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平原康多の勝ちペダル

【#50】2戦連続落車に溢れる悔しさ…そして新山響平と2度の連係で実感「アイツは本当にヤバい!」

2024/11/07 (木) 18:00 53

10月の平原康多選手は、GI寬仁親王牌と、京王閣GIIIに出走しました。2戦連続で落車という残念な結果に終わりましたが、そんな中でも新山響平選手との2度の連係など、新たなドラマも生まれました。驚くことにすでに練習を再開しているとのこと。現在の体の状況や、この2戦で得たものをたっぷり話してもらいます。

試練の2戦続落車を越えて再起動!(撮影:北山宏一)

◆弥彦の帰り道で降りてきたひらめき「これは面白いかも」

ーー寬仁親王牌(弥彦)の落車が全身打撲ということでしたが、続く京王閣でも落車。グランプリまで2カ月という大事な時期。皆さんかなり心配していると思います。

 弥彦の落車が右側から落ちて全身打撲。落ちた日の夜は頭痛がひどくて、ほとんど眠れなかったですね。

ーーそれでよく二次予選の出走を決めましたね。2日目の出走表に名前があって驚きました。

 あの時点でまだ決勝に勝ち上がるチャンスがあった。それを捨てたくなかったんです。

ーーとはいえ、普通の人間なら救急搬送されているところじゃないですか。

 何をするにも気持ちから。そういう状況になっても、何とかしようという気持ちだけは持ち続けていたいんですよ。

ーー2日目を終えて欠場になりましたが、そこから1週間後の京王閣は今度こそ欠場すると思っていました。

 弥彦からは自分で車を運転して帰りました。体はきつかったし、京王閣に出るのは正直厳しいだろうと、その時は思っていました。でも、帰りの車でだんだんと悔しさがこみ上げてきて、音楽もかけずにいろいろと考えていたら、1つ自転車のことでひらめきがあったんです。

ーー極限の状態で降りてくるやつですね。

 ははは、そうです。家に帰って、次の日には競輪場にいきました。落車の自転車は使えないので、同じ寸法の新車でセッティングを出しました。

考え抜いてひとつの道が開けた、ひらめき(撮影:北山宏一)

ーー翌日から練習を再開したのですか?

 その日はバンクが使えなかったので、その翌日に乗りました。そうしたら、体が悪い割には自転車がすごく進む感覚があったんですよ。

ーーその時はもう京王閣を走るつもりでいたんですね。

 練習の感覚で、もしかしたら走れるかもと思いました。体は当然すごいダメージがあったけど、京王閣がGI級のメンバーだったでしょ。

ーーそれはもうGIの準決とか決勝みたいなメンバーでしたね。とはいえ、全身打撲ですよ?

 そんなメンバーで試せる機会はそうないじゃないですか。3年ぐらい前から、どうにも練習とレースがうまくリンクしていない感覚があった。それが弥彦の帰りのひらめきで改善されるかもしれない。これは面白いかもと思いました。

◆「これはいい方向にいっている」手応えを感じた京王閣GIII

試したかったことがすぐ結果に出てくれた(撮影:北山宏一)

ーーひらめいちゃったら、止めてもダメなんでしょうね。しかし、さらに驚かされたのが、京王閣の初日の走りです。S級S班5人に加えて、新田祐大選手や、犬伏湧也選手までいました。そんな中で平原選手の動きが際立っていました。

 眞杉(匠)が新山(響平)に突っ張られて後方になりました。実質10何番手ぐらいの位置になったときは、浮かされて足も使っていた。さすがに厳しいかなと思いました。

ーー眞杉選手は古性優作選手の先まくりで浮いてしまいましたが、その後の突っ込みです。あれはコースが見えていたんですか?

 眞杉が仕掛けてくれた後は、体が勝手に反応しました。どうしようもない時って視野が狭くなるけど、その時はコースが見えたし、足も売り切れていなかったんですよ。

ーーあのけがから1週間ですよ。どういう体の構造をしているんですか。

 ですよね。試したかったことがすぐ結果に出てくれた。これはいい方向にいっているなと。自分でもいい驚きでした。

ーーただ、準決でまた落車。これはさすがに堪えたでしょう。

落車してしまった京王閣GIIIの準決勝(写真提供:チャリ・ロト)

 スパンの短い中で2連発。またかよと気持ち的にも折れそうになりましたね。弥彦は右で、今度は左側から落ちた。今回は擦過傷がかなりあったんですよ。

ーー今(11月2日)は体を休めて治療に専念しているところですか?

 まだできないメニューもあるけど、昨日から練習は始めました。

◆新山響平の先行と古性優作の自在な動きは、規格外!

