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伏見俊昭のいつだってフロンティア!

【伏見俊昭の一問一答】三宅伸の引退、そして選手だから知っている超・個性派競輪選手はふてぶてしいあの人!

2022/11/22 (火) 18:00 25

 netkeirinをご覧のみなさんこんにちは、伏見俊昭です。
 今回はみなさんからの質問にたくさん答えたいと思い、一問一答形式で色んなお話しをしていこうと思います。

伏見俊昭(撮影:島尻譲)

新田祐大の史上4人目のグランドスラム達成は「すごい」の一言に尽きる

ーー新田祐大選手が寛仁親王牌優勝でついにグランドスラムを達成しました。同県の選手としてどんな気持ちですか?

グランドスラムを達成した新田祐大(撮影:島尻譲)

 先日開催された親王牌で見事グランドスラマーになった新田君ですが、史上4日目の快挙です。中でもGI・6大会で優勝しているのは神山(雄一郎)さんと新田君のたった2人だけなので、ただただ凄いの一言です。彼は同門で弟弟子でもあるので、高校生の頃から見ていました。当時から1キロTTのスペシャリストで、潜在能力も高かった。もちろんタイトルを獲れる器とは思っていましたが、まさかグランドスラムまで達成するとは。本当に尊敬しています。

 新田君はデビュー当時ケガで苦しんでいて、出世街道には乗り遅れた感じだったけど、ナショナルチームに入って一皮も二皮も向けたかな。新人の頃の新田君の優しい面影がだんだん消えていって、勝負師としての成長がうかがえました。グランドスラムは山崎(芳仁)君もあとダービーだけでリーチかかってから足踏みしちゃっているのを見ているし、2021年の弥彦大会が絶好のチャンスだったけど、それをモノにできなかったので、新田君もそうなっちゃうのかなと…。今年の5月、地元のダービー前検日に不慮の事故で肩を痛めてしまって。彼はどちらかというとパワー系の選手なので自転車に力が伝わらなくなって進みが悪くなってしまうのかなと思っていたけど、しっかりケガのメンテナンスをしてやれるだけの練習もやってそれが結果としてGI制覇、グランドスラムに繋がったんだと思います。とにかく彼の勝負強さには圧巻の一言ですね。

 親王牌決勝はもちろん9人全員が優勝を狙いにいったけどラインの小松崎(大地)君、守澤(太志)君以外の6人は目の前で新田君にグランドスラムを達成されたくないって気持ちは絶対あったはず。だから新田包囲網で6対3くらいの戦いだったから新田君にとっては厳しい戦いだったでしょう。さらに新田君ももう36歳。年齢的にもだんだん厳しくなっていく中での優勝はさっきも言ったけど新田君の勝負強さとしか言いようがないですね。

東京五輪のときの気迫は凄かった「©JCF」

 達成したとき「グランドスラムおめでとう」って連絡は入れました。そしたら忙しいだろうにちゃんと返信をくれて嬉しかったですね。彼の頑張りはずっと見てきました。2021年の東京五輪では、僕が誘導員をやったので現地で新田君を見ましたが、脇本(雄太)君より気迫が感じられましたね。あの気迫があるからグランドスラムも達成できたんだなと。世界の中野(浩一)さん、吉岡(稔真)さん、山田(裕仁)さんも達成できなかった偉業を成し遂げた新田君はやっぱりすごい、本当にその一言につきます。

三宅伸が「もう自分の体じゃない」と決めた引退の真相

ーー競輪界のレジェンド三宅伸さんが33年間の選手生活にピリオド。三宅さんとの思い出はありますか?

33年間の選手生活にピリオドを打った三宅伸さん(撮影:島尻譲)

 伸さんの引退を知ったのは選手のTwitterでした。そのときは夜だったし「まさか」と思っていたけど、翌日になって新聞を見たら『三宅伸引退』って載ってて、すぐに伸さんに電話しました。そしたら「もう引退決めたわ」って…。思わず「どうしてですか、全然まだいけるじゃないですか」って言っちゃいました。

 伸さんは、体が大きいので落車すると毎回ケガがひどくて、でもケガに負けず復帰するので、自分の中では不屈の闘志の人。今年6月の落車で鎖骨を骨折したことが原因で、自転車を漕いでも漕いでも前に進まないっていう感覚になってしまったそうで、「もう自分の体じゃない」と思い引退を決意されたようです。選手はケガをしたらどういう風に治してどういう風にトレーニングするか全部わかっていて、復帰に向けて全力ですべてのことをやる。それでも戻らないってのは年齢のせいにはしたくないけどやっぱり歳なのかな…。

 電話口で50歳までS1でいることを目標にしていて、それを達成したことによって少し気持ちが緩んでしまったと。「現役を継続しているうちは目先の目標は立てちゃダメだ」とアドバイスもくれました。

