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山田裕仁のスゴいレース回顧

【日本選手権競輪 回顧】競輪史上に残る大接戦!

2021/05/10 (月) 18:01 11

残り1周ホームを先頭で追加する清水裕友(橙7番車)。腹を括った素晴らしい走りを見せた(撮影:島尻譲)

現役時代はトップレーサーとして名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが日本選手権競輪(GI)を振り返ります。

2021年5月9日 京王閣11R 第75回日本選手権競輪(GI・最終日)S級決勝

左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①平原康多(87期=埼玉・38歳)
②郡司浩平(99期=神奈川・30歳)
③松浦悠士(98期=広島・30歳)
④武藤龍生(98期=埼玉・30歳)
⑤浅井康太(90期=三重・36歳)
⑥松岡健介(87期=兵庫・42歳)

⑦清水裕友(105期=山口・26歳)
⑧眞杉匠(113期=栃木・22歳)
⑨佐藤慎太郎(78期=福島・44歳)

【初手・並び】
←⑦③(中国)⑥(単騎)⑤(単騎)⑧①④(関東)②⑨(混成)

【結果】
1着 ③松浦悠士
2着 ②郡司浩平
3着 ⑨佐藤慎太郎

ラインの駆け引きに注目が集まった決勝戦

 5月9日には京王閣競輪場で、日本選手権競輪(GI)の決勝戦が行われました。いわゆる「ダービー」ですね。特別競輪のなかでもとくに“格”が高いレースで、年末のKEIRINグランプリよりも、こちらを獲りたいという選手がいるほど。それに賞金も高いですから、2着でも年末のグランプリ出場にグッと近づきます。

 S級S班からは5人が決勝戦に進出し、その他も浅井康太選手(90期=三重・36歳)など強豪ぞろい。関東ラインだけが3車で、あとは2車か単騎という細切れ戦となったことで、展開の「読み」が難しく、かつ面白いものになりました。どのラインが逃げて、どのラインが捲るのか。そういった競輪の醍醐味が存分に味わえる決勝戦でしたね。

 展開のカギを握っていたのは、関東ラインの先頭を任された眞杉匠選手(113期=栃木・22歳)です。G1の決勝戦に乗るのは今回が初で、しかも後ろには、関東地区を牽引する存在である、平原康多選手(87期=埼玉・38歳)がついています。プレッシャーは大きいですが、それだけにここは、積極的な先行策で後続のスピードを引き出すような競輪をするはず…というのが戦前の見通しでした。デキも絶好調だったと思いますよ。

 常に注目を集める中国“ゴールデンコンビ”は、清水裕友選手(105期=山口・26歳)が前を走るカタチに。じつは私、決勝戦では松浦悠士選手(98期=広島・30歳)が前を走るのではないかと思っていたんですよ。というのも、松浦選手のデキがよくは見えず、清水選手のほうが調子は格段にいいと感じていたからです。松浦選手のダービーにかける思いを知る清水選手が、前を買って出たのかもしれませんね。

 GIを3連続優勝という偉業達成がかかる郡司浩平選手(99期=神奈川・30歳)は、佐藤慎太郎選手(78期=福島・44歳)との即席コンビで決勝に臨みました。4日目のゴールデンレーサー賞では素晴らしい追い上げをみせて松浦選手に競り勝ち、準決勝でも危なげなく快勝と、まさに絶好調といえるデキ。今の彼には、一昔前とは比べものにならないほどの安定感があります。

 そして、浅井選手と松岡健介選手(87期=兵庫・42歳)は単騎を選択。中部と近畿なのでラインを組むという手もあったと思いますが、ここは単騎のほうがメリットが大きく、優勝に近づけるという判断だったのでしょう。優勝候補である松浦選手の「後ろ」あたりは、かなり美味しいポジションですからね。

脚を温存する中国ラインが郡司選手の仕掛けを待つ

 では、決勝戦の回顧に入っていきましょう。スタートから積極的に前の位置を取りにいったのは、松浦選手。つまり、ここは中国ラインが「前受け」です。その後に続くのが、単騎の松岡選手と浅井選手。眞杉選手が先頭を走る関東ラインは、5番手から。そして郡司選手は8番手からというのが、初手の並びとなりました。