新山響平はヤバい!褒めない選手はいない(撮影:北山宏一)

ーー大事な時期なので無理はしないで下さい。ただ、弥彦も京王閣もドラマはありましたね。新山響平選手との2度の連係は興味深く見させてもらいました。

 アイツは本当にヤバいですよ。新山を褒めない選手はいません。自分が先行で戦っていたころに、どんなに頭では分かっていても出来なかったことを新山はいとも簡単にやってしまう。もがける距離だって自分の常識を越えてしまっています。新山の先行と、古性(優作)の自在な動きは、規格外ですね。

ーー古性選手の寬仁親王牌の決勝戦は鳥肌が立ちました。

 あんなとこで追い上げることもそうだし、サラ足じゃないのにそこからまだ踏める。タテもヨコもナナメも全て制圧していますね。

ーー平原選手から見ても古性選手は特別ですか。

 あんな選手は見たことがないですね。

寛仁親王牌・世界選手権記念決勝、1番車古性優作(写真提供:チャリ・ロト)

ーーなるほど…。また新山選手に話を戻しますが、最初の連係が寬仁親王牌の初日特選でした。

 島川(将貴)を突っ張ってからの踏み上がりが尋常じゃない。あのレースは、僕の踏むタイミングがズレました。完全に自分のミスですね。それで松井(宏佑)や郡司(浩平)に入られそうになって、慌てて落ちてしまった。あの落車は自分の責任です。

ーーでも、すぐにリベンジの機会が回ってきました。京王閣の二次予選で2度目の連係になりました。

 あの組み合わせになるのは、想像もしていなかったですね。ただ、それ以上に新山の走りがまたさらにヤバかったです。

ーーあの二次予選こそが“これぞ新山響平”というレースに見えました。

 主導権を取ってから、うそでしょ?というピッチでずっと踏んでいました。新山は前傾フォームだからこちらも風を受けるし、付いているのにずっと削られていくような感じなんです。しかも、残り2周より、残り1周の方がタレずにずっと踏み上がっていくような感覚になる。だから、足が全然ニュートラルに入らないんですよ。

ーー新山選手はある意味、常に手の内を相手に見せながら走っている。それでいてSSにいるのは、恐ろしいことですね。

 あんなに貫いている選手はいないし、全てにおいてレベルが高い。難しいことにチャレンジしているし、勝ち負けよりも大事な何かを見せられているような気がします。

ーー体も万全ではない中、よく差しましたね。

佐藤慎太郎さんも「あいつ、ヤバいだろ?」(撮影:北山宏一)

 抜いたことよりも、新山とワンツーを決められたことが何よりでした。レース後、(佐藤)慎太郎さんに「あいつ、ヤバいだろ?」と言われて、ヤバかったですと答えました。とにかく新山は誰が見てもヤバいんですよ、はははは。

ーーその新山選手をライバル視している眞杉匠選手も最近また積極性が増していませんか? その一端には平原選手が絡んでいるのでは? とにらんでいます。

 ははは、どうですかね。眞杉はもともと能力が高いし、新山ぐらいやれるヤツです。眞杉が逃げて高橋築が1着になった京王閣の二次予選があったじゃないですか。あのレース後、眞杉に言ったんです。眞杉良かったな、2年ぶりぐらいに(突っ張り先行を)見たよって、ははは。

◆今は悪くても、大きな勝利をつかむためのものにしたい

一戦、一戦、決して手を抜いているわけではない(撮影:北山宏一)

ーーあんな力走の後に意地の悪い先輩ですね(笑)。このコラムでも今の関東No.1の先行は佐々木悠葵選手だなんて言うから、スイッチを入れちゃったんじゃないですか?

 「取手(6月GIII)でもしましたよ!」なんてちゃんと言い返してきましたよ、ははは。

ーーしかし、この1カ月は、レース数は少なくても濃い内容でした。ただ、9月の共同通信社杯の失格から、悪い流れが続いているのが心配です。

 決して手を抜いているわけではないし、毎回、やれるだけの調整をして、レースには臨んでいます。勝負事だから全部がいい方向にはいかないけど、その瞬間その瞬間を無駄にせず、悔いを残さないようにやろうと心がけています。昨年のけがは体がどうにもならなかったけど、そこで諦めなかった経験があるから、また頑張れますよ。

ーーグランプリでの眞杉選手との連係も今から楽しみですし、その前に相性のいいGI競輪祭もあります。

 良くない結果が続いて、自分を応援してくれるお客さんに迷惑をかけてしまうのは喜ばしいことではありません。でも、全てが一生懸命やった結果だし、いいことも悪いことも含めて、この後の大きな勝利をつかむためのものにしたいですね。


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平原康多

Hirahara Kota

埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。

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