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競輪ライン特集

【競輪ライン特集】進化? 退化? 〜時代とともに移ろう“ラインの変化”

2021/04/27 (火) 15:00 25

競輪選手がなぜ「ライン」を組むのか、そして「ライン」を組んでどのように戦ってきたのか、昔と今でどのような変化がみられるのか。長年競輪を見続けてきた4名の記者に“ラインの変化”について語ってもらいました。

【ラインの変化1】
『時代は変わっても、ライン戦の面白さは変わらない』

 先頭を受け持つ選手が果敢に風を切り、2番手の選手は車間を空けて、別線の仕掛けをブロック、3番手の選手は後ろから内を突かれないように締めて、2番手選手がブロックから戻ってくるのを待つ。頑張っている自力選手を、後ろの選手が最大限の援護をする。

 全員が1着を狙うのが大前提でありながら、勝てるのは1人だけ。そのミッションにチームを組んで挑む。相手ラインとの駆け引き、自ライン同士での駆け引き。人間同士が織りなす、さまざまなドラマ。ライン戦は他の公営競技では見ることができない、競輪が誇る最大の魅力である。

 車券だけでなく、展開を推理するのが競輪の良さでもある。残念ながら、最近はその魅力が薄れてきていると言わざるを得ない。7車立てが主流になったこと、先頭誘導員の追い抜きのルール改正、レースの高速化など、いろいろな要素があるだろう。現在もラインでの戦いに違いはない。しかし、その内容は変わってきている。良し悪しは別として、レース形態の変化は、個人的には寂しい。自力型優勢の流れになった上に、時代も時代。昔のように、うるさい追い込み選手が減少しているのも影響しているのではないか。いい意味で、コテコテな昔気質の選手が少なくなっているように思う。

 以前は徹底先行選手同士が400走路の青板から意地を張り合って踏み合い、残り1周では両者共に千鳥足のような、はちゃめちゃなレースもあった。次に対戦したときはどうなっちゃうんだろう。それを考えることも面白かった。あぁ、もうあんな時代は戻ってこない。

 ラインの数が多ければ、流れも速くて多くなる。選手間の駆け引きも多くなる。9車立ての場合は4分戦も多かったが、7車立てでは2分戦もしばしば。そうなると流れが少なくなるのは当然。ラインならではの力が働くシーンも少なくなってしまう。デビュー直後から7車立てのレースが続くと、どうしてもそれに合わせた走りになってしまう。最初から9車なのと、7車では走り方が変わってしまうのは致し方ないだろう。では7車立てが面白くないのか、といえばそういうわけではない。突っ張り先行や、イン粘りが増えた。単純なライン決着が多いわけでもなく、推理の要素がシンプルになったということだろう。

推理の要素がシンプルになった7車立て競走。ライン戦の面白さを知ってほしい。

 自力同士が組めば、二段駆け、前後の入れ替わりなど、推理が面白くなるのは不変だ。過去の連係実績は? 今度はお返し? それに対する相手の出方は? などなど。やっぱり、ラインあっての競輪である。選手の力関係だけでなく、選手心理を読み解く前提は変わらない。ラインの力を集結させて、強い相手に抵抗する。これが決まったときの爽快感はたまらない。選手もだろうが、車券を買っている側もそうだ。競輪ファンはもちろん、競輪を知らない方にも、ライン戦の面白さを知ってほしい。切に願っている。(netkeirin特派員MN記者)

【ラインの変化2】
『スピード競輪が変えたラインの役割』

 先日の大垣記念時に開催された「117ルーキーチャンピオン」での法政大学ラインはいろいろな意味で驚かされた。これまでのラインといえば、同県、同地区、同期、で構成されるものが常。イレギュラーがあってもそれは番組が意図的に組むもの(例・先日の川崎記念でいう北津留翼を佐藤慎太郎に配置)で、たまに「隠れライン」があった程度。しかもそれは後付けだったりする。ところが彼らは「学校」をラインに取り入れた。少なくとも自分はこれまで見たことがなかった。ラインの概念がまだ分かっていない、というかつながりの薄い若手たちの集まりだからこそ実現したもので、普段の競輪ならば誰かしらに分断されたり主張されたりして間違いなく実現していなかったと思う。良いか悪いかはさておき、輪史に残る珍ラインだった。

驚かされた「117ルーキーチャンピオン」での法政大学ライン

 ラインの概念は15年前と今では基本的には変わっていないと思う。変化をいくつか挙げると「先行」と初手からコメントする自力型が減った。これはレースでその通りのレースができなかった場合のヤジを意識してしまい「自力」と保険をかけるというか。昔の自力選手は「先行」というコメントが多かった。大ギア化し、現代のスピード競輪になったことで追込選手の寿命が縮んでしまった。ヨコの動き専門の選手がタテに順応できずに終わっていくパターンを何べんも見てきた。

 昔ならラインの役割がもっとはっきりしていたと思うし、2着が勲章といわれた「マーク選手」がここ数年はめっきり減っており「突っ込み屋」「差し屋」が増えた。これはタテ脚のある追い込み選手しか生き残れないことを意味している。あと、細かいところでいえばライン4車で先行した場合、3番手選手は先行と番手の中を4番手の選手のコースとして外を踏むことが多かったが、最近は先に中に入ったりする。これはレース形態にもよるし一概には言えないが…。

 7車制が定着したいまは、3番手の選手が不利なのは否めない。今後はたとえ同地区であっても3番手を回りたくないあまり「決めず」のコメントが増えていくと思う。そうなるとラインの希薄さが浮き彫りとなり、絆や義理人情などがなくなり、淡泊なペラッペラな形だけのラインが増えていくことが想定される。結局のところ、ラインにおいて昔は「自力選手」よりも「追込選手」の方に発言権があったが、スピード競輪となった今は立場が逆転してしまったということだ。(netkeirin特派員YT記者)

