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平原康多の勝ちペダル

【#38】痛みと背中合わせのレースが続いた戦いに「気持ちでカバーした数ヵ月」

2023/09/28 (木) 18:00 55

立川GIII、鳳凰賞典レースにて(撮影:北山宏一)

平原康多選手は、8月のGI西武園オールスターから中4日の松戸GIIIに出場。その後も立川GIII、青森でGII共同通信社杯と厳しい連戦が続きました。松戸、立川は決勝3着。まずまずの成績を上げた裏で、実は体が悲鳴をあげていました。青森の後、休養期間に入っていた平原選手を直撃し、現状について語ってもらいました。

◆どれだけ気持ちでカバーできるか…

ーーオールスターの興奮が冷めやらない中での松戸出走はヘビーでしたね。

 ヘビーでしたけど、ここだけに限らず、ずっとそういう状態ですね。まず武雄(4月)で肩甲骨をやって、復帰した宮記念杯(6月)に股関節をやって、今度はヘルニアの症状が出て、左足に麻痺が出てしまいました。

ーーえ! 松戸と立川では、かなりコンディションが戻っている動きが見られましたが…。

 そう見えているだけですね。かばいながら走っていました。今、成田(和也)さんがそんな感じじゃないですか。似た症状だと思います。

ーー確かに松阪GIIIでの成田選手は辛そうですね。青森の初日に平原選手が打鐘の3コーナーから先行した時も体はそんな状態だったのですか?

 後ろに2人付いてくれたし、行くタイミングが来たので自分のレースを貫いたんですけど、体の状態と照らし合わせれば無謀だったかもしれません。残り半周のところで踏めなくなる症状が出ました。さすがに、このままじゃ体が壊れちゃうと思いました。

ーーそれでも仕掛けたのは本能的なものですか?

 体が反応したんでしょうね。ただ、負けようとして走ったわけじゃないし、やるべきことをやって終わろうということは常に頭にあります。でも、ここまでの無理が祟ったんでしょう。ちょっと限界でした。

ーーここ数ヶ月は常に痛みと不安との戦いですね。

 宮記念杯は心配が肩甲骨だけだったから、不安はなかったんです。ただ、宮記念杯で股関節をやった後の前橋GIIIを無理に走ってからは、1つの自信もない状態でした。ここを耐えなきゃいけない、どれだけ気持ちでカバーできるかやってみよう、そんな感覚で数ヶ月を過ごしてきました。

「やるべきことをやって終わる」常に頭にあること(撮影:北山宏一)

ーーそこまで追い込む理由は何ですか?

 やっぱり気持ちが切れてしまうことが怖いからですね。

ーー次のGI寬仁親王杯までは少し時間があります。今の状態は?

 配分が空いたのは救いでした。10日は休もうと思って、自転車に乗りませんでした。今日がその最終日(取材は25日に行われた)です。麻痺はだいぶ緩和されてきて、半分以下になりましたよ。明日から自転車に乗り始めようと思っています。

ーーやっと本格始動ですね。

 今、整体に来ているんですけど、無理した分のスジの張りがすごい。それを取りながら調整していく感じになります。

ーーそんな状態でも、出場したレースでは数々のドラマがありました。まず聞きたいのは、森田優弥選手についてです。森田選手の斡旋停止の期間に何かやり取りはあったのですか?

 斡旋が止まる前に一緒に酒を飲みました。自分もペナルティで走れない期間はあったので、その時の経験を話してやろうと思ったし、悪いことばかりじゃないから腐らずに頑張れと言いました。

ーーその教えが響いたんですね。強くなって森田選手は帰ってきました。

 僕の言葉が響いたかは分からないけど、この時間を怠けるか、頑張るかで今後が変わってくるじゃないですか。森田はもともと怠けるタイプじゃないし、強くなって帰ってきてくれて良かったです。

立川GIII決勝ゴール後、森田選手と言葉を交わす平原選手(撮影:北山宏一)

◆本当はうるさいことは言いたくない(笑)

ーーではその森田選手が優勝した立川GIIIの話を聞かせてください。2日目には武田豊樹選手とのワンツーがありましたね。ファンは当時を思い出したでしょうし、武田選手も喜んだんじゃないですか?

 僕自身はうれしかったですよ。武田さんはどうだったのかな、ははは。

ーー準決の動き(眞杉匠の先行に乗り、清水裕友のまくりをブロックして1着)は、調子が上がっているように見えました。

 結果は良かったけど、もう少しタイミングだったり、やりようはあったのかなと思います。

ーー決勝は3着でした。この結果については?

 本来なら優勝の展開でしたから情けないです。ファンの車券に応えられず、申し訳ない気持ちしかありません。その時、その時で全力は出しているんですけど…。

ーー森田選手が番手から出ていく時に少し車間が空きましたね。

 ホームの向かい風のところで内を差してしまい、そのままコーナーに入りました。そこで内側からの森田のダッシュに遅れてしまった。それでもちょうどいい車間だと思ったし、焦ってはいませんでした。でも、やっぱり左足が麻痺している感じでそこから踏めなかったですね。

ーー眞杉選手が前回りを買って出て、森田優弥選手のGIII初優勝。関東としてはいい結果で終わったのかなと思います。眞杉選手のオールスター優勝から関東のムードは変わりましたか?

 オールスターがすごくいい雰囲気で、そこからはそのまま来ている感じがしますね。

ーーオールスター前に平原選手が関東の後輩たちに強く思いを伝えたという話を聞きました。“効果てきめん”だったのでは?

 本当はうるさいことは言いたくないんですよ、ははは。でも、結果的にみんなが前を向いて、先を見てレースをするようになってくれたと思います。

ーー関東が結束したことで眞杉選手のタイトル獲得、森田選手のGIII初優勝という結果が出ました。少し安心できたのではないですか?

 勝負事だし、安心しちゃいけない世界です。このまま同じベクトルを向いて、みんなで切磋琢磨していけたらと思います。

関東の後輩たちみんなが前を向いて、先を見てレースをするようになってくれた(撮影:北山宏一)

ーー以前、平原選手と武田選手が、地区で比較したら今の関東は低い位置にいると言っていました。今はどう思いますか?

 順位はかなり上がったと思います。

ーーそうなると、平原選手も今後が楽しみですね。

 今は関東のムードがいい中で、自分が何とか出来ない悔しさを味わっています。力が入れられない感覚はもうなくなってきたので、また明日から練習を頑張ります。

(※文中敬称略)

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平原康多

Hirahara Kota

埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。

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