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すっぴんガールズに恋しました!

【田仲敦子】落車負傷から復帰できず引退「再開する熊本競輪で走る夢は叶わなかった…」多発する落車、ルールの整備を

アプリ限定 2024/02/25 (日) 16:30 51

2023年末、ガールズケイリン選手3人が代謝制度により引退した。1期生の白井美早子、2期生の田仲敦子、12期の奥平彩乃の3選手だ。
今月の『すっぴんガールズ』では田仲敦子のメッセージと、落車が多発しているガールズケイリン界への私見を述べさせていただきたい。

昨年末に現役引退した2期生・田仲敦子

落車に苦しんだ2期生・田仲敦子

 昨年末に引退した田仲敦子は、ガールズケイリン2期生として2013年5月に松戸でデビュー。同年12月のいわき平で初優勝を果たした。この優勝以降も的確なレースの読みと追走技術を発揮して車券に貢献し、ガールズケイリン初期を盛り上げた選手のひとりだ。

 しかしマーク戦主体のレーススタイルは、常に落車のリスクと隣り合わせだった。2015年12月四日市、2017年10月のいわき平、2019年5月立川と落車に見舞われ、それまでは乗れていた決勝戦から遠ざかってしまった。

オールガールズで気合入れ直した矢先…

 思うような成績が出なくても決して気持ちだけは切らさず、レースに参加し続けた。2022年6月末には平塚で行われたガールズケイリン10周年記念レース「ALL GIRL'S 10th Anniversary」を走り、104期の同期生や大勢のガールズケイリンレーサーと旧交を深めて気合が入った。

「2期生でガールズケイリンに入ったときは、ガールズ選手だけの開催なんてできるなんて思っていなかった。開催中はいろんな人と話をすることができて、このままじゃダメだと思った。自分より年上の選手が頑張っているレースを見て刺激が入りました。もう一度頑張ろう、と」

平塚オールガールズで同期から刺激を受けた(右から3番目が田仲)

 再浮上に向けてスイッチが入った次走の7月高松では予選2走で5、3着。3月防府以来の決勝進出を果たした。平塚で受けた刺激はきっちりと結果に表れた。

 しかし最終日の決勝戦で、またも落車。バンクにたたき付けられてしまった。
「特に頭を強く打ってしまった。出血の症状もあったので、しばらく安静にするしかありませんでした」

リハビリに励むも復帰は叶わず

 退院後は復帰に向け、少しずつ歩みだそうとした。しかし体は思うように反応せず、田仲を苦しめた。

「脳内出血の影響で右足にマヒが残ってしまいました。2か月ほど入院して、根気強くリハビリも頑張っていたんです。日常生活にはまったく支障がないくらいに回復しました。ただプロスポーツ選手として戦っていくための身体機能の回復には程遠く、引退することを決断しました」

 そうして落車したレース以降復帰することなく、2023年末の登録審査制度で代謝(強制引退)となった。

現役時代の田仲(photo by Shimajoe)

「今は熊本の選手会のお手伝いをしています。歩いたり、普通の生活をするうえで不便なことはないので大丈夫です」と気丈にふるまう彼女だが、志半ばでガールズケイリン界から去ることになり、胸にはやり場のない思いが残った。

「最後のレースが落車棄権で終わってしまったことは悔しいです。せめてゴールは切りたかった…」

10年間の現役生活、ガールズケイリンへの愛

 約10年の現役生活を振り返ってもらうと、山あり谷ありの中にも変わらぬガールズケイリンへの愛がうかがえた。

「キツいことが多かったですね。1期生の試験も受けていたのですが落ちてしまい、2期生でやっと選手になれました。デビュー当時は選手数も少なく、これからどうなっていくか分からない状況だったけど、1、2期生みんなでわいわい頑張っているときは本当に楽しかった。それから、やっぱり2022年夏の10周年記念開催(平塚オールガールズ)が成功したことは本当にうれしかったです。女子選手だけで3日間の開催をやり遂げて、大勢のファンの人が集まってくれたことは忘れられません。悔しいことも多かったけど、頑張ってきてよかったと思いました」

