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不屈の男・金子貴志の奮闘記 〜40代の挑戦〜

【金子貴志が見たラストラン】盟友・山田二三補さんの引退に思う…「競輪には人生をかけたドラマがある」

2023/09/26 (火) 16:30 41

 netkeirinをご覧の皆さんこんにちは、金子貴志です。18日に終わったGII「第39回共同通信社杯」で深谷が優勝しました。静岡に移籍して初めてのビッグレース制覇、本当におめでとう。

共同通信社杯で優勝した深谷知広(写真提供:チャリ・ロト)

 今までは豪快な自力でGI、GIIを勝ってきましたが、今回のレースでは番手戦で落ち着いた走りを見せました。レースの幅が広がり今まで以上に強さが増して、再びタイトルに近づいたことは間違いないと思います。また近いうちにGIを獲ってくれると信じていますし、その姿を見るのが楽しみです。

盟友・山田二三補さんとの思い出

 さて、今回は7月に引退した盟友・山田二三補さんのことについて書いていきます。

 今回、代謝制度で引退することになった山田さんは、34年間の現役生活を送りました。私もそのうちの20年以上をそばで過ごさせていただきました。

山田二三補さん(右)と金子選手(本人提供)

 山田さんは10年ほど前に、調子を崩して点数を取れずにいました。本人いわく、当時は「もうクビになるな」と諦めかけていたそうです。そのとき「一緒にウエイトトレーニングをやりましょう」と声をかけたことをとても懐かしく感じます。

 ですが、2年ほど過ぎても成果はなかなか出ませんでした。普通だったらトレーニングをやめてしまってもおかしくないのに、山田さんは根気強く続けてくれました。私も「絶対に成果が出ますから」と伝えて、一緒にトレーニングに励みました。

ウエイトトレーニングに励む山田二三補さんと見守る金子選手(本人提供)

 しばらくすると、山田さんはチャレンジ(A級3班)で優勝するなど結果が出はじめます。当時、山田さんは「自分でもわからないけど急に勝てるようになった」ととても喜んでいました。さらに快進撃は続き、2019年にはA級1班に。もしかしたらS級になれるんじゃないかと思わせるような活躍ぶりで、私も自分のことのように嬉しかったですし、“練習は嘘をつかない”ということを証明してくれた山田さんからパワーをもらいました。

 さらにYouTube「カラフルスタイル」のメンバーとしても、忙しい中でも動画制作に協力してもらい、たくさんの思い出があります。それだけに、山田さんの引退は私の中で複雑な思いがありました。

最後の走りを見届けるため玉野へ

 引退レースは6月27日の玉野競輪最終日でした。私は島野浩司さん、白井一機さんと3人で玉野競輪場に向かいました。島野さんは山田さんと同級生で昔から親しく、切磋琢磨してきた間柄です。私達とは別で玉野に行った人もいましたし、この開催には山田さんの弟子が数人あっせんされていました。ラストランを見届けるため、豊橋からはたくさんの人が玉野に訪れていました。

豊橋から多くの選手が玉野に駆けつけた(本人提供)

 山田さんは、第2レースで弟子の深見仁哉君を目標に戦いました。私達は金網越しに「山田さん頑張れ!」「フミちゃん頑張れ!」と声援を送っていました。結果は7着でしたが、ゴールした山田さんからは「やり切った」という雰囲気が出ていました。みんなで「山田さん、お疲れさま!」と声をかけると、私たちに気づいて手を振ってくれました。

駆けつけた仲間たちに手を振る山田二三補さん(本人提供)

 引退が決まり「このレースが最後だ」と思って走るのも苦しいだろうと思います。ですが山田さんはそれを選んで、私達に走る姿を見せてくれました。一緒に頑張ってきた山田さんの最後の走りを目に焼き付けることができて感慨深かったです。

 レースを終えて、バンクから戻ってきた山田さんはとても清々しい表情でした。豊橋の選手だけではなく他地区の選手もたくさん集まってきて、みんなで山田さんの競輪人生を労いました。これは山田さんに人望があるからこそだと思いますし、山田さんがこれまでやってきたことが返ってきたのだと思います。

