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すっぴんガールズに恋しました!

【高尾貴美歌】涙の初優勝は「泣いてません」!? 苦しい練習が実を結びGI初出場、“恩返しの飛躍”誓う23歳

アプリ限定 2023/11/10 (金) 18:00 80

日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。今回は今年初優勝を挙げ、11月に初のGI「競輪祭女子王座戦」に出場する高尾貴美歌選手(23歳・長崎=116期)。選手をめざしたきっかけから現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!

父は競輪好き 小学生から自転車に親しむ

 高尾貴美歌は日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれたルーツを持つ。母の故郷・フィリピンで生まれ2歳の時に長崎へ戻ると、4人きょうだいの末っ子として元気に育った。1番上の兄とは7歳上、2番目の姉は6歳上と年が離れていたので、遊び相手は1歳上の兄や、近所の友人と自然の多い公園や広場を駆け回っていたそうだ。

仲良し4人きょうだいの高尾家(本人提供)

 父は大の競輪好きで、家のテレビでは常にスピードチャンネルが流れていたそうだ。自然と競輪が目に入る環境で育ったのが後々のセンスの良さに結びついているのかもしれない。

 自転車との出会いは小学6年生のころ。父がロードバイクを用意し、1つ上の兄と貴美歌のふたりを自転車の世界に飛び込ませた。もしかすると当時から子どもたちに競輪選手を目指してもらいたかったのかもしれない。

 中学では陸上競技部に所属。運動神経の良さを発揮し、長距離種目で活躍した。地元松浦市の選抜選手になるまでの成績を残したが、自転車競技部に入るため県立鹿町工業高校への進学を決断する。

「小学6年生で自転車に乗り始めたときから、『自分は競輪選手になるのかな』ってぼんやりだけど考えていました。だから鹿町工業への進学に迷いはなかったです」

高校では山口伊吹が同級生

 鹿町工業高校の自転車競技部にはその後の高尾貴美歌に大きな影響を与える同級生・山口伊吹がいた。

「同じ高校の同級生に(山口)伊吹がいたことは自分にとってすごく大きかったです。大会では伊吹がケイリンに出場することが多かったので、自分はスクラッチやポイントレースに出場していました。伊吹は普段はおっとりしているのに、レースになればモードが変わって集中して本当に強かった。大会で結果を残す伊吹の姿を見て『自分も頑張らないと』と常に思っていました」

鹿町工業高校で自転車漬けの日々を送る(本人提供)

 高校時代は部活中心の生活。平日の放課後は街道練習、土日は佐世保競輪場でのバンク練習と遊ぶ暇がないくらい自転車漬けの毎日を送ったそうだ。

 高校卒業後の進路も競輪選手になることしか考えていなかった。

「1つ上の兄は選手を目指していたけど、競輪学校(現・日本競輪選手養成所)の試験に落ちてしまったんです。お父さんの期待もあったし、勉強は好きじゃなかったのもあって(笑)、ガールズケイリンの選手になりたいって思っていました」

競輪学校の試験直前に骨盤骨折の大ケガ

 しかしアクシデントが高尾を襲う。116期の試験の前、高校3年生のインターハイ(いわき平)のポイントレースで落車し、骨盤骨折の大ケガを負ってしまったのだ。

「長崎から車で来ていた父と、1日以上かけて帰りました。車の揺れが痛みに響いて… いろいろ考えていたけど、試験のことが一番不安でした。秋の試験は正直諦め半分でした。もし116期の試験に落ちてしまっても、浪人して118期の試験で合格できるように頑張ろうって。ケガはもちろん痛かったけど、競輪選手になりたかったし、諦めようとは思わなかったですね」

 秋の試験に向け、大ケガはなんとか回復していった。試験前には練習もできるようになり、1次試験は無事突破。しかし、2次試験(筆記と面接)も難関だった。

「ダメ元で受けた1次試験が受かって絶対116期で学校に入りたかったけど、小さい頃から勉強が苦手で。唯一得意だったのは国語で、数学が一番ダメだったんです。でも高校の先生が試験勉強に付き合ってくれたので何とか助かりました。あとはマークシートだったので、数学の部分はとにかく早く埋めて、国語で点数を取る作戦でいきました」

 116期の合格発表は2018年の1月。授業中にスマホで合否を確認しようとしたが、なぜか結果が見られない。焦って教室を抜け出して自転車競技部の部室へ行くと、監督が先に合格を確認してくれていて、一緒に喜んでくれたそうだ。