【ラインの変化3】
『“マーク”は勲章の“く”だったが、現代はタテ脚第一に』

 7車立てのレースが主流になり、競輪のスピード化が一気に加速した。抑えて駆ける機動型は激減し、先行といえばカマシか突っ張りのほぼ二択。踏み出し(一歩目)に難のあるベテランマーカーにとっては、厳しい状況だ。

 私が記者デビューした10年前に、某マーク選手から教わった言葉がある。

「マーク選手にとって“ク”は勲章の“く”。1着と同じ価値がある」

 クとは決まり手の欄のマーク数の事。1着選手に付け切って2着に入った回数を表す。その選手曰く、差しの決まり手が多いのは“追い込み選手”、自力に付け切ってしっかり2着に入るのが“マーク屋”とのことで、この言葉を聞いてから私の中では“追い込み選手”と”マーク選手”は別物と考えるようになった。

 かつてはマーク屋のように、テクニックを駆使して第一線で活躍を続けていた選手も多くいた。脚力のある若手を、ベテランが経験とテクニックで翻弄する、それがまた競輪の魅力でもあった。しかしタテ脚勝負の“ケイリン”になりつつある今、その傾向も薄れてきて、“マーク屋”という言葉も残念ながら死語になりつつある。

「7車立てはタテ脚が必要」と言う声が圧倒的に多く、中には「追い込みから自力中心に戦法を戻している」と戦法の見直しを図った選手もいる。そのうちの1人でもある平原啓多は「追い込みの勉強をするために他地区の3番手を回ったりもしていたけど、7車立てで3番手を固める競走ばかりはちょっとキツかった。追い込みでも自分で動けるくらいの脚は必要になるし、それならもう一度、自力に戻そうと思って」と戦法チェンジの意図を明かしてくれた。

“タテ脚至上主義”になりつつある近年の競輪

 タテ脚がある選手こそ、番手で車間を切るなどの仕事をしたり、また番組や状況次第で先頭を務めることができる、という“タテ脚第一”の傾向は、これからより一層強まっていきそう。自力選手はもちろん、ラインを固める選手も今まで以上にタテ脚が重要になってくるだろう。(netkeirin特派員YD記者)

【ラインの変化4】
『守りたい、誰かのためにの精神』

 昔の選手が引退するときは、家族や同期、同門の練習仲間、師匠、弟子などが引退レースに集まり、華々しく引退選手を送り出すケースが多かった。お世話になった人への“礼”がある。人間関係をとても大切にしていたのだが、最近はひっそりと辞めて行くケースが多い傾向がある。

 1着を取るのが選手の使命だが、「ライン」を組んだもの同士による“決めごと”の中で選手は1着を目指している。この“決めごと”の中で、それぞれの長所(脚質や性格など)からタイプ分けがされ、役回りが決まってくる。これは“生き方”とイメージが重なるものだし、それが競輪の魅力のひとつでもある。群馬の高橋光宏(GI覇者)、新潟の阿部康雄は、いわゆる“サラリーマン気質”で、3番手回りで地位を築き、役割をきちんと果たしてから、最後に突っ込んできていた。“ライン”は“人間の生き方”とも言えるだろう。「ライン」が機能するもしないも、番手の選手の力量次第。前を残しながらも、後ろのコースも作る。ここがオールドファンにとっての競輪の醍醐味。そう、「気配り」であり「目配り」だ。

 翻って近年の「ライン」事情はどうだろうか。7車立てになり、さらには5車立てにもなり、「ライン」の魅力が半減したのは間違いない。5車ともなると、もはや“競輪”でなく”スプリント”といっていいかもしれない。養成所(競輪学校)の教育システムも、時代とともに変化した。それもラインの魅力が半減した理由のひとつといえるだろう。“ラインの教え”というものは、学校ではなくプロの世界に入ってから学ぶケースがほとんど。これは提言になるが、養成所のレースでも“ライン教育”を実施し、「ライン」の価値や意味合いというものを改めて認識してみてもいいのではないのだろうか。

「ライン」を考える時に、どうしても2段駆けのレースの問題が出てくる。既存のファンは番手捲りのレースが大好きだが新規ファンには受け入れがたいようだ。たとえば、数年前までの武田豊樹と平原康多、最近でいうと、全日本選抜競輪の深谷知広と郡司浩平。あれが、競輪の本来のライン戦。「ライン重視」とは「誰かのために」の精神だと僕は思っている。誰もが認める絶対王者脇本雄太。脇本は最初から今の強さではなかった。誰よりも献身的に走り続け、脇本は今の地位を築いた。ナショナルチームに入って強くなったわけではない。そうした“下積み”が多かったから、今の脇本があるのだ。

武田豊樹と平原康多の「ライン」は多くの競輪ファンをひきつけた

「ライン」を考えた時に、地区的な差がある。近畿には「厳しい掟」。中四国は、わりと自由な雰囲気。九州は、煩いマーカーが多かったので先行選手が育たなかった。ラインは人間関係が中心であるが“戦略”でもあった。将棋棋士、作家など高尚な競輪ファンが多いのはそのためだろう。どうしても、我々古い記者は、昔からの“競輪”を基準にして物事を考えてしまう。選手への取材スタイルや、記事内容もこれに批准する。柔軟に対応しないと、取り残される危機感もあるが、それを「守りたい」気持ちも強い。(町田洋一)

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