2023/11/07 (火) 18:00 85
10月の平原康多選手は、GI寬仁親王牌(弥彦)と京王閣GIIIに出場しました。その8走全てが番手でのレース。展開面に左右されることも多く、なかなかコンディションが見えにくい部分もありました。そのあたりを含め、今回はレース中の心境などについても深く聞かせていただきました。
ーー10月の激闘お疲れ様でした。親王牌の初戦、特別選抜予選は素晴らしいスタートになりました。
そうですね。かなりきついメンバーだったし、そこで眞杉(匠)とワンツーが決まったので余計にうれしかったですね。
ーーコンディションの面はどうだったのですか? 日によって良かったり悪かったりしたように見えたのですが。
足のしびれがなくなって、しっかり両足で踏めるまでに回復しました。ただ、腰の痛みだけは残っています。
ーー現地で見せていただきましたが、腰のテーピングの下にサザエのフタを貼っていたのには驚きました。
試せるものは何でもやります。マッサージもほぼ毎日通いましたし、お金も時間もかけて毎日ケアしています。でも、練習で筋肉が張って、マッサージで緩んだ部分を押し返すから、また痛みが戻る。その繰り返しですね。
ーー2日目のローズカップですが、平原選手の3番手から勝った古性優作選手が「内に行くチャンスは何度もあった」と話していました。ライン2車の場合は番手で仕事をすればインが空いてしまいます。どのように考えてけん制に動くのですか?
あのレースで言えば、空けたら古性が来るのは分かっていました。でも、来られたとしても外を止めなければいけないし、その瞬間で優先順位があります。バックでだんだんと前(眞杉)と詰まってきて、外を差してしまった。そこを古性に来られました。来ると思っていたから一発目は耐えられたんですが、二発目はもう無理でしたね。
ーーラインに3番手がいれば、内を締めていてくれるんでしょうが…
後ろがいなくても何もしないわけにはいきません。番手のけん制については、今後も色々と考えないといけませんね。3番手がいないケースや、7車立ての対応なんかも。
ーー最終日の優秀戦は、結果こそ良くありませんでしたが、前で奮闘した吉田有希選手を讃えるシーンが微笑ましかったです。
さわやかな感じで取り上げてもらいましたけど、内心はめちゃくちゃ悔しいんですよ。でも、先を見据えてレース後に話し合ったり、声をかけたりすることはとても必要なことです。あの走りが(吉田)有希の持ち味だし、今後も頑張ってもらいたいですね。
ーー続く京王閣G3は、初日が残念な結果(目標の眞杉匠が失格)になってしまいました。
眞杉は北井(佑季)を出さないと決めていて、あそこが意地になるポイントだったのでしょう。ただ、不可抗力の部分もあって、眞杉自身も思った以上に行っちゃった感じでした。僕もあそこまで上がるとは思っていなかったし、ちょっと空振っているように見えたので、一緒には上がりませんでした。
ーー再ドッキングがきつそうでしたね。
山おろしの眞杉に下から飛び付く感じですから、それはきつかったですよ。
ーー眞杉選手は、先行のライバルとして新山響平選手を意識していると思うんですが、北井佑季選手や犬伏湧也選手なんかが次々に出てくる。非常に大変な立ち位置ですね。
眞杉も北井も今の競輪界を牽引している2人だし、意地になるのも分かりますね。若い時のぶつかり合いはみんなありますよ。
ーーああいう眞杉選手の心情は、昔はバチバチにやっていた平原選手なら良く分かるのでは?
ははは。確かに眞杉や森田優弥の気持ちは良く分かります。
ーー平原選手が眞杉選手くらいの頃、ライバルとして意識していたのは誰ですか?
新田(祐大)や、山崎(芳仁)さん、(渡辺)一成とか、西なら稲垣(裕之)さんとは自力でぶつかり合っていたイメージがあります。でも、常に意識していたのは武田(豊樹)さんでしたね。ライバルというには語弊がありますけど。
ーー確かに最初は武田選手とは別線で戦っていましたからね。
当時は武田さんが常に上にいて、追いつきたい一心でやっていました。
ーーその2人が結びついたんだから、そりゃ関東ゴールデンコンビはすごいラインになりますよね。
まぁそうでしょうね、はははは。
ーー話を戻しますが、京王閣では2次予選と、最終日に河合佑弥選手と連係しました。最近だいぶ河合選手のコンディションが上がっていたと思います。
初日の走りを見てそう思っていたし、だから2日目にあの仕掛けで出切ってくれた時は楽勝で(ラインで)決まったと思いました。
ーーゴール前で止まってしまったような感じでしたか?
そうですね、付いていてビックリしました。強引に仕掛けた分、そのロスが最後に響いてしまったのでしょう。
ーーきっと2日目は河合選手を残したかったでしょうし、最終日の特選は意地でも残しに行くのでは? と思って見ていました。
東京・東京の間に入れてくれた朝倉(佳弘)さん3番手にいたし、自分も難しい立場ではありました。岩谷(拓磨)が早めに来てくれれば、止めて残せたと思います。ただ、まくり追い込みみたいな感じで来られてしまったので、かばうとみんなが生きなくなると思って踏ませてもらいました、河合に関して言えば、最終日の方がペースも良く、足は残っていました。
ーーヤンググランプリにも出て将来を有望視されていた河合選手が、ようやく本格化しそうですか?
今の競走を続けていれば、河合佑弥という看板をどんどん売り込めると思います。いっぱい褒めてあげて下さい。ははは。
ーー11月は四日市GIII、GI競輪祭と続きます。ここまで本当に大変なシーズンでしたね。
ここまでけがが治らないのは味わったことがありません。過去最高のダメージだったし、けがが大変ということを思い知らされました。
ーーけがをする直前の春先は、すぐにGIで優勝するのでは? と思えるくらい状態が良く見えました。今の腰の痛みが治れば、またその状態に戻せると思いますか?
もちろん必ず戻せます。今年の経験は今後の財産になるし、しなきゃいけない。年齢を重ねて脚力や筋力が落ちているとは全く感じません。治癒能力は少し落ちたとは思いますが、考えないといけないのは、けがだけではないんです。
ーーそれは何ですか?
自分の立ち位置ですね。レースで与えられる位置です。今はどこに行っても当たり前のように番手が用意されていて、走っている時に考えること、やることが多い。自力ならここと思ったところで行けばいいけど、追い込みだと邪念が入ります。ここで踏めば勝てるけど、前が残れないとか。流れに乗らなければ成績は下がってしまうし、色々と考えさせられます。
ーーけがをする前は、十分に対応していたじゃないですか。
まあそっか。ははは、そうですね。
ーー四日市も出場しますよね。
走りながら治すと決めていますから当然走ります。今は順風満帆にいかないのが面白いんだと、プラスに捉えていきますよ。
ーー過去にも辛い時期は何度かあったと思います。
若い時に、2年くらいSSから落ちていた時期がありました。けがではなかったけど、その時期に色々と考えさせられたから、そこからの10年を頑張れた。今の状況、気持ちとかぶる部分があるし、乗り越えて必ず復活しますよ。今は体としっかり向き合って、まずは競輪祭に間に合わせたいですね。
平原康多
Hirahara Kota
埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。