2021/07/20 (火) 14:00 13
函館競輪場で「サマーナイトフェスティバル(GII)」が開催された。18日、決勝のメンバーに山口拳矢(25歳・岐阜=117期)の名前があった。こぶしの“拳”にアローの”矢”と書いて『拳矢(けんや)』。
本格デビューからやっと1年が経つ新鋭。ビッグレース3回目にして、決勝に勝ち上がった。
準決勝は3着での勝ち上がり、組み立てには反省しかない。
深谷知広(31歳・静岡=96期)が叩き切った後「3番手、上田(尭弥、23歳・熊本=113期)君のところに追い上げないといけなかった…」。自分は決勝の権利を取れたが、任せてくれた浅井康太(37歳・三重=90期)は6着で敗退。浅井にもチャンスが生まれるためにも、打っておきたい一手だった。
この感覚が、デビューから1年にして…対戦相手が超トップの中で…ある。「そこは意識しているところなんで」。
さすがに深谷の仕掛けのところで動ける脚はなかったが。9人のバランスを考え、もがき合う気持ちがあるのか、出すのか、その時どうするのか『競輪』というゲームへの研究がある。
親父さんや! 山口幸二さんのコラムや。
拳矢は函館では分宿でホテル泊だったため「競輪を見られないのが」と嘆いていたそうだ。教えなのだろう。選手として、当たり前といえば当たり前だが、堅実にやっていく重要さがある。競輪は研究なくして、勝利への道はない。
その姿を見ている父としての幸二さん。函館では、走っている拳矢本人より心臓をバクバクさせているようだった。決勝進出を決めた後の表情を撮影させてもらうと、フェイスシールドが光って、幸二さんの涙を隠しているようだった。
うれしい、という感情ではなさそう。ただ、ドキドキしているようだった。
決勝にはビッグレースで初めて乗った阿竹智史(39歳・徳島=90期)の名前もあった。阿竹は“ヤマコウ塾”の塾生だ。熱心に体の動かし方など時間があれば教わっている。かくいう私も、塾生と勝手に思っている。
幸二さんは、私の恩人でもある。
だいぶ前になるが、現役時代の幸二さんが井上昌己(41歳・長崎=86期)をマークすることが花月園競輪場であった。「マサキ○タマやね」。このコメントをそのまま書くか、悩んだ思い出がある。記者として、色々と鍛えてもらった。選手の言葉を伝えるのが記者の仕事やろ…。
2011年、平塚で2回目のKEIRINグランプリ優勝をした時のことだ。
KEIRINグランプリの前に年始の企画として、柔道家・小川直也との対談をお願いしていた。開催中も面白い話を聞かせてもらおうと、検車場に張り込んでいた…。
平塚KEIRINグランプリでは、開催中に検車場に全く出てこず、後で聞くと、本当に体調を崩していたという。静養に努めていたのだ。そんな具合なのに、優勝してまた一気に忙しくなるので、企画はキャンセルかな…とも思ったのだが、「約束だから」と出演してくれた。電話番号を聞くだけでも、緊張した。あの時、ペーペーの私の依頼に応えてもらえた感謝の気持ちは、誰にもわからないかもしれない。
大沢雄大(39歳・埼玉=89期)が、体格の近い幸二さんに憧れ「もらいました」というフレームをうれしそうに乗っていたことも思い出す。開催が一緒のたびに、教えを乞うていた。幸二さんは丁寧に、いつまでも、いつまでも、教えていた。そんなシーンを見るのが好きだった。
KEIRINグランプリ優勝は究極の地点。心技体に加えて、“運”が必要だと思う。その運を2度も引き寄せた男。その血を受け継ぐ男。拳矢だけでなく兄・聖矢(27歳・岐阜=115期)も無論。親の七光りではなく、何かを作り上げていく過程がある。続いている…だから、面白い。
そんな物語を、競輪を通して伝えてくれるヤマコウ一族に感謝したい。幸二さん、ありがとうございます。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。