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競輪ライン特集

【競輪ライン特集】後世に語り継ぎたい“ラインの絆” 〜村上義弘が燃やす情念の炎

2021/04/27 (火) 12:00 30

「ライン」とは競輪選手がチームを組んで走ること。ときにファンのハートを鷲づかみにするようなドラマを生む“ラインの絆”について、長年競輪を見続けてきた4名の記者に語っていただきました。当時の映像とともにお届けいたします。

【ラインの絆1】
「近畿は稲垣のために、稲垣は近畿のために」

寬仁親王牌(2016年)

 「ラインの絆」の象徴的な出来事が稲垣裕之が優勝した寬仁親王牌(2016年)だ。稲垣といえば、何度もGI決勝の舞台に立ちながらあと一歩のところでタイトルに届かない“無冠の帝王”と呼ばれていた時期もあった。最大のチャンスと目された2016年のオールスターでもゴール寸前でかわされて涙の準優勝。もう稲垣はGIを獲れないのでは…という空気が流れていた。

 しかしすぐにリベンジの機会が訪れた。続くGI・寬仁親王牌で再び優出すると、決勝は脇本雄太の番手で後ろを村上義弘が固める盤石の布陣で臨んだ。レースは脇本が主導権を握り稲垣が番手から発進する展開に。先頭に立った稲垣に平原康多がゴール寸前で猛然と襲い掛かったが、これを振り切った稲垣が初戴冠となった。

稲垣裕之がGI初戴冠/寬仁親王牌S級決勝(2016年、提供公益財団法人JKA)

 当時まだGIを勝っていなかった脇本はもちろん、村上義弘だって『自分も勝ちたい』と思っていたはず。ただ、その気持ちと同じかそれ以上に『稲垣に勝ってもらいたい』という思いがあったことは想像に難くない。“近畿の全員にチャンスがあるように”と決勝は別線で戦った古性優作と南修二の大阪コンビの選択も、ラインを思ってのことだったと推測できる。また、準決勝では三谷将太が近畿ラインの4番手を固めるなど、多くの近畿の仲間が稲垣を支えたからこその優勝でもあった。

 そしてこの優勝を機に稲垣の近畿ラインへの恩返しはより献身的になった。“近畿は稲垣のために、稲垣は近畿のために”とばかりに、近畿の軸として先頭で戦ったり3番手を固めたりと身を粉にして近畿ラインに貢献する稲垣裕之。

 今では松浦悠士と清水裕友が前後を入れ替えながらいくつものタイトルを手中におさめてきたが、これは『前回頑張ってくれたから、今回は自分が頑張りたい』という気持ちが大きな原動力になっていることは間違いないだろう。感謝の気持ちや恩返しの思いが強ければ強いほど強力になる。それがラインの絆ではないか。(netkeirin特派員YD記者)

【ラインの絆2】
「兄のために弟が渾身のカマシ」

西王座決勝(2011年)

 2011年豊橋の西王座決勝は坂本健太郎、坂本亮馬の久留米兄弟コンビが初連係。普段、兄弟が同乗できるのは「優秀戦」「決勝戦」「自動番組」のみ。意図的に組む番組ではルール上は不可能というレアな条件を潜り抜けて決勝の大舞台で連係が実現した。

 このころの亮馬は立て続けにGIファイナルへ進出し、GIII記念を勝ち倒し、S級S班にも君臨するなど若手機動型の急先鋒として売り出しており「亮馬ブーム」をつくるなど、その名を轟かせていた。

 勝負スタイルは“若手なら先行”という競輪界の常識にならわず、勝ちに徹した勝負を貫いており、無理駆けや鐘前先行と行ったレースを好まず、師匠の加倉正義が「俺が付いてもアイツはいつも通りの走り(笑い)」と苦笑いしていたほどドライな立ち回りだった。

 しかし、この豊橋決勝は違った。兄・健太郎のためにここしかないタイミングで渾身のカマシを放った。勝ちにいくなら絶対に構えていた距離だったが、ちゅうちょせずに行った。

 結果は4角を先頭で通過し、健太郎に絶好展開が到来したかに思われたが、切り替え内を突進した村上博幸が突き抜けてしまい兄弟愛は実らず。 それでも、あの亮馬が…と兄弟仁義にいたく感動した。(netkeirin特派員YT記者)

坂本健太郎、亮馬の兄弟コンビが初連係/西王座決勝(2011年、提供公益財団法人JKA)

【ラインの絆3】
「最初で最後の即席トリオ」

日本選手権競輪決勝(2008年)

 13年前の2008年3月、静岡競輪場で行われたGI日本選手権(ダービー)決勝。小嶋敬二(石川)-山田裕仁(岐阜)-山口幸二(岐阜)-濱口高彰(岐阜)の中部カルテット、平原康多(埼玉)-藤原憲征(新潟)の関東コンビに対し、それぞれの地区から唯一、勝ち上がった山崎芳仁(福島)-渡邉晴智(静岡)-合志正臣(熊本)が3車ラインを形成した。先頭を受け持った3人が積極タイプではない3分戦。絆という点なら中部か関東。ラインの厚み、実績などを加味すれば、小嶋が駆けるのではないか、というのが大方の予想だった。

