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平原康多の勝ちペダル

【#49】初の誘導員デビューと失格・欠場の苦悩「清水裕友の末恐ろしさを感じた」

2024/09/28 (土) 18:00 23

以前、誘導免許取得の話は出ていましたが、8月末、ついに平原康多選手が西武園ミッドナイトで先頭誘導員デビューをしました。9月はGII共同通信社杯競輪と、岐阜GIIIに出走。ともに悔しい結果になってしまいましたが、そこで色々と感じたもの、見たものをストレートに語ってもらいました。今回のコラムは濃いネタが満載です。

誘導員では1つのレースに多くの人が関わっていることを学んだ(撮影:北山宏一)

◆学ぶことが多かった初の先頭誘導員

ーー少し時間が経ってしまいましたが、誘導デビューお疲れ様でした。出走表を見たファンがざわついていました。

 ふざけてやれることではないし、レースとはまた違った緊張感がありましたよ。

ーー無観客のミッドナイトはあえて選んだのですか?

 たまたま来たのがミッドだっただけで、頼んだわけではないです。ただ、最初は色々と教わりながらやったから、無観客で良かったですね。仕事に集中出来たし、役割をまっとう出来ました。

ーー誘導員の1日のスケジュールはどんな感じでしたか?

 午前中にバンクで練習して、いったん家に戻って、18時過ぎにまた競輪場に入りました。今回の誘導は気楽なメンバーだったので、合間の誘導部屋では談笑しながらリラックスして過ごせました。

ーーそもそも誘導をやってみようと思ったきっかけは何だったのですか?

 自分が現役の間は、やれることは色々やってみたいと思っています。まだ神山(雄一郎)さんも武田(豊樹)さんも誘導はやっていませんよね。この分野は僕が先駆者です、ははは。

ーー実際にやってみて想像とは違いましたか?

 1つのレースは、これだけの人が協力して成立するんだということを学べました。ずっと選手の立場でしか見てこなかったし、誘導員は裏方感がすごかったですね。実は選手になる前に従事員のアルバイトはやっていたんですよ。

選手の立場からは見えないものがたくさんあった(撮影:北山宏一)

ーー発走機の後ろで立っているあの仕事ですか?

 発走機ではなかったけど、走路で立っていました。高校卒業の直前から競輪学校に入るまでのほんの数ヶ月ですけどね。

ーー色々な角度から競輪を見ていますね。誘導でまた新たな視点が増えましたね。

 やって良かったなと思います。今度はお客さんのいるナイターで引いてみたいですね。

ーーきっと野次られますよ。

 かもしれませんね、はははは。

◆神山雄一郎の苦しみながら続ける姿は見たくない

どこがゴールなのかは神山さんにしか分からないこと(撮影:北山宏一)

ーー先ほど、神山雄一郎選手の名前が出ましたが、GII共同通信社杯で一緒でした。神山さんの地元宇都宮ということもあって、色々な噂や憶測がありましたね?

 ありましたね。神山さんは推薦枠での出場だったし、もしかしたら(引退の)花道をお膳立てされているんじゃないか? なんて噂は選手間でも出ていました。

ーー裏側での雰囲気はどうだったんですか?

 まったくもって、いつも通りの神山さんでした。僕自身、神山さんがビッグレースにいることは昔から当たり前のことだし、本当にいつも通りという感じでした。

ーーとても引退するような選手には見えなかったと?

 そうですね。本人にはそんなこと聞けないし、周りがとやかく言う話でもない。どこがゴールなのかは、神山さんにしか分からないことですからね。

ーー長く一緒に戦ってきた平原選手にとっては続けて欲しい思いが強いですか?

 う〜ん…、それも何とも言えませんね。自分で納得されて続けるなら、それは素晴らしいことだけど、苦しみながら続ける姿は見たくないという気持ちもあります。

ーー今回はひとまずそういう雰囲気がなくて安心しました。

 仮に最終日にそういうことがあったとしても、僕は失格して途中欠場だったから、どのみち見られませんでしたね、ははは。

◆1つでもいい着を取るためにどう頑張れるか、がテーマ

共同通信社杯競輪の初日は南関の野口裕史に前を任せた(撮影:北山宏一)

ーー確かに…。では少しレースの話もお願いします。初日は野口裕史選手の番手でした。他地区との連係はレアケースですね。

 坂本貴史、ワッキー(脇本雄太)、深谷(知広)に次いで4人目ですね。

ーー今回はすんなり決まった感じですか?

