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すっぴんガールズに恋しました!

【鈴木奈央】東京五輪の夢はやぶれても… “もうひとつの夢”掴むためビッグ戦線に帰ってきた

アプリ限定 2023/07/04 (火) 18:00 44

日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。今回のクローズアップ選手は自転車競技中距離種目の実力者で、現在ビッグレースに名を連ねる鈴木奈央選手(26歳・静岡=110期)。選手をめざしたきっかけから現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!

兄妹レーサーは幼いころから仲良し

 鈴木奈央は日本一の山・富士山の麓に位置する静岡県富士市の生まれ。2つ上の兄(康平・123期)と2人きょうだいで仲良く育った。

 小さいころの遊び相手はもっぱら兄。外で遊ぶことが多く、母が娘のために買ってきたシルバニアファミリーの人形には興味を示さなかったそうだ。負けず嫌いな性格で、母からは「お兄ちゃんと性格が逆なら良かったのに」と言われることもあったらしい。

幼少期の鈴木奈央(右)と兄・康平。負けず嫌いな少女だった(本人提供)

 自転車との出会いは小学2年生の頃。親戚が兄・康平と奈央のために自転車を組んでくれたことが始まりだ。

 もともと体を動かすことが好きだったこともあり、自転車競技にはすぐ慣れた。練習も苦しさより楽しさのほうが大きく、週末に自宅のある富士市から伊豆にあるサイクルスポーツセンターへ練習に行くことが楽しみだった。ちなみに、サイクルスポーツセンターでの練習で知り合った野原(旧姓・小川)美咲とはこの頃から付き合いが続いている。

 中学生ではバレーボール部に所属していたが、週末は自転車競技の大会出場を目標に、練習に精を出していた。

名門校で“自転車一色”の高校生活

 高校は富士宮市にある「私立静岡理工科大学星陵高校」へ進学。兄と同じ高校で、GI2勝の渡邉晴智を輩出した自転車競技の名門高だ。ちなみに渡邉雄太は兄・康平と同級生である。

 自転車競技をやるため高校を選んだだけに、スクールライフは自転車一色だった。

「登下校は自転車でした。部活動を目いっぱいやってから家に帰って、さらに練習って感じで、自転車漬けの高校生活。同級生は遊んだり、バイトしたりしていたけど、自分は自転車だけでした。今振り返ると一度くらいバイトをしてみたかったですね(笑)」

 高校生に入ってからすぐにジュニアのナショナルチームに選ばれたこともあり、将来の夢は自転車競技での五輪出場。これはぶれない目標だった。

 ガールズケイリンが誕生したのは高校1年生の夏のこと。もちろん鈴木も知っていたが、当時は大学に進学して自転車競技者として五輪出場を目指すつもりでいた。

高校生のときからナショナルチームに在籍し、五輪出場を目指した(本人提供)

“ガールズケイリンと自転車競技の両立”へ

 高校2年生でアジア選手権に行ったとき、転機が訪れた。

「アジア選手権のジュニアチームは自分しか女子がいなくて、ホテルが加瀬(加奈子)さんと同部屋になったんです。加瀬さんはその大会で短距離も中距離も両方走っていたので、いろいろ話を聞いてもらいました。進路に迷っている時期だったので、アドバイスをもらいました」

 そこで“ガールズケイリンと自転車競技の両立”という選択肢が現れる。

「ガールズケイリンの選手になれば、賞金を稼ぎながら競技の練習もできる。大学に行くと練習一本ってわけにはいかないし、加瀬さんと話をしたことがきっかけで自転車競技を続けながらガールズケイリンに挑戦することにしました」

 目標が明確になれば突き進むだけ。高校時代はアジアのジュニアの大会で3冠制覇(ケイリン、団体追い抜き、スクラッチ)を果たした。鈴木は輝かしい実績を引っ提げて、110期生として鳴り物入りで日本競輪学校に入学した。

(本人提供)

過酷きわめた競輪学校とナショナルチームの両立

 入学後はナショナルチームとして活動しながら、競輪学校での生活を送った。海外遠征や合宿があれば、ナショナルチームの活動が優先となった。

 ただでさえ過酷な学校生活と競技の両立。苦労は山ほどあったが、同期の存在でが救いになっていたと振り返る。

「110期じゃなかったら、途中で辞めていたと思います。ナショナルチームの活動が忙しくなると、同期のみんなが助けてくれた。海外遠征に行く時は同期がお菓子や手紙を渡してくれたり、授業で遅れたときはノートを貸してくれたり。滝澤(正光)校長の訓練が厳しくて、心が折れたときにも同期が支えてくれました。とくに(林)真奈美さん、(中嶋)里美さん、(蓑田)真璃さんにはお世話になりました」

