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前田睦生の感情移入

【究極のギャンブル】競輪はなぜ“当たらない”と言われるのか

2023/07/08 (土) 12:00 76

競輪には神の領域がある

でも、競輪にハマる理由

 競輪の新規ファンの増加は明らかな今がある。これはうれしい限りだが、やはり“競輪は当たらない”と言われやすい。確かに、知っておくべきことがあるので、知らないとまるでわからない…となってしまうのは現実だ。

 しかし、これは他のギャンブルにしても、世の中の何においてもそうだろう。ハードルの高低はあっても、どこにでもあるものだ。競輪は過去に「ギャンブルの王様」と呼ばれたことから、その敷居の高さを誇る癖があった。それでも、そこに立ち向かうギャンブラーを取り込んだものの、今は時代が違う。

 7車立てやガールズケイリンが定着したが、9車立ての話をしよう。
 これは非常に競技性が高く、複雑で難しい。“当たらない”感も高い。その上で、推理を凝らし、当てることができた時の高揚も違う。ここに“ハマる”要素がある。

 といっても、7車立てやガールズケイリンも難しく、基本構造は一緒か…。

競輪は確かなカルチャー

少し後を読むだけでも超複雑

 イメージ図のように、ひとつの動きがあると、次に想定される動きは複雑化していく。例えば「25メートル後にどうなっているか」を400メートルの残り1周からで想定した時に、恐ろしいまでの数の事態が想定されうる。

 しかも9人の人間が、それぞれの動きを伴って…である。発祥当初、出走選手がどうするかはコメントなどもなく、単純に推理するしかなかった。昔は12車立ての時もあった。それが、ライン(並び)と呼ばれる推理の根拠を基礎にして、先頭の自力型、番手選手、3番手の選手などが役割を持つことで、レースを検討しやすくなった。

 そこには各選手の人間模様もあり、歓喜や涙をともにしていくことで、車券の結果だけにとどまらないものが生まれる。競輪の競技性はもはや神の領域に及び、人の心の奥深くを突き刺す。当てることは確かに難しいが、楽しむことの方が重要だ。それが、競輪は文化、といえる根拠になる。ただのギャンブルではない。究極のギャンブルなのだ。

選手はそれぞれにドラマを持つ

藤井聡太7冠の美しさ

 将棋では億を超える手数がAIによって読まれるようになった。1手指すとまた先の光景が変わり、複雑の果てに詰みというただひとつの終点にたどり着く。将棋盤の上で積み上げられるものは、競輪のバンクでの戦いに通じるものがある。

 将棋の藤井聡太7冠の将棋は、ただ強くて勝っているだけでなく、多くの人たちを感動させている。豊かな発想や、挑戦する勇気、勝負に対する気迫…。これもまた、多くの競輪選手の戦いと重なる。

 競輪が“当たらない”と言われるのは、競技性の高さから致し方ない。当てるために綿密に推理することや情報を得ることで、納得のいく戦い(車券的、ギャンブル的に)ができるようになることが大事だ。そのための情報発信が記者には求められる時代だ。

 車券も大事、楽しむことも大事。競輪を楽しみ抜いてこの世を去った先輩のお墓参りに行って、また考えるものがあった。

究極のギャンブルを見つめて


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前田睦生

Maeda Mutuo

鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。

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