 中田健太がいたので、彼の意見も聞いた上で決めました。2分戦のような形だったし、やるかやられるかのレースになることは分かっていました。車番的にこちらが苦しいし、島川将貴に突っ張られることも踏まえた上で、野口に任せました。

ーー実際に苦しい展開になりましたが、その後のリカバリーが良かったですね。

 共同(通信社杯競輪)の時は、体調がすごく良かったんですよ。前走から時間があったし、セッティング、乗り方、シューズと色々変えて臨みました。すごくいい方向に行っている手応えがありましたね。

ーーところが、二次予選はかなり激戦の組み合わせに入ってしまいました。

 競輪なので、毎回いい番組に入れるわけではない。そういう時に1つでもいい着を取るためにどう頑張れるか。これがいつでもテーマですね。

作戦通りいなかくても次に生かせればいい(撮影:北山宏一)

ーー別線に町田太我選手や窓場千加頼選手がいたら、吉澤純平選手も厳しい戦いだったと思います。

 純平に任せたのは、自分の決断だし、そこに後悔はありません。ただ、位置取りの面でミスがあったり、作戦通りにいかなかったことに悔しさはありました。その辺は終わったあとに互いに話し合ったし、次に生かせればいいので。

ーーあの場面、自分が前でという考えもありましたか?

 もちろん選択肢の1つとしてはありました。互いに別で自力という考え方もありました。でも、純平が頑張ると言ってくれたし、結果的に任せたのは自分なので。

ーーたとえば、似たようなメンバー構成で、諸橋愛選手なら違う選択をするのでは?という場面があると思います。

 諸橋さんには諸橋さんの考え方があって、一言で言うなら「プロ」なんです。見習わないといけないんですが、性格的に自分には出来ないこともあります。でも、結果は蓋を開けてみないと分からないし、自分が納得する選択をするのが一番だと思います。

◆清水裕友の末恐ろしさを感じた共同通信社杯競輪

ーー準決の失格は残念でした。

清水裕友の末恐ろしさを感じた(撮影:北山宏一)

 落としてしまった清水(裕友)には申し訳ないし、自分の技術不足と反省しています。あの場面は清水が少し取鳥雄吾に遅れてきて、珍しく力んでいる感じでした。自分の中では「これは止められる」という感覚で持っていったら、ああなってしまった。ただ、落ちる時に清水のユニフォームの肘?の部分が、僕のクリップバンドの金具に引っかかって破れたんです。それがずっと挟まっていて、落ちてもただでは終わらないというか、落ちてもまだ存在感を与えてくるというか、清水の末恐ろしさを感じました。これは初めての経験でしたね。

ーー大会自体は地元の眞杉匠選手の優勝で、とても盛り上がりました。眞杉選手が優勝賞金を積み上げ、一緒にグランプリを走れる可能性が大きくなりましたね。

 関東でNo.1の選手だし、一緒に乗れたら心強いですよ。脚力も抜けていますからね。

ーーヨコの動きにも強いし、コース取りもすごかったです。

 最近の眞杉は自在な戦い方ですね。眞杉とは冗談も含めて遠慮なく言い合える関係なのでそれを言うと、「いや、僕は先行です」って返してきます。でも今、関東No.1の先行選手は佐々木悠葵ですよ。

今、関東No.1の先行選手は佐々木悠葵!(撮影:北山宏一)

ーー佐々木選手は町田太我選手に練習メニューを聞いていると聞きましたが、平原選手の中でずいぶん株が上がりましたね。

 もともとずば抜けたポテンシャルは持っているのに、考え方がもったいないなと感じていました。でも、マインドがすごくいい方向に変わってくれてうれしいです。

ーーどのように変化したのでしょうか?

 佐々木悠葵は、競輪選手になりました。

ーーなるほど、深いですね。

 今の佐々木はめちゃくちゃスゴいし、楽しみです。

◆共同通信社杯後、4〜5日でまるで別人の体に…

ーーその後の岐阜GIIIも途中欠場になってしまいましたね。

 また左足のしびれが出てしまいました。共同が終わって4〜5日でまるで別人の体になったみたいでした。

ーーレースに影響があったのですか?

 思い切り踏めない状況でしたね。踏もうとすると怖さで脳がブレーキをかけてしまうし、踏んだら踏んだで力が抜けていってしまうような感じでした。簡単には帰れないし、我慢して2日間走ったけど、2日目にゴール前で踏めなかったので欠場することにしました。

ーー回復には時間がかかりそうですか?

 またローラーに乗ったり、やれることから練習を再開しています。やり過ぎたら壊れてしまうし、付き合い方は分かっていますから。

ーー次は験のいい準地元(弥彦)での寬仁親王牌です。

 優勝させてもらったことのある大会ですから思い入れもあります。まずはそこまでにコンディションを万全に持っていけるように頑張ります。

寬仁親王牌では万全のコンディションで挑む(撮影:北山宏一)

(※文中敬称略)


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平原康多

Hirahara Kota

埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。

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