「110期ポーズ」で同期の絆の深さがうかがい知れる

 そして在校成績1位、卒業記念レース準優勝(優勝は土屋珠里)で競輪学校を卒業。多忙を極めた学校生活でも結果を残し、競輪選手としてデビューの日を待った。

デビュー2戦目で児玉碧衣を破る大金星V

 期待の新鋭レーサーは地元・静岡でデビュー戦を迎えることになる。鈴木はデビューシリーズは緊張の中での3日間だったと振り返る。

「デビュー戦で発走機に付いたときはうれしかったです。金網の外側から見ていたガールズケイリンで自分が戦うのかと気持ちが入りました。ただガールズケイリンのレースは自転車競技とは違うし、どうやって走ればいいかもわからなかった。競輪学校で滝澤校長からは『ジャンから行け! 先行が競輪の華だ』って言われて育ってきたので『先行しなくちゃ』って感じでした」

 デビュー2走目には早くも初勝利を挙げ、決勝に進出。自転車競技出身だからこその有難みも感じたそうだ。

「よかったです。アマチュアのころはお金を払ってレースに参加する形だったのに、ガールズケイリン選手になったらレースを走って賞金がもらえる。選手になって良かったと思いました」

 デビューシリーズを4、1、3着と上々の滑り出しを決めると、デビュー2戦目の平塚で大仕事をやってのけた。加瀬加奈子、児玉碧衣と強敵がいる開催だったが、3、3着で予選を突破。決勝は児玉碧衣のまくりに乗って直線一気の差し脚を発揮。デビューから2場所目で初優勝を達成した。

「決勝はすごいメンバーでしたね。加瀬(加奈子)さんと久しぶりに会えてうれしかったし、決勝は加瀬さんを相手に先行したかったんです。でも仕掛ける勇気が持てなかった。(児玉)碧衣さんのまくりに乗る形になって優勝することはできたんですけど、何かモヤッとした感じでした。平塚のシャンパンファイトができたことはうれしかったんですが、内容には満足できなかったです」

 嬉しさ半分、悔しさ半分の経験を胸に、1年目はがむしゃらにレースへ挑んだ。優勝はこの1回だけだったが、少しずつレースに慣れ、ガールズケイリン界で存在感を見せ始めた。

変化したナショナルチームの練習環境

 選手生活2年目は順調に力を付けていった。コンスタントにレースへ参加し、優勝は4回。ビッグレース出場も視野に入ってきたが、ナショナルチーム中距離の練習環境が変わり、状況は一変した。

「選手になったころのナショナルチームは試合前に合宿をする感じだったのですが、2017年の秋に外国人コーチが就任して状況が変わりました。伊豆に拠点を置き、中距離競技の練習をする。ガールズケイリンで必要な短距離系の練習はほとんどできず、ガールズケイリンのレースへの参加も少なくなってしまいました」

 だが、鈴木にとって2020年の東京五輪は譲れない舞台だった。自転車競技の会場は小さなころから慣れ親しんだ伊豆ベロドローム。ガールズケイリンを走れないもどかしさはあったが、ナショナルチームの練習に打ち込んだ。

ナショナルチームの仲間たちと(本人提供)

 2017年は69回だったガールズケイリンへの参加は、2018年は24回、2019年は36回と激減する。ナショナルチーム所属選手はビッグレースへの出場権があるが、それが悩みの種でもあった。

「ガールズケイリンの選手はビッグレースの権利を取るために一戦一戦頑張っているのに、自分はナショナルチームに所属していることで優先的に出場できた。久しぶりのガールズケイリンのレースに参加しても準備不足の感じもあったし、キツかったですね…」

東京五輪出場の夢はやぶれて

 新型コロナウイルスの影響で、1年延期となった東京五輪。鈴木が出場を目指していた女子チームパシュートの出場枠は、取ることができなかった。

 長い間五輪出場を目指して努力してきただけに、鈴木は目標を失ってしまう。その後は「ただ競技を続けている」ような時間だけが過ぎて行った。

 その後の選考会では梶原悠未(東京五輪・オムニアム銀メダル)に敗れ、補欠として世界選手権に参加することに。このときリザーブメンバーとなったことで、自転車競技からは一旦離れ、ガールズケイリンで勝負する決断をした。

「自転車競技を始めたときからお世話になっている宮地一夫さんや、渡邉一成さんに相談しました。自分は自転車に乗り始めたときからコーチがそばにいて、教えてもらいながら力を付けてきた。ナショナルチームでは決められたメニューに従って練習をしてきましたが、ナショナルチームを離れることになれば自分で考えながら練習をしないといけません。1人でできるか不安しかなかったです」

 ナショナルチームを離れ、ガールズケイリンで戦う。こう心に誓い最後に臨んだ全日本トラック(2021年12月)の舞台は、東京五輪と同じ伊豆ベロドローム。鈴木奈央は競技人生の全てをレースにぶつけた。

