2024/11/18 (月) 18:45 9
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが松阪競輪場で開催された「ザ・レオニズカップ」を振り返ります。
2024年11月17日(日)松阪12R 第11回施設整備等協賛競輪 ザ・レオニズカップ(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①笠松信幸(84期=愛知・45歳)
②塚本大樹(96期=熊本・36歳)
③長島大介(96期=栃木・35歳)
④芦澤辰弘(95期=茨城・36歳)
⑤伏見俊昭(75期=福島・48歳)
⑥中村浩士(79期=千葉・46歳)
⑦西村光太(96期=三重・38歳)
⑧海老根恵太(86期=千葉・47歳)
⑨堤洋(75期=徳島・48歳)
【初手・並び】
←⑦①(中部)②⑨(混成)③④⑧⑥(混成)⑤(単騎)
【結果】
1着 ④芦澤辰弘
2着 ③長島大介
3着 ⑧海老根恵太
11月17日には三重県の松阪競輪場で、ザ・レオニズカップ(GIII)の決勝戦が行われています。小倉・競輪祭(GI)が直前というタイミングのいわゆる「裏開催」で、出場選手のなかで競走得点がもっとも高かったのは、108.77の湊聖二選手(86期=徳島・47歳)でした。もうこの時点で、大混戦となるのは確定ですよね。実際、初日から高配当が続出するという、波乱気配が色濃く漂うシリーズとなりました。
初日特選からして、2車ラインが3つに、単騎が3名というコマ切れ戦。ここは、捲った鈴木竜士選手(107期=東京・30歳)の番手から抜け出した、長島大介選手(96期=栃木・35歳)が1着をとっています。その後ろに切り替えた単騎の笠松選手が2着で、同じく単騎の岡崎智哉選手(96期=大阪・39歳)が3着。主導権を奪った高橋晋也選手(115期=福島・30歳)は、力尽きて8着に終わっています。
その後の勝ち上がりの過程で目立ったのが、機動力のある若手選手の苦戦。初日特選組だった鈴木選手と高橋選手は二次予選で敗退し、太田竜馬選手(109期=徳島・28歳)や石原颯選手(117期=香川・24歳)も同様に準決勝には勝ち上がれず。若手ではありませんが、松阪がホームバンクで自力もある皿屋豊選手(111期=三重・41歳)も、準決勝で7着に終わって決勝戦進出を逃しています。
初日特選から決勝戦に勝ち上がったのは3名だけで、決勝進出メンバーの平均年齢は42.1歳という高さ。自力があるといえるのは長島選手くらいで、その長島選手も、逃げよりも捲るレースのほうが得意ですからね。伏見俊昭選手(75期=福島・48歳)や海老根恵太選手(86期=千葉・47歳)といった“古豪”が決勝戦に乗ってきたというのも、注目したいポイント。しかも、どちらも上々のデキにあります。
2名ずつが勝ち上がった関東勢と南関東勢は、「東」でひとつのラインに結束。その先頭は、長島選手に任されました。番手を回るのは芦澤辰弘選手(95期=茨城・36歳)で、3番手が海老根選手。4番手を、中村浩士選手(79期=千葉・46歳)が固めます。先行1車で“数の利”まであるわけですから、圧倒的に有利であるのは言うまでもなし。「決勝は自力がいないし、やるしかない」という長島選手のコメントに、覚悟がうかがえますね。
2車ラインとなった中部勢は、松阪がホームバンクの西村光太選手(96期=三重・38歳)が先頭で、番手に笠松信幸選手(84期=愛知・45歳)という組み合わせ。厳しい戦いになるでしょうが、地元の意地をみせてもらいたいものです。そして塚本大樹選手(96期=熊本・36歳)は、堤洋選手(75期=徳島・48歳)と西の即席コンビを結成。なんとか中団でうまく立ち回って、存在感を発揮したいところです。
唯一の単騎勝負が伏見選手。準地元である松阪での決勝戦進出で、気合いが入っていることでしょう。機動力のある選手が少ないここならば、立ち回り次第で上位への食い込みがあって不思議ではないはず。なんとか「東」の牙城を崩してほしいところですが…それでは、実際に決勝戦がどのような展開、どのようなレースとなったのかを振り返っていきましょう。
レース開始を告げる号砲と同時に飛び出したのが、1番車の笠松選手と4番車の芦澤選手。ここは内枠である笠松選手がスタートを取って、中部勢の前受けが決まります。その直後の3番手が「東の混成ライン」先頭の長島選手ですが、その外に塚本選手と堤選手がつけて、位置を主張。しばらく併走状態が続きましたが、長島選手はこれを前に入れて、5番手に下げました。そして最後尾に単騎の伏見選手というのが、初手の並びです。