 残り1周半の打鐘を合図に小嶋が前に出た。平原は内に包まれている。幾多の修羅場を経験してきた小嶋でも、泣く子も黙る3人を背にしてもペースを上げない。〝(後ろが他地区の山崎に)早い仕掛けはない。まだ来ない〟という思いがあっただろう。しかし、打鐘過ぎの2センター、山崎が豪快に仕掛けた。慌ててスピードを上げた小嶋をホーム過ぎに叩き切り、風を切った。ダービーの決勝で常識、セオリーを超越した先行勝負を見せた。結果は渡邉が地元でGI初優勝。合志が2着、山崎は3着。ラインの勝負という観点なら、山崎が別線を圧倒した。

 それにしても、である。数年後に、渡邉とあのレースについて話をする機会があった。「そういう(先行する)流れになったら、“ちゃんと獲ってくださいよ”って言われたんだよね。まさか、本当にそんな展開になるとは思っていなかったけど。もう、足を向けて寝られないよね〜」と振り返ってくれたのも印象的だった。同じダービーに参戦し、山崎の先行を見ていた福島支部の後輩選手は「まくっていれば優勝できたと思うけど、地元の晴智さんが付いて、先行しにいって、優勝させたことが凄い。これぞ、競輪だなあと思う。誰もが勝ちたいダービーの決勝。今、あのレースをできる人はいなんじゃないですか」と、同じ自力屋としての視点で語ってくれた。

 最後は「今にして思えば、あの開催は晴智さんの優勝って決まっていたような気がしますね。地元のGI決勝で、あの当時の山崎さんの番手がすんなり回ってくるなんて。全ての要素が重なった優勝だったと思いますよ」と締めた。

最高峰の舞台で山崎芳仁が見せた男気/日本選手権決勝(2008年、提供公益財団法人JKA)

 北日本からもう1人、決勝進出者がいたら? 小嶋がペースを落とさずに駆けていたら? あのラインはなかったし、あの展開にはなっていなかっただろう。偶然が重なって起こった必然。血縁関係、師弟関係、同県、同地区、同期など、さまざまな絆を見せてきてくれたライン。たまには、地区を超越した絆もありだろう。こんなことがあるから、競輪は面白くて、ちょっぴり難しい。ちなみに山崎、GIグランドスラムへ、勝てていないのはダービーだけ。まさか、あの先行を悔やんでいるなんて事はないだろうが、あとちょっと足りないというのも、誰からも愛される山ちゃんらしいといえば山ちゃんらしいのではないだろうか。

 人間同士が織りなす、さまざまなドラマ。ライン戦は他の公営競技では見ることができない、競輪が誇る最大の魅力であろう。(netkeirin特派員MN記者)

【ラインの絆4】
「村上義弘が燃やす情念の炎」

寛仁親王牌決勝(2010年)

 自分の中でラインを考えた時に一番の教材であり、これ以上のレースは今後ないと思っているのが2010年、前橋競輪場で開催した親王牌の決勝。優勝は市田佳寿浩。近畿は脇本雄太(福井)、村上義弘(京都)、市田佳寿浩(福井)だった。並び的に言えば、福井と福井の間に京都を1車噛ませた形だが、村上と市田の間には“兄弟”以上の強い絆があった。

 それは“戦友”であり”同志”。市田は大ケガをしながらも不死鳥のように何度も蘇り、その姿を村上は誰よりも近くで見てきて、誰よりもともに闘ってきた。当時、「絵になる2人」と何度書いてきたかは分からない…。今なら市田に聞けるが、当時の市田の本心は分からない。自分が勝つために、村上に番手を譲ったとも言える。いや、村上の前は回れないと言う敬意があったかもしれない…。

  レースは赤板前から脇本が吹かして終始1本棒。福島地区は別線だったが、渡邉一成-山崎芳仁、新田祐大-伏見俊昭のラインは手が出なかった。全盛時の武田豊樹には山口富生がマークしていたが、2センターから内を突いて3着が精一杯。村上が2角から番手スパートし市田がゴール前でとらえてGI初優勝。それが市田にとって最初で最後のタイトルになった。

市田を男に! 村上義弘が見せた情念/寛仁親王牌決勝(2010年、提供公益財団法人JKA)

 もし、村上が自分のことだけを考えていたら、もっと引きつけてからのスパートでも良かった。「市田を男にさせたい」、その気持ち一心のレースだった。この2人の“気持ち”と”思い”を背負った脇本が、レース後にホッとして倒れ込んだ姿。当時の脇本のプレッシャーは想像を絶するくらい大きかったはずだが、そのシーンはあまりに強烈で、まるで昨日のことのように思い出される。最高のドラマであり、最高のエンディング。ここに競輪の「情念」がある。(町田洋一)

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