アプリ限定 2023/10/23 (月) 12:00 54
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。今回は8月に前橋で40万円超の大穴車券を演出した川路遥香選手(26歳・埼玉=120期)。選手をめざしたきっかけから現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!
川路遥香は埼玉県出身。3歳上の姉と2人きょうだいで、活発だった川路は幼稚園から水泳を始めた。
「幼稚園のころ、家のお風呂でずっとお湯の中に潜っていたそうです。自分では全く記憶にないけど、そんな私のことを親が心配して『潜るのが好きならスイミングスクールに通わせよう』ってなったらしいです(笑)」
水泳を始めるとメキメキ上達。小学校低学年になると、選手コースに引き抜かれるまでに頭角を現した。
「小学生のころは学校が終わると、スイミングスクールへ通っていました。週6で両親にスクールまで送り迎えをしてもらって、夜遅くまで練習していました」
中学時代は水泳部に籍を置いたが、引き続きスイミングスクールに通い厳しいトレーニングを続けた。中学2年で強化クラスにステップアップしたが、卒業後の進路を決めるころには打ち込んできた水泳から気持ちが離れかけたという。
「ここで結果が出なかったら水泳を辞めようかな…」そう思って臨んだ全国大会で、川路は50メートルの自由形の自己ベストを0.5秒も縮めた。
「短距離種目で0.5秒もタイムが縮むとは、自分でもびっくり。まだまだできるかもと思い直しました」
進路にはまだ悩んでいた川路だったが、この大会での活躍が目を引いたのか、春日部共栄高校の水泳部から声がかかる。
「悩んでいたので、春日部共栄高校から声をかけてもらったのはラッキーでした。面接が心配だったけど、試験官が全国大会で自分に声をかけてくれた水泳部顧問の先生で、水泳大会の話をしたら合格することができました。運がよかったのかもしれません」
高校時代も水泳に打ち込み、国体やジュニアオリンピック、リオ五輪選考会などに出場するなど本格的に水泳選手として開花。遊ぶ暇もなかったというが、充実していたそうだ。
「自分は水泳選手として遅咲きタイプだったのかな。高校時代も大きな大会に出場することができたし、水泳を辞めなくてよかったと思いました」
実力をつけると、大学に進学して水泳を続けたい気持ちが芽生えた。そんなタイミングでスイミングスクールの先輩から青山学院大学の話を聞いた。
「先輩のお母さんから青山学院大学の話を聞いてから学校見学に行きました。行きたいなと思ったけど、試験はまったく自信がなくて…。8月末に見学に行って、9月頭は国体の合宿に大会。その直後に願書を出して、10月頭に入試。高校3年の夏は大変でした」
最終的に青山学院大学経済学部を受験することに決めた。試験に向けて勉強する日々が始まったそうだ。
「入試は小論文と面接でした。どうやったって無理と思ったけど、必死に勉強しました。面接のためにフードロスについてたくさん勉強したけど、いざ面接に行ったら水泳のことを聞かれました(笑)」
10月末には合格の一報が入り、晴れて進学が決まった。
「高校3年の後半は進路も決まっていたし、気持ちが楽でした。高3の時のクラスは運動部の生徒ばかりだったので、普通の高3のピリピリ感とは真逆だったと思います。だれかの進学が決まればみんなで喜ぶ体育会系のクラスでした」
2016年4月に青山学院大学へ入学。しかしキラキラしたキャンパスライフとは全く違う生活が待ち受けていた。
「スイミングスクールの朝練と夕練も毎日あったので大変でした。毎日渋谷まで通って1限から5限まで授業を受けて、満員電車に揺られて埼玉に戻り夕方練習。夜の10時くらいに帰ってご飯を食べてお風呂に入って、課題をやって。もうボロボロでしたね。この生活が大学3年まで続きました」
水泳と勉強で精も根も使い果たした大学時代、将来の夢を思い描くような時間は全くなかった。4年生になり同級生が就職活動を始めても、無気力状態に陥っていた娘の将来を案じた父が、ある行動を起こす。
「4年生の夏ですね。父がいきなりガールズケイリンを勧めてきたんです。私は男子の競輪は知っていたけど、女子の競輪があるのは知らなかった。大学を卒業した後のことをまったく想像できなかったので、挑戦してみようかなと。でもそれが日本競輪選手養成所の願書締め切りの1週間前で…。郵送では間に合わず、自分で品川のJKAの事務所まで願書を持って行きました」
川路は適性試験で養成所入りを目指すことに。適性試験は自転車競技経験のない人でも運動能力で日本競輪選手養成所に受験できる制度だ。試験を前に、大宮競輪場でガールズケイリンのレースを観て、イメージを膨らませた。
「1次試験は水泳時代の成績が評価されて免除になり、2次試験から受験しました。2次試験はSPIとワットバイク。水泳時代にウエイトトレーニングの一環でパワーマックス(固定自転車・ワットバイクと形状が似ている)が得意だったので、なんとかなるかなと。『全力でこげばいいんでしょう』って、とにかく力を出し切りました」
試験結果はネットで発表される。急に受験を決めたため、複雑な心境で発表を待つことになったそうだ。
「短い時間で進路を決めてしまったので、どうしようと思っていました。自転車の経験がないことも不安だったし、(試験に)落ちるのは嫌だけど、受かったら受かったで腹をくくるしかないなって」
そんな不安をよそに、川路は養成所に合格。しかし、卒業予定だった大学は単位が足りず、留年になってしまった。
「選択必修の単位を落としてしまったんです…。本当にバカだった。すごく後悔しました。だけど両親に学費を全部出してもらっていたし、中途半端なかたちで辞めることはできないと思って、養成所に行っている間は休学して卒業を目指すことにしました」