山田二三補さんに花束を贈る金子選手(本人提供)

 駆けつけた大勢の人に囲まれ、たくさんの花束を受け取っているとき、山田さんの瞳からは大粒の涙があふれていました。男泣きする姿を見て「本当に引退したんだ」と実感がわき、寂しい気持ちになりました。ですが、山田さんがどれだけ愛されていたかが伝わってくる、温かい引退レースでした。

山田さんのラストランをともに走った弟子の深見仁哉選手は人目をはばからず涙(本人提供)

“誘導ラストラン”にファンが集まる

 実はこの引退レースの前にも、山田さんが愛されていたことを強く感じる出来事がありました。山田さんと一緒に誘導員として名古屋競輪場に参加した時のことです。誘導員の控え室に戻ってきた山田さんが涙を流しているのを見て、私はビックリしました。

 何があったんですかと聞くと、「たくさんのファンの方が声をかけてくれたので嬉しくて涙が出てきた」と言うのです。競輪場には、玉野の引退レースに行けない多くのファンの方が山田さんを労うために集まってくれていました。私が知っている限り、最後の誘導でファンが集まるというのは聞いたことがありません。

 山田さんはファンを大切にする方で、SNSでもひとりひとりに返信をしていました。先ほど書いたトレーニングのこともそうですが、何事にも一生懸命取り組まれる方です。そんな人柄が多くのファンを惹きつけていたのだなと感じました。

多くのファンから愛された山田二三補さん(本人提供)

競輪には人生をかけたドラマがある

 これまで“引退”というものは遠い感じがしていましたが、私も年齢を重ねて、同年代や身近な人が辞めていくことが増えてきました。自分にとっても遠いことではないと感じます。

 今は苦しい状況ですが、なりたくてなった“競輪選手”という仕事をまだまだやっていきたい気持ちが強いです。結果が出ないから辞めるのではなく、1日も長くできるように今は考えています。将来その時が来たら「やり切った」と言えるように頑張りたいと、山田さんの姿を見て一層思いました。

 最近、昔から応援してくださっている方が体調を崩されたと聞きました。気持ちも落ち込んでしまっていたようですが「金子君も大変そうなのに弱音吐かずに頑張ってるから、走ってくれているうちは泣き言を言わずに頑張るわ」と言ってくれました。勝てない時期が続いていますが、私はまだ勝つことを諦めていません。そんなふうに言ってくれる人がいることを力に変えて、今できることをやっていきたいと思います。

(撮影:北山宏一)

 皆、いつかは必ず身を引く時が来ます。いろんな経緯で競輪選手を志す人がいるように、ケガや病気で引退を決める選手、自分の思うように走れなくなって退く選手、代謝制度で引退になる選手… と身の引き方も人それぞれです。代謝制度は厳しい制度ですが、プロの世界では必要な仕組みだとも思います。そのすべてに人生をかけた“ドラマ”があるのが競輪です。

 山田さんは引退後、豊橋競輪場でイベントなどに携わる仕事に就きました。これからも豊橋競輪場を盛り上げてくれることは間違いありません。もう一緒にトレーニングできないのは寂しいですが、またYouTubeには出てもらえるようなので、これからも一緒に、ひとりでも多くの方に競輪を知ってもらうため頑張っていきたいと思います。山田さん、第二の人生でも頑張ってください。

山田二三補さん(本人提供)

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金子貴志

Kaneko Takashi

愛知県豊橋市出身。日本競輪学校75期卒。2013年には寛仁親王牌と競輪祭を制し、同年のKEIRINグランプリでも頂点に。通算勝利数は500を超え、さらには自転車競技スプリント種目でも国内外で輝かしい成績を収めている。またYoutubeをはじめSNSでの発信を精力的に行い、キッチンカーと選手でコラボするなどホームバンクの盛り上げにも貢献。ファンを楽しませることを念頭に置き、レース外でも活発に動く中部地区の兄貴的存在。

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