2023/12/21 (木) 15:00 38
平原康多選手のとても長くて険しい2023年の戦いが終わりました。度重なるアクシデントで体は満身創痍。それでも最後まで自分の体と自転車を模索し続け、逃げずに競輪と向き合う姿を近くで取材させてもらいました。どんな状況でも全ての質問に対して真摯に答えてくれるメンタリティーの裏には、平原選手の確固たる信念がありました。
ーー1年の激闘お疲れ様でした。どうしても周囲はグランプリ連続出場のことが気になってしまいます。競輪祭はそのラストチャンスでした。どういうメンタリティーで臨みましたか?
SSがどうとかは、正直まったく考えていませんでした。これまで色々とけがは克服してきたけど、これだけ腰痛が治らなかったことは経験がなかったので、どれだけ自分本来のパフォーマンスに戻せるか? そればかりを考えていましたね。
ーーはたから見ても本当にけがに見舞われて大変そうな一年でした。ここまで続くと、さすがに厄年のせいに思えてきませんか?
実際、厄年と言われる年にこれだけ不幸が重なると、そのせいにもしたくなりますよね。そう考えざる得ない時もあって、何度もお祓いにも行きました。でも、やっぱり神頼みじゃなく、最後は自分の努力で何とかしたいと思います。
ーー競輪祭の1次予選①は、自力の番組で後ろが成田和也選手でした。メンバーを見てどういう感想を持ちましたか?
競輪祭のトライアルは、いつも他地区との連係や、自力でやることが多かったので、まあこんな感じになるだろうなというぐらいですね。
ーーレースは町田太我選手と野口裕史選手が主導権を争う中団にいて、いい流れに見えました。後方の寺崎浩平選手が仕掛けた時、いい時の平原選手なら、合わせて出て行くか、寺崎選手にスイッチしていくと思ったのですが…。
レースの動きそのものは想定内でした。それなのに後手後手になってしまう。頭で分かっていてもそれが出来ない現状を痛感させられたレースでした。
ーー2走目(1次予選②)は勝手を知った森田優弥選手が目標にいました。少し安心感はありましたか?
誰と連係する時も差を付けないようにとは思っていますが、森田は連係回数も多いし、他の人よりも考え方が分かる分、やりやすさは感じますね。
ーー森田選手の頑張りもあって、何とか2着で2次予選に進みました。レース後はどのような感情でしたか?
う〜ん……、ホッとした感情はあったんでしょうけど、自分としてはスッキリした走りが出来ていないし、どこか複雑でしたね。
ーーそして2次予選です。坂井洋選手が叩き合いをまくるいい展開かと思いましたが、坂井選手も出られず、平原選手も簗田一輝選手にいいブロックをもらってしまいましたね。
競輪って難しいな…があのレースの感想です。坂井が止まってしまって、ちょうどそこで簗田に当たられた。ワーストタイミングでした。スピードが鈍った時に踏んでいってしまった方が良かったのか、こういう時にどうするのが正解だったかは今でも答えが出ませんね。
ーー結果的にあそこでグランプリ出場の可能性が消えました。
そこにいた記者さん達が何かコメントを言って欲しそうだったので、「これで色々終わりましたね」と言いました。でも、グランプリに出る出ないじゃなく、今年は本当に戻そう戻そうと一生懸命やってきたので。自分の体がどういう状態かは分かっているし、思った通りの結果が出てしまった。そこにはうまく言い表せない感情がありました。
ーー平原選手は、勝っても負けても、いかなる状況でもコメントを出してくれる姿勢に頭が下がります。本当は何も話したくない状況もあったでしょう。
人間だから悔しい感情はもちろんあります。でも、コメントを求められたら答えないといけない立場だし、ふてくされた態度を見せないように心がけています。
ーーそれはなぜですか?
自分が特にみっともないと思っているのは、勝った時にキャッキャとはしゃいでしまうことなんです。勝つ者がいれば、そこには負けた者もいます。紳士のスポーツじゃないけれど、なるべく態度には気をつけてきました。喜びは仲間と分かち合えばいいので。
ーーそれでも褒められたい時もあるでしょう。誰のどんな言葉、もしくはどんな瞬間に喜びを感じますか?
ちょうどその質問を待っていました。実は競輪祭の5日目、坂井とワンツーを決めた時に、まるで何年か前に競輪祭で優勝した時ぐらいの歓声をいただいたんです。この1年、こんな声援をもらえるような走りは出来ていなかった。マジかよと思ったし、ジーンとしてしまいましたね。
ーーそれは場内で見たかったですね…。
インタビューの後、場内でその光景を見ていた記者さんが興奮気味に駆け寄ってきて、「感動したよ。泣いちゃいそうだったよ」と。見ると、泣いちゃいそうじゃなくて、涙流して泣いちゃってるんですよ(笑)。こうやって心から応援してくれる人がいる。こういうのを味わうと辞められないですよね。自分もちょっと泣きそうになったし、ここからまた何とか頑張ろうと奮起させられました。
ーー最終日の落車の程度はどうだったんですか?
