでした。体調が悪いわけではないのに、自分の中で盛り上がるような感覚も、すごく燃えている感じもなく、“凪”という感じでした。それは普通開催で大きい着順を取ってしまう日の感覚とも似ていて、なんだか怖かった」
2022年までデビューから毎年グランプリに出場していた石井にとって『2年ぶりのグランプリ』という状況は初めてだ。
「静岡競輪場に着いたとき、『グランプリの雰囲気、久しぶりだな』と思いました。7番車で車券の人気もなかったので、緊張していたらもったいないなと思って『2年分楽しもう』と」
腹を括って発走台に着くと、静岡に集まった多くのガールズケイリンファンの歓声が、轟くように響いた。
「7番車でお客さんが近くて、ファンの皆さんの声援が自分のパワーになっていく感覚がありました。『うわぁ、やっぱりグランプリいいな』って…。7番車だったから、お客さんから一番近くで応援してもらえて、緊張せず冷静でいられたのかもしれません。7年前の優勝も7番車だったことを思い出したのもよかったのかな」
初めてガールズグランプリを獲った2017年も、7番車だった。一般的に“内枠有利”といわれるガールズケイリンだが、石井にとっては縁起のいい車番だ。
「走ってみたら不思議な… 初めての感覚でした。結果1着だったから、ものすごく良かったんだと思います。レース中のあの感覚は、最初で最後かもしれません」
レースは最終バックで逃げた坂口楓華の2番手という絶好展開。背後につけた佐藤水菜の追い上げを振り切って優勝を果たした。百戦錬磨、誰もが認める“レース巧者”である石井でも、言葉では言い表せない不思議な感覚が、二度目のガールズグランプリ制覇を後押しした。
敢闘門に戻ると、ともに激戦を演じた選手たちから祝福された。
「最初に(児玉)碧衣ちゃんが『おめでとうございます』と握手してくれた。そのあと他の選手たちもお祝いの言葉をかけてくれて、(坂口)楓華ちゃんがハグをしてくれた。すごくうれしくて、印象に残っています」
優勝後のインタビューで印象的だった言葉がある。『7年前より何倍も何倍もうれしい』という言葉だ。その真意を聞いた。
「12年間選手をやってきて、年々応援してくれている人が増えていることを実感しています。私のわがままを聞いて、練習やケアに関わってくれている人も増えています。確実に言えることは、初めてガールズグランプリを優勝した7年前より今のほうが私に携わってくれる人が多いということ。それだけ私に届くパワーが大きくなっているんです」
静岡競輪場から出ると、ファンが石井を祝福するために待っていた。
「時間が遅くなってしまったのに、出待ちして私を迎えてくれたファンの方がいました。本当にありがたかったです。私がレースで頑張るのは大切なファンのため。どこか頭の片隅で『石井寛子、頑張っているな』って思ってくれる人はみんな大事な存在です。そういう人が増えるよう、頑張っています」
帰路につく前にスマートフォンを確認すると、同じくガールズケイリン選手である実妹・貴子からメッセージが残っていたという。
「おめでとう、という言葉と『運転に集中して帰ってきてね』っていうメッセージでした。グランプリ後は大量にメッセージが届いていて、いつも応援してくれる方々にすぐに返信したかったので、所々でパーキングエリアに寄って返信していたら全然家に帰れませんでした(笑)」
結局、グランプリを終えて自宅に着いたのは真夜中の3時だった。
「当日は貴子に会えなかったんですけど、もともと30日(グランプリ翌日)はグランプリの結果がどうであっても二人でデートしようと約束していたんです。午前中に中継のお仕事に行ってから、二人で映画を観に行って、貴子が好きなB'zのイルミネーションに行って… 1日一緒に過ごしました」
ガールズケイリンの現役選手や元選手からもたくさんのメッセージを受け取った。
「毎回開催に行くたびに、いろんなガールズケイリン選手から『感動しました』『鳥肌が立ちました』『泣きました』と言ってもらいました。本当にうれしかったですね。私のレースを見て、感動して泣いてくれた人がいると知って…。私はこの言葉が聞きたかったんだなって」