同期の梶田舞(左)とともに石井寛子(中央)の500勝を祝う田仲敦子

心残りは「再開する熊本で走れなかったこと」

 今年7月には、熊本地震で被災した地元・熊本競輪場の復活が控えている。もう一度ホームバンクで走ることを夢見て、人知れず重ねた努力は無情にも実らなかった。

「もう一度ガールズケイリンの舞台に立ちたいと思って頑張ってきたけど、体が無理でした。心残りは新しくなる熊本競輪場で走れなかったこと。熊本再開のニュースを聞いて、新しくなったバンクで走ることを目標に頑張っていたけど、この思いは叶いませんでした」

 そして今は競輪場の外からガールズケイリンの発展を願い、見守っている。

「これからはバンクの外側から競輪を応援していきます。ガールズケイリンが憧れの職業になって『将来の夢はガールズケイリン選手』という子どもたちが増えるといいですね。これからもっともっとガールズケイリンが盛り上がるように願っています」

 田仲敦子がやり残した思いは、熊本の選手たちやガールズケイリンの選手たちがきっと繋いでくれるはずだ。長い間、お疲れさまでした。

再開に向け、着々と工事が進む熊本競輪場(昨年10月時点)

多発する落車 大前提は「しない、させない」

 ここからはガールズケイリンの落車についての私見を書いていきたい。

 昨年に続き、今年もガールズケイリンでの落車が多く見られる。前記の田仲敦子、先月掲載の白井美早子のように落車が原因で選手生活が終わってしまった選手もおり、ガールズケイリンの公傷制度について考える時期が来ているのかもしれない。

 落車は当然、どの選手も故意にやっている事例は一件もない。どの選手もただただ勝ちたい気持ちが前面に出過ぎて、接触や強引な位置取りをしてしまうケースが多いように見受けられる。

(撮影:北山宏一)

 大前提は「落車をしない、させない」こと。これは競輪選手がレースに臨む上でもっとも大事なことだと思う。落車は選手にとっても痛いが、車券を買っているファンのことをがっかりさせてしまうからだ。

ルール違反を厳しく取り締まるべき

 審判の判定も重要だ。ガールズケイリンは特にヨコの動きが原則禁止されている。これは男子の競輪との大きな違いだ。
 落車の有無に関係なく、重大走行注意、失格はしっかりとるべきだと思う。

 ルール違反をしっかり取り締まれば、自ずと選手たちも真っすぐ走るようになるだろう。違反点の累積は、違反訓練や1か月、2か月の「あっせんしない処置」というペナルティを受ける。罰則によりレースに出られなくなれば選手たちは収入が減るだけに、危険な走りは控えると思う。

(撮影:北山宏一)

女子は適用外の「公傷制度」

 それから公傷制度だ。
 ざっとだが、男子の競輪の場合は、競走における事故(自らが失格になる行為は除く)で、31日以上の治療日数を要すると診断された場合は、規定される最低出走回数を越えていない場合に限り、同じ級班が保証される(これを公傷制度と呼ぶ)。ただし、このルールはA級3班(チャレンジ)の選手とL級1班のガールズケイリン選手には適用されない。

 クラス分けがまだできないガールズケイリンの場合、トップクラスのレーサーでも競走中に落車をして長期欠場になり、最低出走回数に届かない場合は修正用基準点数(いわゆる見なし点数)で成績が付けられる。これにより競走得点は下がり、欠場期間が長くなれば代謝の対象にもなる。そのためか万全の状態ではなくてもレースに復帰し、走る選手を多く見てきた。

(撮影:北山宏一)

 ただし公傷制度は悪用される可能性もないとは言い切れず、慎重に取り扱うべき問題だ。たとえば制度適用の条件を設け、落車前の直近4か月の競走得点を参考にするという方法もいいのではないだろうか。

 田仲敦子や白井美早子の場合も公傷制度があったなら、じっくり休み、治療をしっかりしてからレースに復帰するという判断もできたかもしれない。

より魅力的な「ガールズケイリン」に

 2023年はガールズケイリンにGIレースが新設され、グランプリを頂点とするロードマップが完成してきた。この先はルールや制度、待遇面での改革も大事になってくる。

 この先20年、30年とガールズケイリンが続くためには新しい世代の選手の参加は大事なこと。若者たちの憧れとなる、より魅力的な「ガールズケイリン」であり続けるためにも、選手たちが安心して走れる制度の整備を期待したい。

(撮影:北山宏一)

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松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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