家族が競輪学校合格を喜んでくれた(本人提供)

「苦手な勉強も頑張ったので、合格とわかったときはホッとしました。自分もうれしかったけど監督や両親、周りの人たちが喜んでくれたのがすごくうれしかった。ただお父さんは『車券が買えなくなる』と複雑だったみたいですけどね(笑)」

苦労した学校生活 卒記レースで一矢報いる

 高校卒業後の春、親元を離れて静岡・伊豆にある日本競輪学校に入学。自転車競技経験はあったが、学校生活はなかなか結果を出すことができず苦労した。

「高校時代に中距離種目が専門だったので、タイムも出なくて、競輪の走り方もわからない。毎日悔しい思いが続きました。落ち込むことも多かったけど、そんなときはお菓子を食べて気分転換をしていました」

 在校成績は19位だったが、最後の卒業記念レースでは決勝進出(4着)と結果を残した。

「自分より成績が上の人ばかりだったけど、決勝進出が決まった後、(吉岡)詩織さんが『努力してきたから決勝に乗れたんだよ。決勝に乗れなかった選手の分も頑張って』って声をかけてくれて。うれしかったです」と思い出を振り返った。

競輪学校116期の仲間たち

 競輪学校卒業後は地元長崎に帰って練習を積んだ。師匠の阪本正和(70期)や長崎支部の男子選手に混じり、デビュー戦に向けて練習に打ち込んだ。

デビュー後の葛藤、惜しかった準優勝

 デビュー戦は2019年7月の高松。4、6、1着と決勝に乗ることはできなかったが、最終日の一般戦で初白星をゲットと好スタートを決めた。

「先にデビューした同期がなかなか1着を取れていなかったし、緊張しました。特にデビュー戦は無我夢中。同期だけで走っていた競輪学校のレースとは流れも違うし、どう走ればいいか全くわからなかった。最終日の1着も発走機を出てから考えました」

 なかなか予選突破ができない時期が続いたが、腐らず佐世保バンクで男子選手の練習に付いていき、脚力アップに励んだ。すると10月久留米で初めて決勝進出。その後は追走技術のうまさとタテ脚を発揮してコンスタントに決勝進出を続けた。

(photo by Shimajoe)

 デビュー2年目の2020年2月の松阪では準優勝。佐藤水菜のまくりを外から猛追してあと一歩の所まで追い詰める勝負強さを見せた。

「松阪はあと少しでしたね。同期も優勝をしていたし、自分も続きたい気持ちはありましたけどサトミナさんは強かった。あの時はまだ私には早いってことだったんですよ。でもその後の練習は気合が入りました」

 惜しい準優勝は自信となり、さらなるレベルアップに励んだ。話はそれるが高尾貴美歌のKEIRIN.JPの友人欄には三宅愛梨(岡山・104期)と成田可菜絵(大阪・112期)の名前がある。年齢も地区も異なる二人だが、どこに接点があったのだろうか?

「デビューしてすぐの開催で、新人の自分に愛梨さんが『泊まりに来る?』って声をかけてくれて、そのとき可菜絵さんも一緒でした。何で声をかけてくれたかわからないけど(笑)、そこからの縁で仲良くさせてもらっています。玉野競輪の練習着も自分にくれた。それがうれしくて今でも必ず開催中は着ています」

“ガッツ玉ちゃん”が描かれた玉野競輪の練習着(photo by Shimajoe)

“苦しい練習”が実を結び 2022年にブレイク

 2年目は6勝、3年目も6勝とコツコツ成果を挙げたものの、目立った成績は残せなかった。行動を起こしたのは2022年の1月だった。

「なかなか優勝もできないし、決勝に乗れない開催も続いていました。何か変えないとと思って、苦手だったパワーマックスに乗るようにしたんです。苦しいし、しんどいし、つらい練習だけど、先輩たちが隣で一緒に練習してくれたり、応援してくれるので頑張れる。そうしたら勝てるようになったんです」

 パワーマックスを取り入れた彼女は2月の和歌山で1、1、2着の準優勝、同月小倉も1、1、6着。苦しい練習の成果は数字となって現れた。前年の春から継続して続けていたパーソナルトレーナーの練習メニューの成果も出て、相乗効果で成績は一気に上昇した。

 7月大宮から11月松山まで11場所連続で決勝進出。年内最終戦となった12月玉野も準優勝。デビュー4年目の2022年は11勝とキャリアハイの成績を残し、初優勝は目の前まで迫っているように見えた。

苦しい練習にも励み2022年はキャリアハイを記録(photo by Shimajoe)

悲願の初優勝 涙のインタビューは「泣いてません」!?

