2021/07/12 (月) 18:00 18
現役時代はトップレーサーとして名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが不死鳥杯(GIII)を振り返ります。
2021年7月11日 福井12R 開設71周年記念 不死鳥杯(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①古性優作(100期=大阪・30歳)
②岩津裕介(87期=岡山・39歳)
③郡司浩平(99期=神奈川・30歳)
④三谷竜生(101期=奈良・33歳)
⑤森田優弥(113期=埼玉・23歳)
⑥村田雅一(90期=兵庫・37歳)
⑦山口拳矢(117期=岐阜・25歳)
【初手・並び】
←①④⑨⑥(近畿)⑤③⑧(混成)⑦②(混成)
【結果】
1着 ①古性優作
2着 ③郡司浩平
3着 ②岩津裕介
7月11日には福井競輪場で、不死鳥杯(GIII)の決勝戦が行われています。S級S班からは守澤太志選手(96期=秋田・35歳)と郡司浩平選手(99期=神奈川・30歳)が出場していましたが、守澤選手は二次予選で落車に巻き込まれてしまい、残念ながら3日目以降は欠場に。それとは対照的に、郡司選手は無傷の3連勝で決勝戦へと駒を進めて、ここは断然の人気となりました。
そして、郡司選手と同じく3連勝で決勝戦まで勝ち上がったのが、山口拳矢選手(117期=岐阜・25歳)。得意とする捲りの競輪で連日強いレースを見せていたように、調子はかなりよさそうでしたね。ただし、中部地区の選手は彼以外に勝ち上がっておらず、ここは岩津裕介選手(87期=岡山・39歳)との即席コンビに。これがどう結果に影響するかも、注目されるポイントでした。
そしてもちろん、地元・近畿ラインの先頭を任された古性優作選手(100期=大阪・30歳)も、優勝の有力候補。しかもここは、4人が勝ち上がった近畿の選手が、1つのラインにまとまりました。近畿以外の選手は地区がバラバラで、組まれたのも「混成」のラインですから、本番での連係がうまくいくかどうかは何ともいえないところ。決勝戦ではぜひ、この“強み”を生かしたいところです。
優勝候補の郡司選手は自力ではなく、森田優弥選手(113期=埼玉・23歳)の番手から。ただでさえ強い郡司選手の前を、機動力のある森田選手が走るわけですから、こちらも強力です。とはいえ、結びつきが弱い混成ラインとなると、森田選手だけでなく郡司選手も、どういった走りをするかが読みづらい側面がある。3分戦になったとはいえ、予想はかなり難しかったんじゃないでしょうか。
そしてそれは、選手側も同じだったようです。スタートの号砲が鳴っても、しばらくは誰も積極的に出ていかず、我慢比べに。つまり、どのラインも「前受け」での競輪を嫌ったわけですが、最終的には押し出されるように古性選手が先頭に立ちました。その後ろの5番手に森田選手がつけて、山口選手は8番手からというのが、初手の並びです。
赤板(残り2周)の手前から、後方にいた山口選手がまずは進出を開始。誘導員が離れ、前を切りにいきますが、古性選手も軽く突っ張ります。それでも、山口選手は引かずに主導権を主張。先頭に立ったところで、今度は森田選手が一気に仕掛けて、山口選手を叩きにいきました。打鐘で先頭に並びかけますが、山口選手は全力でこれに抵抗。互いにガンガン接触しながらの激しい攻防が、最終バック手前まで続きます。
このさなかで、山口選手の番手を回っていた岩津選手(87期=岡山・39歳)は連係が外れて、郡司選手の後ろのポジションに。そして、山口選手と森田選手のもがき合いを中団から見ていた古性選手が、満を持して2コーナー過ぎから仕掛けます。機動力のある選手が勝手につぶし合うというのは、古性選手にとって願ってもない展開。前が力尽きようとするタイミングで、一気に襲いかかります。
