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前田睦生の感情移入

【競輪の誕生】倉茂記念杯に思う…競輪を作った脳みそと気概

アプリ限定 2025/01/18 (土) 12:00 14

競輪の始まりを思う

競輪を作った人たちがいる

 大宮競輪場で大阪・関西万博協賛「東日本発祥76周年 倉茂記念杯(GIII)」(1月16〜19日)が開催中だ。「倉茂」とは倉茂貞助という“競輪の生みの親”とされる人物の名前だ。川崎記念の「海老澤清杯」と並んで、東日本では由緒ある大会になっている。

 戦後、競輪を作った人たちがいる。
 倉茂と海老澤がその両巨頭。発祥の地は小倉で、浜田翁と呼ばれている浜田良祐という当時の小倉市長も生み出した1人とされている。今では普通に競輪が日常として行われているわけだが、作った人たちのことを思うと、敬意の念しかない。

 倉茂と海老澤が競馬をもとに、また海外の事情も勉強し、自転車による公営競技を考え出し、法律の整備など、動きに動いた。小倉市は国体(現国スポ)を開催するために自転車競技の実施を引き受けた経緯もあり、戦後の危機的財政をなんとかせねば、という一大勝負であった。

 今からでは想像もつかないような苦労があったと思う。今があることにのさばらず、感謝の思いは忘れてはいけない。

究極の頭脳競技

倉茂貞助の思い

 戦前から新聞社が主催する形でロードの大会は人気を博していた。五輪でも、第1回からある種目として自転車競技は歴史が古い。それにしても…だ。

 人間が走るから。

 ギャンブルとしての成立にあたっても、競輪の価値は揺るぎない。数多くの著名人が競輪にのめり込み、阿佐田哲也においては「競輪はギャンブルの終着駅」として至高のものとした。阿佐田哲也は博覧の賭博知識者であり、その小説の面白さは、読んでくださいとしかいいようがない。

 人間が、特に当時としては9人の肉体と頭脳の争い、その結末を推理する楽しさ、奥深さ、そして怖さに酔いしれていた。しかも…。

競走得点やレースプログラム

苦労ばかりの創成期だった

 様々な制度が競輪にはあり、特に競走得点の概念や、概定番組と呼ばれるレースプログラムを考えた人たちは、一体どんな脳みそをしていたのかと思う。期替わりの競走得点のズレが今はあるものだが、これも推理のひとつの材料。

 ルールにしても他のスポーツより複雑を極めるので、現在進行形で試行錯誤の段階といえる。開催の円滑な進行や、また売り上げの面も考えながらという、複合的な世界観がある。

 大宮の「倉茂記念杯」を見ながら、ふと競輪を作りあげてきた人たちのことが頭に浮かんだ。そしてそれは…。

知った者の責任

競輪がさらに続いていくために

 だいぶ前に書いたことがあるのが、サイバーテロ対応を行う国家機関の人の特集番組を見た時のことだ。その人は業務上24時間365日が仕事だ。いつなんどき問題が起こるか分からない。しかし、絶対にその時に向き合っていた。

「知った者の責任がある」

 その人は、こういった言葉で自分の責任を明らかにしていた。状況を知り、やらないといけないことがある。それを知った以上、『やる』というものだった。

 規模は全然違うわけだが、競輪の重要さを知り、必要性を知る今、いろんな発信に努め続けないと責任を感じている。戦後、競輪を生み出した人たちの脳みそや気概には到底及ばないが、競輪がもっと続いていくように、何かできればと、しないといけないと思う、そんな「倉茂記念杯」だ。


X(旧 Twitter)でも競輪のこぼれ話をツイート中
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前田睦生

Maeda Mutuo

鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。

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