 結果はエリミネーション、オムニアム、スクラッチ、マディソンと4つの種目で優勝(ポイントレースは3位)。素晴らしい成績を収め、競技生活に区切りをつけた。

全日本トラックで中距離種目で好成績を残し、競技生活に一区切りをつけた(本人提供)

“ガールズケイリン選手”として進化

 自分の中で一つの区切りをつけたこともあってか、2022年はガールズケイリン選手として一皮むけた鈴木。年頭の伊東からスタートすると、ナショナルチーム時代には経験することのなかった強行日程も引き受け、走りに走った。

「中2、3日での追加とかは今まではなかった。最初は戸惑いもあったけど、少しずつ慣れてきました。今はガールズケイリンに向けた練習ができているから、しっかり調整して不安なくレースに臨めています。練習拠点の伊豆サイクルスポーツセンターの環境もいいですね。静岡の選手も増えてきたし、山口真未さんを通じて冬季移動で練習にくる選手もいるので、いい練習ができています」

 今年も1月から6月までで45走。優勝は1月平塚、2月松戸の2回だが、普通開催では全て決勝進出と安定感は抜群。“ガールズケイリン選手”として進化を見せている。

 6月にはガールズケイリン初のGI・パールカップに出場した。鈴木にとって2021年のグランプリトライアル以来、久しぶりのビッグレース。準決勝まで勝ち進んだが、トップ戦線は鈴木の目にどう映ったのか。

「パールカップはすごかったです。とくに(児玉)碧衣さんは3日間すごかったですね。決勝に乗ることはできなかったけど、出られてよかった。ここで勝てばグランプリ出場が決まるというのはモチベーションが上がります」

「ファンの方の前に立つために勝ちたい」

 SNSでも根強い人気を誇る彼女にとって、応援してくれるファンの存在はやはり大きいという。その想いを聞いてみると…。

「デビュー戦の静岡で2走目に1着を取って、ファンの方の前であいさつできたことが忘れられないんです」

 ガールズケイリンと自転車競技で使われる競技場の違いも、“ファンとの距離”を大切にするひとつの要因になっているのだそう。

「自転車競技では金網がないから、レース後にファンの方と交流ができるんです。それが当たり前だと思っていたんですが、競輪は勝たないとファンの前に行って自分の気持ちを伝えることができません。だからこそレースで1着を取りたいんです。コロナ禍でファンの人と接する機会が減ってしまっていたけど、いろんな競輪場でインタビューが増えてきた。1回でも多くファンの方の前に立てるように走りたいと思っています」

兄の本格デビューも発奮材料

 今年の後半は頑張る理由がひとつ増えた。7月に兄・康平が本格デビューするのだ。

「自分が自転車を頑張ってこられたのは兄がいたから。兄に負けたくない気持ちがスタート地点。兄が選手を目指したことはビックリしました。兄が選手を目指した理由? 親友の(渡邉)雄太君の存在があったからだと思いますよ。でも自分に年収で負けたときは悔しがっていましたね(笑)」

 “負けず嫌い”な妹・奈央。きょうだいで切磋琢磨して、さらなる成長を見せてくれるに違いない。

兄・康平(左)の競輪デビューには「ビックリ」(本人提供)

叶えたい“もうひとつの夢”

 東京五輪に出場する夢は叶わなかったが、鈴木奈央にとってもうひとつの大きな夢がある。それは“ガールズグランプリ出場”だ。2024年は地元静岡での開催が決まっている。

「静岡でのグランプリ… 出てみたいですね。新しくGIもできて、優勝すればグランプリ出場が決まるチャンスがある。もちろん今年の立川グランプリも目指して頑張りたいと思っています。まずはこの後のGI(10月クラシック・松戸、11月女子王座戦・小倉)に出られるように」

 6月に行われた初のGI・パールカップでは準決勝まで勝ち進んだ。トップレベルの選手が一堂に会する舞台を経験し、強化ポイントは明確になった。

「今の課題はダッシュ。自分の得意なレース展開に持っていける組み立ても覚えていきたいです」

 7月15日からはビッグレース『ガールズケイリンフェスティバル』を控えている。2年ぶりの同大会出場となるが、函館開催にはいいイメージがあるようだ。

「昨年は出られず、今年は優勝回数2回でギリギリ出場できます。函館のフェスティバルは2年前に決勝へ乗っているので、今年も乗れるように頑張りたいですね」

 同期の絆が強い110期は、まだガールズグランプリに出場した選手がいない。在校1位の鈴木奈央が同期全員の思いを胸に秘め、110期初のグランプリレーサーを目指してひた走る。

仲良しの“110期”の中心で活躍を誓う!(本人提供)

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松本直

千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。

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