アプリ限定 2024/05/07 (火) 12:00 58
平原康多(41歳・埼玉=87期)が、いわき平競輪場で令和6年能登半島地震復興支援として行われた大阪・関西万博協賛GI「第78回日本選手権競輪」を制した。GIは9回目の優勝で、ダービーは初制覇だった。一番勝ちたいGIタイトルを手にした。
平原本人はみじんも思っていないだろうが、その存在は気高くファンの心に位置している。“平原信者”という言葉があり、また“アンチ平原”も存在する。アンチが生まれてこそ一流、何かを成し遂げている証拠、という論じ方がある。高いところに、いる。
平原の進んでいる道、やっている競輪そのものについていきたい、そう思うファンは多い。正義、に映る。だからこそ、平原が活躍する裏を引っ掻き回したくなるのが人情というもの。いろんな業界にも存在すると思うし、競輪界にもいただろうし、現役では平原以外にもこうした環境を作っている“一流”はいる。
だからこそ、だ。だからこそ、平原は“そこにいる人”として今年のGI優勝とS班復帰が物語として設定されていた。41歳の誰よりもボロボロの肉体ーー。
その涙は、ファンのものでもあった。
競輪選手の究極はレースを頑張ること、に尽きる。だが、相手は人間。ここでいう相手とはファン。競輪はファンが車券投票を行わなければ、存在できない。選手とファンは“宇宙船競輪号”に一緒に乗っていて、燃料切れで塵芥になるわけにはいかない。
ファンを惹きつけることが選手には求められている。「いや、俺じゃなくても、たくさんいるでしょ!(笑)」という平原の声が聞こえる。答えよう。
「確かにたくさんいますけど、やっぱり平原康多は重要な責務を果たしてますから!」
信者とかアンチとか、コラムを書く上で際立つような言葉遣いをしているが、平原本人にはそんなものは関係ない。わかりやすく「喜んでくれる人がいたらうれしい」だろう。非難する人がいたとしても「まあ、また頑張ります」だろう。
平原は平原であり、ファンの競輪への向き合い方は自由だ。
さすがに書かないといけない。向き合い方は自由、と書いたが、よく言われるように自由はルールがなければ無軌道な暴力でしかない。平和という人類、地球、宇宙が共有するべき真理の中での自由しか、許されない。
インターネットの発達から、競輪のヤジという文化から、ゆがんだコメントをネット上で目にすることがある。わざと何かをゆがめようとすることもできる時代だ。選手が傷ついている事実もあれば、それを見ているファンが心を痛めることもある。
ファンとしての原点、もある。
競輪選手は文字通り命を懸けて、危険な戦いの場に身を置いている。おカネを賭けているから何を言ってもいい、書いてもいいは違う。競輪は社会を支える装置であり文化、ファンはそれを楽しむもの。納得できないレースがあって頭に来ることはあっても、“競輪を楽しむ”という原点からは絶対に外れてはいけない。また、楽しんでいる人たちを害することも許されない。
公営ギャンブルは、人生を豊かにするためにある。個人個人に対してまずそうであって、そこに集まった力が、社会の力になるものである。
最終日、いわき平競輪場には1万人を超える人たちが集まった。場内の様子を見に行くと、誰もが楽しそうだった。上述した小言なんか、本当はいらないはず。いくら丼を食べて、モツ煮込みをかき込んで、かき氷を競輪選手が自転車で漕いで作る装置で作ってもらって…。
「シンタロウーーー!!!」
心の底から、選手を応援して…。車券が外れても、そのレースを戦った選手たちを称えて…。「次は頼むぞ!!」と勝てなかった選手を励まして…。
もう25年くらい競輪のいろんな姿を目にして、競輪のいろんな形を考え続けていながらも、答えはとっくにある。そこにいる人たちがいる。
休肝日の夜。ついつい小言を書いてしまったものだが、鼻の穴からでも吸い込んで、ヘソから出してもらえばいい。「おっ、なんだコイツ!ケツの穴から出せば、って書くと思ったのに!ヘソかよ!」と思ってもらえばいい。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。