肩鎖関節の亜脱臼みたいな状態で、痛みはありました。さすがに伊東記念には間に合わなくて、1本休ませてもらいました。でも、腰痛があまりにも酷いので、肩自体はたいしたことないと思えました。
ーーその後の佐世保G3は、かなりいい動きに見えました。痛みが緩和されたんですか?
実は佐世保でフレームを変えたんですよ。競輪祭帰りの空港で、何年か前に浅井(康太)が優勝した決勝(2018年)の映像がYouTubeのオススメに出てきたんです。それを見たら、脇本(雄太)の先行をまくりに行ってる自分がいて、ああこんな乗り方をしてたんだなと思い出しました。
ーーでは、その当時のフレームを?
家に帰ってから引っ張り出しました。セッティングも調整して、これなら腰の負担も少なくていいかもと思えたんです。
ーーその時にそんなに良かったフレームでも、また次々に変えていくんですね。
周りのレベルが上がるにつれて、自分も車を進ませたい。今のビッグフレームを操るには、ものすごく体幹力が必要なんです。実際にワッキーも腰痛を持ってるじゃないですか。その時々で試してきたことに後悔はないけれど、やっぱりそういう負担で体に歪みがきていたんですね。
ーー佐世保では初日から伸びていたように見えました。特に坂井選手のまくりを差した2日目は余裕を感じました。
初日は栃木の3番手だったんですけど、坂井がいつ出て行ってくれるのかとウズウズしている状態でした。このニュートラル感というのが久々で。ここ最近は付いていくのがキツいなという状態が多かったので、いい方向性に向かっているのを感じましたね。
ーー準決は久島尚樹選手に差されてしまいましたが、少しかばい過ぎましたか?
そうですね。でも、自分のことだけじゃないんで。僕から買ってくれたお客さんには本当に申し訳なかったですけど、頑張ってくれた人は最後までかばいたい。ただ踏んで1着になれたとしても、そこに喜びはないんです。前を走る選手の気持ちも分かるし、喜びは一緒に分かち合いたいんですよ。僕がけっこうかばい過ぎて2着とかになってしまうのは、長年見ていて分かっている方も多いんじゃないかな。
ーーそういう特徴も分かった上での展開推理が必要になりますね。
そこが競輪の奥深さでもあると思うんですよね。でも本当に難しいです。
ーー決勝は九州5車でした。車番的にも関東が立てられる作戦は少なかったのでは?
作戦を立てる段階で、ああなるかなとは思っていました。内を極めて待っていたんですけど、(小林)泰正はスイッチが入って戻って来なかった。その後は井上昌己の追い上げが効いたし、塚本大樹も内から来てアンコになってしまった。まだまだ自分が甘いということです。
ーーこのレースで大変だった2023年が終わりました。こんなにキツい年は経験がなかったのではないですか?
そうですね。競輪だけじゃなく、常に考えることが多かった。立ち直りの早い性格だから良かったけど、それでもメンタルは相当鍛えられました。まさに修行って感じでしたね。24年は飛躍したいです。
ーー今年は11年ぶりにグランプリを外から見ますね。今日は前夜祭がありました(取材は19日に行われた)。今年のメンバーを見て感想はありますか?
眞杉(匠)がタイトル2つ取ってるのに4番車なんだ〜とは思いました。
ーーもちろん眞杉選手を応援しますよね?
当然、眞杉しか応援していないですよ。
ーー数年前から平原選手は眞杉選手を買っていましたが、本当に強くなりました。競輪祭の決勝はこれしかないという走りをしましたね。
間違いなく、運ではなく実力で取りましたね。改めてすごい選手だなと感じました。
ーー眞杉選手と他の若手との違いは?
競輪が分かっているし、どうやれば上に上がっていくかも分かっている。決して踏み外さない人間だし、自分が余計なことを言う必要もないと感じました。
ーー来年はまた眞杉選手と平原選手のコンビをビッグレースの決勝で見たいです。
これまで何度かそういう機会があって悔しい思いもしてきました。来年こそはどちらかが優勝できるように決めたいですね。眞杉はSSになってまた来年チャンスが広がると思うんで自分次第でしょう、ははは。
ーーぜひ復活して下さい!
けがも実力のうちです。それを克服して、来年また眞杉や関東の仲間たちといい場面で走りたいですね。
(※文中敬称略)
平原康多
Hirahara Kota
埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。