 しかし、デビュー5年目の今年はスタートダッシュに失敗してしまう。

「1月いわき平のコレクショントライアルの後、コロナになってしまって。2月に地元戦があったのに、1週間も寝込んでしまい大変でした。練習を再開しても全く付いて行けずどうなることかと思いました」

 不安だらけの地元戦だったが、きっちり決勝に乗ると、その後も安定した成績を残し、6月の四日市でついに初優勝を果たした。

 決勝は最終ホームから最終2センターまで内側に包まれる苦しい展開だったが、最終4角で外にコースを取れる状況になると、一気に差し脚を爆発させて前を走る比嘉真梨代を捕らえた。うれしい初優勝を掴み、レース後のインタビューでは涙があふれているように見えたが…?

「あれは泣いていないですよ。汗、汗なんです。泣くのはこらえていたんです」

 泣いているようにしか見えなかったが、本人いわく、汗が止まらなかったそうだ(笑)。

優勝インタビューの“涙”を猛否定!?

「やっぱり優勝はうれしかったですね。一緒に練習をしてくれる仲間のおかげです。自分はひとりじゃなかなか頑張れないタイプ。でも佐世保の選手たちはみんな一緒に練習をしようって声をかけてくれる。そのおかげで苦しい練習も頑張れるんです。この優勝で一緒に練習をしてくれている人たちに少しは恩返しできたかなと思います」

初めてのGI出場「見せ場作りたい」

 初優勝で勢いに乗ると7月の久留米でも優勝を掴み、11月に小倉で行われるGI「競輪祭女子王座戦」の出場権をゲットした。

「GIに出られるのはうれしいけど、すごくドキドキします。競輪祭は全く意識していなかったんですけど、同期の村田(奈穂)さんが『キミちゃん、競輪祭だね』って連絡をくれました」

 豪華メンバーでのビッグレースは緊張もあるようだが、存在感アピールに意欲を見せた。

「自分は緊張するタイプだし、今の脚力で参加しても勝負できないと思っていたので…。でも決まった以上は頑張りたいですね。参加メンバーで自分が一番弱いと思っているし、何か見せ場は作りたいです」

 上位だけのレースは1月のいわき平のトライアル以来、2回目の参加。「あのときは何にもできず終わってしまったので、今回は何か存在感を見せたい」と気合が入っている。

(photo by Shimajoe)

活躍は「周りのおかげ」恩返しへさらなる飛躍を

 今年は前記の2月佐世保から連続で決勝進出を続けている。地元九州地区で行われるGI競輪祭女子王座戦でも期待がかかる。

「競輪祭の前はパワーマックスにパーソナルトレーニング、両方しっかりやって開催に備えたい」と話す高尾貴美歌。実は、結果を出したい理由があるという。

「競輪選手を目指しているアマチュアの選手と約束をしたんです。『競輪祭で1回でも確定板に載ることができたら焼肉をごちそうする』って。緊張すると思うけど、車券を買ってくれるファン、一緒に練習をしてくれる選手仲間やアマチュア選手のことを考えてレースに臨みたいです」

 安定した好成績を残している近況について「周りのおかげ」と話す高尾貴美歌は、恩返しのためにもビッグレースに燃えている。さらに、彼女が頑張れる理由は同級生・山口伊吹の存在も大きい。

「伊吹のことは小さいころから憧れの存在。高校、競輪学校、プロデビュー後もずっと強いと思い続けている。伊吹のことを追いかけ続けることが自分のモチベーションにもなっているんです」

 今年からGIレースが3つ新設されたガールズケイリン。憧れの山口伊吹は一足先に10月の松戸「オールガールズクラシック」でGIデビューをした。来年以降は高校の同級生2人が揃ってGIレースへ参加する姿も見られそうだ。

 競輪好きの父親の勧めで志したガールズケイリンの道。身近にいた山口伊吹の背中を追いかけ、努力を続けてGIの舞台にたどり着いた。初のビッグレースで高尾貴美歌がどのような走りを見せるか、目が離せない。

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松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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