2024/09/06 (金) 18:00 47
8月の平原康多選手は、松戸GIIIと平塚GIオールスターに出走。体のコンディションは問題ないレベルまで回復していて、松戸の決勝では久々に先行する姿も見られました。他にも物議を醸した小田原GIIIの南関7車結束や、家族旅行の話題も登場します。今回のコラムはネタが目白押し。初の先頭誘導員というビッグニュースもありましたが、それはまた次号に…。
ーー8月のレースで一番印象的だったのは松戸の決勝、まさかの先行策でした。
なるほど。あれはあの位置(8番手)になってしまったんで、いったんは前に出ないと、と思って赤板から全力で行ったんです。別線はどちらのラインも2段駆けの並びだったし、出てからどこかにはまれればいいかなという頭もありました。
ーーものすごい出足で、あれよあれよと前に行ってしまいましたね。
あそこが勝負所で、そこを逃したら付いてくれた阿部(力也)にも申し訳ない。アクションを起こそうと思い切り踏んだら、想定以上の出だったんです。
ーー阿部力也選手とは即席の連係でした。日ごろ頻繁に話す2人ではないですよね?
阿部は普段からあまり感情を出すタイプではないし、その阿部が僕を一競輪選手、一自力選手として見てくれた。奮い立つものがあったし、何かしたいという思いになりました。
ーー久々の先行でペース配分はどうだったんですか?
2つのラインが踏み合って、ペースも上がっていたから、出るのに足の“削られ感”がかなりありました。本当は80%ぐらいで出て足を回したかったけど、120%で行ってしまった。せめて阿部が3着に入ってくれれば良かったんですけど…。
ーーあの場面で先行できるということは、もう体の心配はないんですね。
体の状態は良くなっているし、練習の速度は前より出ています。それなのに、レースになるとレベルも上がっていて、チグハグな感じになってしまった。最近、自力で走っていなかったから体が忘れている部分もあるし、ペースの塩梅も難しかったですね。
ーーでも、あんなレースをしてもらえたら阿部選手も感動したんじゃないですか?
レース後は感情を出さない阿部がすごい感謝してくれて。でも、こちらも着に絡ませられなくてごめんという思いで。2人でずっと「ありがとうございます」、「いやいやごめんね」みたいな感じのやり取りでした、ははは。
ーーこの結果を受けて、もう先行はしんどいと思ったのか、もっと先行も磨こうと思ったのか、どちらですか?
正直なところ、自力だけでGIで勝ち負けをするのはきついです。でも、自力がないことにはレースに参加できない。タテの足は落としちゃダメだし、上げる気持ちでいないと通用もしないでしょう。ただ、松戸の決勝は、新村穣と取鳥雄吾には勝ってますからね、ははは。
ーー負けず嫌いですね(笑)。その言い方、中川誠一郎選手かと思いました。
はははは。ただ、前でも後ろでもそういう気持ちで走っているんだという姿勢を後輩たちに見せられた。そこは良かったのかなと思います。
ーー話は少し戻りますが、松戸準決の眞杉匠選手を中団で迎え入れた動きもさすがでした。
眞杉は僕がバックを踏んだところでわざと僕がちぎれるように踏んだんですよ、ははは。
ーー確信犯ということですか?(笑)
だから、直線で中を割ってやりました、というのは冗談ですよ、冗談、ははは。
ーー2人ともいたずら好きだから本当か冗談か分かりづらいですよ(笑)
はははは。
ーー続いてオールスターですけど、地元南関勢は勢いがありました。その中で北井佑季選手だけ調整がうまくいっていない感じがしました。
北井も人間だったというのが分かりました。僕もGIにピークを持っていく難しさは常に感じていますから。調子を上げていくのには疲労が伴うし、他のレースも走りながらピークを作るのは、なおさら難しいですよね。そういえば、南関の小田原記念(GIII)の7車は驚きましたね。
ーー平原選手からその話題に踏み込みますか。
考えさせられました。あの並びと車番ではレースが分かり切ってしまうし、ワッキー(脇本雄太)の戦法では辛かったでしょう。古性(優作)なら何とかしてしまったかもしれないけど。ああなったら、漢字の「競輪」じゃないと立ち向かえませんよ。
ーー自分に置き換えたらどうだったかは考えましたか?
もちろん考えましたよ。自分がその立場にいても、前後の意見は尊重しないといけないし、南関の選択を否定は出来ません。埼玉6人なら僕も並んでいたと思います。ただ、キック(鈴木裕)が7番手を回ったのは、彼の優しい性格と、今の南関の空気がそうさせたのかなと思いました。そこは少し違和感がありました。
ーー阿部拓真選手だけは、脇本選手の番手を回れたので南関結束を期待していたように見えました。
たとえばキックがワッキーに行って、阿部拓真が地元ラインを壊しに行けば、もっと面白かったかもしれないですね。その方が阿部拓真らしい走りなのかなとも思いました。
ーーなるほど。この話は議論が尽きないですし、正解が分かりません。
少なくとも諸橋(愛)さんなら、絶対に7番手は回らないことは分かります、ははは。
ーーオールスターの後は少しだけオフを満喫したみたいですね。
家族サービスで3泊4日の韓国旅行に行きました。
ーー3泊でしっかり楽しめましたか?
韓国は近いからあまり海外って感覚もなかったですね。食べ物も美味しかったし、買い物も満喫できました。
ーーダービーのご褒美旅行ですね。ご家族は喜んだんじゃないですか?
喜んでいた…と思います、ははは。
ーー某埼玉の後輩選手から平原選手が韓国で散財していたという情報がありました。
そんなに使ってませんよ。少しアクセサリーを買った程度です。
ーー韓国で特に印象に残ったものはありますか?
タッカンマリという鶏肉の鍋があるんですけど、これがダントツで旨かったです。これを食べるためだけに、また韓国に行きたいと思いました。
ーーそれは話題になっているお店なんですか?
いや、韓国の競輪選手から紹介してもらったんですよ。
ーーやはり地元の人の情報は確かですね。韓国選手と日ごろから親交があったんですね。
ずっと応援してくれていて、ラインでやり取りはしていました。練習着が欲しいと言われてプレゼントしたこともあるんですよ
ーーへえ〜。何て名前の選手ですか?
ずっとやり取りはしているんですけど、ハングルなんで読めません、ははは。
ーー・・・・・・・・
(※文中敬称略)
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平原康多
Hirahara Kota
埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。