後ろ攻めとなった東の混成ラインが動いたのは、青板(残り3周)周回の2センターあたりから。赤板掲示(残り2周)の通過に合わせて位置を上げていきますが、先頭の西村選手が軽く突っ張ると、長島選手は無理に斬りにはいかずに様子見。この際に、西村選手の番手にいた笠松選手が、大きく外に出て連係を外してしまいます。すぐに元の位置に戻るかと思われましたが、1センター過ぎには回りを囲まれてしまいました。
その後も各ラインが様子見のままレースが進みますが、打鐘前のバックストレッチで単騎の伏見選手が内をすくって、西村選手の番手を奪いにいきます。笠松選手もここで元の位置に戻ろうとしますが、前に出てきた塚本選手にも遮られて、再連係は叶いません。そしてレースは打鐘を迎えましたが、ペースは上がらないまま。しかし、打鐘後の2センター過ぎで、後方の長島選手が仕掛けます。
後方から一気にカマシて、最終ホームに帰ってきたところで、先頭の西村選手を叩きにいった長島選手。抵抗する西村選手の直後では、塚本選手と笠松選手が内外併走となっています。東の混成ライン4番手の中村選手は、長島選手のダッシュについていけずに連係を外して、堤選手の後ろにシフト。しかし、長島選手から海老根選手までの3車は、最終1センターを回ったところで、前に出切りました。
西村選手が4番手、塚本選手が5番手で、下がった笠松選手は今度は堤選手の外に。そして後方に中村選手と伏見選手という隊列となって、バックストレッチに入ります。ここで塚本選手が仕掛けて西村選手の外に並びかけますが、そこから伸びていく気配はないままで最終バックを通過。後方からは、中村選手が内の狭いところに突っ込んでいって、最終3コーナーに入りました。
この時点でも長島選手から海老根選手までが出切ったままで、東の混成ラインが圧倒的に有利な態勢。海老根選手の後ろで西村選手と塚本選手が絡んだのもあって、抜け出している3車と後続の差がさらに開きます。前の3車から少し離れて、内から中村選手、堤選手、西村選手、塚本選手の4名が横並びという隊列で、最終2センターを通過。後方には伏見選手と笠松選手という状況で、最後の直線に向きます。
直線を向いたところで、西村選手と塚本選手は失速。内を突いた中村選手と堤選手が追いすがりますが、前の3車とは絶望的な差があります。先頭の長島選手が直線に入ってからも踏ん張りますが、差しにいった芦澤選手がジリジリと差を詰めて、30m線を通過。3番手の海老根選手に伸びはありませんが、後続との差はさらに開いており、3着は確定といった態勢です。
芦澤選手が長島選手の外に並び、そしてほんの少しだけ前に出たところで、ゴールラインを通過しました。僅差の2着が長島選手で、3着は海老根選手。連係を外すも最後よく追い上げた中村選手が4着と、東の混成ライン4車が上位を独占しています。この決勝戦は「96期対決」でもあったわけですが、最終ホームから長島選手がカマシて、3車が前に出切ったところで勝負はついていましたね。
芦澤選手は、これがうれしいGIII初優勝。昨年や今年はF1での優勝もなかった芦澤選手にとって、久々に味わう最高の“美酒”となったことでしょう。優勝者インタビューでの立ち振る舞いや内容も、芦澤選手の実直な人柄がよく感じられるもの。レース前には「腰痛が出て力が入らない」とコメントしていましたが、それを気持ちで乗り越えて、最後まで踏ん張り抜いた走りだったと思います。
そんな芦澤選手の優勝に大きく貢献したのが、長島選手の走り。あの展開ならばもっと仕掛けを遅らせて、自分の優勝により近づくレースをしてもおかしくないところですが、彼はそれを選ばなかった。「人がいい走り」と言い換えてもいいほどで、その背景にはおそらく、芦澤選手の人柄をよく知る同地区の仲間として応援したい気持ちがあったのではないでしょうか。
そういった周りの気持ちを感じていたからこそ、芦澤選手も優勝者インタビューの場で、「GIII初優勝が長島くんの後ろだったのがうれしい」「そういうところを千葉勢も見てくれていたから、3〜4番手を固めてくれたと思う」と、真っ先に感謝の意を伝えた。競輪という、人の繋がりで戦う競技のよさを改めて感じた、ちょっと心がほっこりするような優勝者インタビューでしたね。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。