2024/01/15 (月) 18:00 78
2023年は11年ぶりにKEIRINグランプリを外から見た平原康多選手。その胸中はどうだったのか。2024年にかける思いは? 今年最初のコラムは、眞杉匠選手の祝勝会会場での取材となりました。選手仲間や関係者と記念撮影をするなど、普段とは違う平原選手の素の表情もお楽しみ下さい。
ーー関東に新しいタイトルホルダー誕生ですね。眞杉選手の昨年の活躍はいかがでしたか?
すごかったですね。6月くらいまでは自分も入退院を繰り返していたし、関東がどうなるのかと外から見て心配な部分もありました。でも、その頃に眞杉と食事をしたんです。彼の考え方を聞いて、何も言うことはないなと思えました。
ーーその後、すぐにオールスターで結果が出ましたね。
自分の見る目が間違っていなかったなと。そこもちょっとうれしかったです、ははは。
ーー昨年のGPは、初出場の眞杉選手が関東で唯一の参戦でした。平原選手はレースをどこで見ましたか?
GP当日は、立川から遠くない西武園で練習をしていて、道場で見ました。おおよそイメージ通りの展開だったし、僕が予想する立場だったら完全に当たっていましたよ、はははは。
ーーちょっとの差で眞杉選手にも優勝のチャンスはあったと思います。
確かに眞杉は惜しかったけど、それを言うと“たられば”になっちゃいますから。
ーー外から見るのは久しぶりでしたが、自分のいないGPの舞台をどう感じましたか?
遠い世界の出来事ではなかったし、憧れの舞台とも思いませんでした。ここにはもう戻れないという感覚もまったくなかったですね。
ーー今年は完全復活に期待します。
まずはコイツ(ヘルニア)をやっつけてからですね。この写真は12月のものなんですけど、あれだけケアと治療に時間を費やしたのに、まだこれぐらいなのかとショックでした。
ーー昨年の後半は立ち上がるのも辛そうでしたけど、今の状態はどうなんですか?
成田(和也)さんや、ワッキー(脇本雄太)に相談して、大宮記念の後に初めてブロック注射を打ったんです。もっと早く打てば良かったと思いました。
ーー即効性があったんですね?
個人差はあるみたいですけど、僕には合っていました。痛みがゼロになったわけではないけど、すっと椅子から立ち上がれるし、私生活ではストレスを感じないぐらいの状態ですよ。
ーートレーニングも変わりましたか?
痛みのない頃に近い状態で出来ましたね。ただ、効果がずっと続くわけではないし、これも1つの治療法として、マッサージとかも続けながらきちんと戻していく感じです。
ーー腰痛には本当に苦労しましたね。
過去に腰痛で悩んでいる先輩たちを見ていても、どこか他人事でした。自分がなってみて大変さを思い知ったし、ここまできついとは思わなかったですね。治療を重ねて色んな知識は増えました。厄年も抜けたので、今年は良くなってくれるでしょう。
ーー今年はまず大宮G3からスタートしました。何か昨年と変わりましたか?
昨年の延長線上で走った感じでしたけど、自転車に乗れるポジションが広がった感覚はありました。可動域が増えました。
ーーまず初日にサプライズがありましたね。深谷(知広)選手との初連係には驚きました。
ははは、過去にも何度かオファーはあったんですよ。
ーーそれでもしてこなかった。今回の連係の決め手は何だったのですか?
眞杉が欠場した特選メンバーを見て、深谷には成田さんが付くだろうし、自分は単騎でやるつもりで大宮の門をくぐったんです。そしたら、まず成田さんに会って『平原が深谷に付くなら、3番手でいいぞ』と言われました。
ーー急に新しい選択肢が出ましたね。
予想外でした。でも、自分の調子が悪い状況もあるし、成田さんの提案を受けることにしました。
ーー深谷選手は平原選手と成田選手との連係を喜んでいたように見えました。
俺もうれしかったし、2人もそうだったらいいですね。怪物と呼ばれていた深谷とはずっとライバルでやってきて、魅力しかない選手。成田さんも尊敬している選手でしたから。
ーー今後も他地区の選手との連係は増えそうですか?
20年のGPでワッキーに付いた以来の他地区連係と言われていたけど、実はその前に1度あるんですよ。
ーーえ!? ありましたっけ?
もう10年以上も前になるかな。西武園のF1で坂本貴史に『付いてもらえませんか?』と言われて、付いたことがあるんです。
ーーそれは記憶になかったです。今後は解禁ですか?
僕は他地区には付かないと言ったことはないんですよ。納得して終わりたいという点にこだわっていただけで。
ーーその流れで聞きますが、昨年は後ろを回らなかった宿口陽一選手に、決勝で前を任せました。
昨年の経緯もあるし、自分が前で頑張りたい気持ちももちろんありました。でも、宿口が「頑張りますから」と心から言ってきたことに動かされました。この1年以上の間で彼なりに変わった部分もあっただろうし、そう言われたらダメとは言えなかったですね。
ーー決勝に埼玉勢は5人そろいましたが、清水裕友選手1人にやられてしまった感は否めませんでした。
埼玉勢は全員が協力して力を出し切ったので、清水が強かったと言う以外にないですね。稲垣(裕之)さんも離れてしまいましたから。だから、誰がどうではなく、全員の力不足。もっと頑張らないといけないと思いました。
ーーコロナ禍ではこういった祝勝会も出来ませんでした。関東勢の仲良さそうな表情が見られて良かったです。平原選手も色んな方と記念撮影されてましたね。
江連(和洋)さんとは撮りたかったんですよ。あの歳であれだけ頑張られてる。ボクの方がファンなんです、ははは。
ーー吉田拓矢選手も帰ってきました。
悔しさを味わって人は強くなれる。諦めるのは簡単だけど、そこから這い上がれるのが本当に強くなれる人だと思います。もちろん、これは自分にも言い聞かせているんですけどね、ははは。
ーー今年の関東勢には期待していいですね。
ライン全体の意識を統一していくことが重要。これは関東のみんなが思っているはずです。
ーー平原選手が変えようとしていることはありますか?
そういえば、年末に初めて誘導の免許を取ったんですよ。
ーーえええ!!! F2戦で平原選手が誘導を引いていたら、周りが驚くでしょう。
何かやらかしてお金に困ったか? と言われるかもしれません、はははは。
ーー平原選手もすでにF1戦のあっせんが出ていましたね。11年ぶりになります。
それには心構えも何もないですよ。普段通りに走るだけ。与えられた場所があるだけありがたいことですから。
(※文中敬称略)
平原康多
Hirahara Kota
埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。