 最初に動いたのは、セオリー通りに最後方にいた郡司選手。しかし、彼が押さえにいったのは先頭を走る清水選手ではなく、眞杉選手でした。外側を併走することで「フタ」して、主導権を握りたい関東ラインの動きを抑え込みますが、眞杉選手は引かずに抵抗。いったん引いて後方からカマシ先行という手もあったと思うんですが、それではダメだという考えがあったのでしょう。そのままの態勢で、レースは打鐘を迎えます。

 この時点で、眞杉選手が主導権を握るという展開は、ほぼなくなりました。そして赤板(残り2周)の3コーナーあたりから、郡司選手が前へと進出を開始。この動きを察知した清水選手も「自分が逃げる展開になった」と腹をくくって踏み始めます。郡司選手は最終ホームで、3番手にいた松岡選手を内に押しやって、ポジションを奪取。それとは対照的に、眞杉選手は7番手に置かれ、完全に仕掛け遅れたカタチとなってしまいました。

 これでレースは、先頭をいく中国ラインと郡司&佐藤の即席コンビによる優勝争いに。中国ラインはここまで脚を温存できていますが、それでも「絶好調の郡司選手が直後の3番手にいる」というのは楽ではありません。これは郡司選手が優勢か、と思ったんですが、先頭を走る清水選手の「掛かり」が素晴らしく、そう簡単には差を詰められそうにない。番手の松浦選手は車間を少しだけ切って、郡司選手の仕掛けを待ち構えます。

清水選手の腹を括った走りが松浦選手を優勝に導いた

 そして4コーナー。松浦選手がタテに踏むと、郡司選手も外から急追。さらに内からは、郡司選手の番手にいた佐藤選手が襲いかかります。最初は外の郡司選手を意識していた松浦選手でしたが、内からグングン伸びる佐藤選手を察知して内へと切り込み、軽く肘を入れて抑え込もうとしたところがゴール。外の郡司選手も伸びており、完全に3車が横並びという、競輪史上に残るような大接戦となりました。

 写真判定の結果は、1着が松浦選手、2着が郡司選手、3着が佐藤選手。すべて「微差」ですから、仕掛けどころがほんの少しズレるだけでも、この着順は簡単に入れ替わっていたはずです。レースの組み立てでは郡司選手が一歩リードしていましたが、最後は“ゴールデンコンビ”の絆の強さがその上をいった、というところでしょうか。ダービーにふさわしい、素晴らしいレースになったと思います。

 勝ったのは松浦選手ですが、レースの主役は郡司選手でしたね。中国ラインではなく関東ラインを押さえにいったのが「技あり」で、もし眞杉選手が後方に引いた場合でも、郡司選手にとっては“利”があるんですよ。いったん後方に引いた眞杉選手がそこから主導権を握ろうとすると、今度は先頭をいく清水選手との「もがき合い」になる可能性が高い。そこを一気に捲れば、高確率で優勝争いに持ち込めます。

2着の郡司浩平。惜しくもGI3連勝はならなかったがレースを支配した(撮影:島尻譲)

 そんな素晴らしいレースメイクをした郡司選手を松浦選手が退けられたのは、いわば「逃がされる」展開になった清水選手が、素晴らしい走りをしてくれたからこそ。松浦選手本人もコメントしていましたが、調子はけっして良くはなかった。松浦選手が本調子で、清水選手があれだけ掛かりのいい逃げをしてくれたら、こんな大接戦になっていませんよ。この大接戦をモノにできたのも、清水選手のおかげです。

 最後に、関東ラインについても少々触れておきましょう。やりたいレースをさせてもらえなかった眞杉選手ですが、それが競輪というもの。勝負事なんですから、相手が嫌がることをしてナンボ、力を出せないカタチにもっていってナンボです。クリーンな勝負が好まれる時代になったとはいえ、そこは何も変わりません。

 それに、平原選手は落車によるダメージが大きく、眞杉選手がうまく主導権を握る展開になったとしても、けっして楽ではなかったと思います。なんとか決勝戦に出られるというデキで、しかも絶好調の郡司選手や清水選手と張り合うとなると、やはりキツいものがあります。悔いの残る結果だったと思いますが、まだまだ競輪は続いていきますからね。「次」に期待したいところです。

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山田裕仁のスゴいレース回顧

山田裕仁

Yamada Yuji

岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。

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