その後、2021年9月に不足していた単位を取得し、無事大学は卒業した。
2020年5月、日本競輪選手養成所へ入所。自転車競技未経験での入学だったが、120期の仲間のおかげで楽しい養成所生活だったと振り返る。
「養成所は厳しいところだと思っていましたが、同期のおかげでストレスなく過ごすことができました。いろいろ思い出はあるけど、一番の思い出は自分の誕生日。8月26日なんですけど、水泳時代は大会や合宿とかぶることが多くて、みんなに祝ってもらったことがなかったんです。でも養成所では同期みんなに『誕生日おめでとう』って祝ってもらい、お菓子をもらったりしてすごくうれしかった。仲のいい同期のおかげで1年間乗り切ることができました」
在校成績は10位。飛び抜けた好成績は残せなかったものの「水泳時代よりもお尻が大きくなり、体重も5〜6キロ増えました」と身体の変化を感じたそう。1年間の訓練を経て、競輪選手への第一歩を踏み出す準備ができていた。
デビュー戦は2021年5月静岡・ルーキーシリーズ。初日の予選1を4着で終えたが、2日目の予選2では打鐘過ぎの3角で前走者に接触し落車。過失走行で失格という最悪のスタートとなってしまった。
「やっちゃいましたね…。痛みよりも恥ずかしさがありました。落車したので担架に乗って運ばれるんですけど、次のレースに出走する同期の前を通るんです。もう目が合わないように必死でした。両親は初めてのレースで落車して心配していましたけど、今はどうなのかな。落車はこの1回だけなので」
落車失格から幕を開けた前途多難な競輪人生。7月には先輩と走る開催がスタートし、大敗も多かったがクヨクヨすることはなかったそうだ。
「養成所とは違うし、1年目のペーペーが簡単に勝てるわけない。数多く走って、走って慣れるしかないって開き直りました」
困難にぶつかっても前向きなマインドは川路遥香の生き方なのかもしれない。レース経験を積んでいくと、12月の岐阜と向日町で連続決勝進出を果たし、激動の1期目を終了した。
年が変わった2022年もガールズケイリンに慣れる期間と位置づけ、コツコツ走った。そして、7月の函館で初勝利を手にする。
「1期目、2期目で(ガールズケイリンの代謝ボーダーである競走得点の)47点を取れず、クビになるかもとビクビクしていた時期だったけど、函館で1着が取れたのはすごくうれしかった。函館は同県同期の(飯田)風音もいたし、同県の男子の先輩たちもすごく喜んでくれた。初勝利の函館開催では決勝にも乗れて、少しは成長できたかなと思えました」
川路の同期、120期はデビュー後に苦しんだ選手が多かった。
「私は3期でのストレート代謝は回避できたけど、同期3人(堀田萌那、濱野咲、堀井美咲)が一気に代謝になってしまったことは悲しかったです」
2023年はここまで飛躍の1年になっている。競走得点もアップして代謝の不安もなくなり、ノビノビと走れている印象だ。本人はこの成長をどう見ているのだろうか。
「埼玉はガールズケイリン選手も多くて、練習環境がいいんです。最近は藤田まりあと一緒に練習することが多いですね。まりあは自転車競技経験が豊富なので、いろいろ聞いています。今年は4月の別府で決勝3着、8月前橋で決勝2着といい成績も残せているけど、とにかく目の前のことを一生懸命やった結果かなという感じです」
8月には前橋ミッドナイトで1着。40万円オーバーの好配当を提供した。
「大穴を出したときはうれしいよりもびっくりしてしまって『SNSが荒れてるんじゃないか』って(笑)。私に期待して車券を買ってくれた人に貢献できてよかったです」
存在感が増してきた今、もちろん狙うのは“初優勝”だろう。
「初優勝はもちろんしたいけど、事故なく楽しく走れることが大事。着順が悪かったら、また次で頑張ろうって気持ちでやっています」
いい意味でガツガツしていない印象を受ける川路。闘志を燃やして勝ち負けで一喜一憂するというよりも、楽しく前向きに取り組むことでコツコツ実力をつけてきた。
そんな彼女が“刺激を受けた"と話す出来事がある。10月に松戸で初開催されたGI「オールガールズクラシック」だ。川路は普通開催への出場だったが、全員ガールズ選手の開催では久しぶりに再会した同期も多かったそうだ。
「選手控室がいくつかに分かれていたんですけど、120期は120期だけの部屋だった。走る前には『頑張れ』って声をかけて見送っていたんです。GIで(吉川)美穂さんが準優勝。刈込(奈那)が普通開催で初優勝。すごく思い出に残る開催になりました」
川路もこの開催のグループCで決勝3着。好成績を残したが、同期の活躍を間近で見て『もっと上へ』という思いもこみ上げた。
将来に迷い、ひょんなきっかけで踏み入れたガールズケイリンの道。順風満帆の船出とは行かなかったが、少しずつレースに慣れたことで結果につながってきた。
「競輪選手になってよかったと思います。学生時代と違って自由な時間があるし、頑張れば賞金でいろいろ買えるのも楽しい。開催前にネットで注文して、開催後に家に届いているのがうれしいんですよ」
水泳ではタイムを競ってきただけに自転車競技特有の難しさにも直面しているが、川路は持ち前のポジティブさで向き合い、成長を誓う。
「水泳と比べたら(落車など)危険を伴う部分もあるし、タイム競技ではない駆け引きの部分もあって難しいけど、ダメならまた頑張ればいい。水泳のときも遅咲きだったので、競輪選手としてもまだまだこれからだと思って頑張ります」
追走技術と一発の魅力を秘めているだけに、今年の後半戦で彼女を追いかけてみるのは面白いかもしれない。明るく前向きに突き進む川路遥香のブレイクは、きっともうすぐだ。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。