ガールズグランプリ当日にあった別開催では、選手たちがこぞってテレビで生中継を見ていたという。普段、敵として戦うガールズケイリン選手たちからの言葉は大きな励みとなった。
「『寛子さんの優勝でやる気が出ました』って言われることが多かったんです。自分が勝つことでみんなの“やる気スイッチ”を入れる役目ができたなら、こんなにうれしいことはないですね」
2度目のグランプリ戴冠後、最初のGIが間近に迫っている。意外にも2024年、石井は3度のGIで一度も決勝に勝ち上がれていない。
「GIは、第1回オールガールズクラシック(松戸)しか決勝に乗れていないんです。まだ私の中でGIレースを掴めていない部分があって、体が動かないことがあるので初日に向けての調整を失敗している可能性が高いです。もしかしたら周りの選手の気合と私の気合に差があって、そこで負けていたのかもしれない。今年は同じ失敗をしないよう調整していきたいです」
ガールズケイリンのGI選考基準では、前年のグランプリ1〜3着が男子の『S級S班』のように選考シードの特権を与えられ、石井はほぼ無条件でGIを走ることができる。さらに、選考上位選手で構成されるオールガールズクラシック初日『ティアラカップ』は、失格等がない限り無条件で準決勝に進むことができる。
「今回はティアラカップの1枠からスタートできるので、勝ち上がりは有利だと思います。今年は3か月終わって、賞金ランキング上位の選手とは差ができているので、GIで決勝に乗らないとガールズグランプリ出場は厳しいと思うので頑張りたいです」
さらにオールガールズクラシックの特徴のひとつが、前座戦をふくめた開催すべてがガールズケイリンのレースで構成されていることだ (※他のGIは男子と併催) 。
「今までのオールガールズクラシックは売上もいいし、場内も盛り上がっている印象です。ファンの方もガールズケイリンだけを観に来てくださる。GI組とか普通開催組とかは関係なく、ガールズ選手みんながひとつになって開催を盛り上げていければいいですね」
GI開催地の岐阜は2018年2月、2021年1月、2022年3月と完全優勝を3回決めている好相性のバンクだ。24年1月には通算600勝を決めたメモリアルの地でもあり、今年2月にも走っている。
「私にとってビッグレースの開催場で直前に走れることはすごく大きいので、2月の岐阜のあっせんが入ったときはありがたかったです。レースに向けたウォーミングアップのスケジュールを分単位で組んでいるので、開催中の動線や過ごし方を確認できることは大事なんですよ」
ガールズグランプリ覇者として、年明けからは各地での優勝報告会や始球式など、イベントに引っ張りだこだった。
「1月からはありがたいことにいろんなお仕事に声をかけてもらえました。『ガールズケイリンを広めたい』という思いで、ほとんど断ることなく参加させてもらいました。とても忙しかったけど、うれしい悲鳴です」
“ガールズケイリン界代表”としての役割を存分に果たし、課題であったGIに向けての調整を経てオールガールズクラシックに向かう。
「ここまでの4か月は、去年のグランプリを優勝したからこそ過ごせる大切な時間ととらえていました。4月からはGIが始まる。ここから集中して結果を出せれば、この4か月はかけがえのない宝物になるので。4月はしっかり練習をする時間を作って臨みます。頭の片隅でいいので、皆さんに応援してもらえるように頑張っていきます」
多くの人を感動させたガールズグランプリから早くも4か月。石井寛子がガールズケイリン界を背負い、まだ見ぬ“GIタイトル”を目指し立ち上がる。
インタビュー後編では、変化を続けるガールズケイリン界についてや掲げている“80歳まで現役”という目標の真意、オフの一面に迫りました。読者の皆様へ抽選で石井寛子選手サイン入りグッズのプレゼントもありますので、ぜひお楽しみに! 後編は4月20日18時公開予定です。
取材:デイリースポーツ・松本直
撮影:北山宏一
netkeirin特派員
netkeirin Tokuhain
netkeirin特派員による本格的読み物コーナー。競輪に関わる人や出来事を取材し、競輪の世界にまつわるドラマをお届けします