この動きをブロックにいったのが、森田選手の番手にいた郡司選手。あそこでヨコではなく、タテに踏んでいれば郡司選手の優勝だったかもしれませんが、彼はライン番手としての“仕事”を果たすほうを選んだ……ということでしょうね。しかし、そのブロックも一気に乗り越えて、3コーナーでは古性選手が先頭に。近畿ライン2番手の三谷竜生選手(101期=奈良・33歳)も、外から並びかけます。
近畿ラインのワンツー態勢か……というところにインから飛びついたのが、ブロックにいった後で態勢を立て直した郡司選手。三谷選手との併走状態で最後の直線に入りますが、先に抜け出している古性選手との差は詰まりません。郡司選手の動きで外に捌かれた三谷選手、郡司選手の後ろから直線で最内をついた岩津選手も後を追いますが、こちらも伸びはイマイチでしたね。
結局、直線でも態勢は大きく変わらず、古性選手がそのまま先頭でゴールイン。2着に郡司選手、僅差の3着には内からジリジリ伸びた岩津選手が入るという、いわゆる「スジ違い」での決着となりました。願ってもない展開になったとはいえ、それをしっかりモノにした古性選手の走りは、素直に賞賛できるもの。また、見方によっては「もったいない」レースになった郡司選手も、あそこからの2着確保はさすがです。
結果はともあれ、郡司選手の前を志願したという森田選手も、それにふさわしい果敢な走りをしたと思います。だからこそ郡司選手も、森田選手に余力がないと知りながら、タテには踏まずに古性選手を止めにいった。郡司選手の優勝を期待していたファンからすれば「なぜ」と思うかもしれませんが、即席とはいえラインはライン。番手の仕事をまっとうするのも、ファンの期待に応えるカタチのひとつです。
いわば、自分はケイリンではなく「競輪」をしているのだと、行動によって示した郡司選手。それとは正反対に山口選手は、競輪ではなく個人戦である「ケイリン」をしていたように感じてなりません。森田選手との苛烈な主導権争いも、手に汗を握る白熱したレース、若者の意地と意地とのぶつかり合い……とポジティブに感じられたかもしれませんが、個人的には気持ちがザラッとするというか。
なぜそう感じるかといえば、彼が「チーム戦」をしていないからでしょう。勝ち上がりの過程では、同じ地区の“仲間”を残すようなレースができていない。これは中部地区の選手の力不足もあったと思いますが、結果として決勝戦に進んだ中部の選手は、山口選手だけだったわけです。かと思えば、自分の後ろに同地区の“仲間”がいない決勝戦で、自分が潰れるのも辞さないような走りをしている。
私の感覚からいえば、これって逆なんですよね。この決勝戦での走りも、他地区の自力選手に「アイツはそう簡単に引かない」「甘くない」とアピールする結果にこそなりましたが、同時に“仲間”であるはずの中部の選手に、そっぽを向かれてしまう危険性がおおいにあります。得るものと失うものでいえば、後者のほうが大きい。だから彼にはもっと、仲間のために走るという意識をもってほしい。
そして何よりも、車券を買って応援してくれているファンのほうを向いていない走りだったと思うんですよ。強い内容で決勝まで勝ち上がったのもあって、「町田が記念を勝ったんだから今度は山口だ!」と応援してくださっているファンの方も多かったはず。連係しているのは他地区の選手なので、そこに気を遣う必要もない。自分が優勝する可能性だけを追い求められる、チャンスでもあったんです。
こういったことは、彼の父親である山口幸二さんや、師匠の山口富生さん(山口幸二さんの弟)が、後輩たちに口が酸っぱくなるほど伝えてきたことなんですよ。もちろん時代の流れもあるし、競輪学校で教えている内容が「競輪」から「ケイリン」重視にシフトしているのも承知していますが……それでもやはり歯がゆい部分がある。いろいろ考えさせられることの多い決勝戦だったなあ、というのが正直な気持ちですね。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。