 伸さんは64期で同期の番長(有坂直樹氏)、トカちゃん(高木隆弘)で「64期三羽ガラス」って言われていた逸材。僕は3人とも仲良くさせてもらっています。伸さんの中ではトカちゃん、伸さん、番長の順で引退するって思っていたそうですが、実際には番長→伸さんとなって「引退する順番が違った」って言っていましたね(笑)

どんなときも疲れた顔や弱さを見せなかった伸さん(撮影:島尻譲)

 一番の思い出は島根県のサテライト山陰へトークショーに行った時のこと。玉野記念が終わって次の日にトークショーがあったので、前入りするんでレース終わった直後に伸さんの運転する車で僕と大前(寛則)さん3人で島根に向かったんです。3、4時間掛かるのに伸さんはまったく疲れたそぶりもなく、途中で一度も休憩も取らずに走り続けました。島根入りした後はサテライトの社長さんも加わって焼肉を食べたんですが、そこでも豪快な食べっぷりで、圧倒されました。

「伸さん、疲れないんですか?」
「全然、平気や」

 伸さんはいつも「楽勝や」って言っていて、全然弱みを見せないんですよ。番長は「疲れた、疲れた」が口癖なのに(笑)。トークショーの前には生まれて初めて出雲大社に行きました。後にも先にも出雲大社に行ったのはこれっきり。伸さんと荘厳な出雲大社に一緒に行けたのもいい思い出です。この間は村上(義弘)さん、次は伸さん。立て続けにどんどん選手が辞めていくのはやっぱり寂しいです。選手同士ならどこかの開催で一緒になっていろいろ話したりできる。番長だって引退して競輪の仕事はしているけど、引退後一回も会えてないんですよね。

 メンタルの強い伸さんが時間が経てば治るケガで引退を決めたのは、よほどのことと思います。お疲れ様でした。

やっぱり勝てた競輪場は良いイメージがある

ーー伏見選手が好きな競輪場はどこですか?

いわき平競輪場(撮影:島尻譲)

 優勝した競輪場はやっぱり好きですね。初タイトルを獲った岐阜、KEIRINグランプリ優勝した平塚、立川にはいいイメージがあります。GI、GII優勝はないけど記念は優勝しているし、思い入れのある地元のいわき平ももちろん好きですよ。今でこそ空中バンクになりましたが、昔の競輪場ではよく合宿もして思い出もたくさんあります。

ふてぶてしいアイツはとにかく個性派(笑)

ーー伏見選手から見て競輪界の超個性派選手は誰ですか?

 基本的に競輪選手はみんな個性派です。誰をあげればいいのかな…「オマエが一番変わってるよ」って言われるような気もするけど…。

 やっぱりアイツしかいないでしょう。

 荒井崇博!

とにかく個性派の荒井崇博(撮影:島尻譲)

 多分、ほとんどの選手が同意してくれますね。特にせーちゃん(中川誠一郎)が(笑)。とにかく変わっていて個性派というのは彼のためにある言葉と言っても過言ではないでしょう。

 荒井は気分屋なんで気分が乗ってる時はマシンガントークでしゃべりまくっていて、話が止まらない。聞いてないことも延々としゃべってくる。ところが成績が悪かったりすると一切、しゃべらないで黙々とDVDを見ていたりする。そのどちらでも言い表すなら「ふてぶてしい」(笑)。そのふてぶてしさが荒井の売りで、それがなくなったらもう荒井じゃないですね。

 荒井は今年、快進撃ですよね。体が大きくなったように見えたから体重について聞いてみたら「体重は変わってない」って。でも明らかに一回り、二回り大きくなっているから何してるのか聞いたら「1日にゆで卵を5個以上食べる」って。昔の荒井はそんなことしてなかったのに今はプロテインもちゃんと飲んでて。体重が変わってないなら、脂肪が落ちて筋肉がついたんでしょうね。

 長崎への移籍の理由も聞きました。そしたら競走得点が100点くらいまで落ちたことがあって、そのとき「辞めようかな」と思ったとか。でもこのままじゃダメだと頑張って500勝も達成して。いずれはもともとの出身地である長崎に戻ろうと考えていたから、この500勝の節目がタイミングだなと思ったらしいですね。「これからの長崎はマサキ(井上昌己)と荒井の2枚看板だな」って声をかけたらニヤニヤ笑っていました。そのふてぶてしさが荒井ですね(笑)。

 荒井とは一緒にナショナルチームに入っていたので、付き合いも長いです。一緒に海外遠征に行くことも多かった。オーストラリアに行った時、僕はその場にいなかったんですけど、なんでか荒井がロードレーサーごと川に突っ込んで死にかけたんですよ。それを長塚(智広)が引っ張り上げて助け出しくれて。長塚は荒井の命の恩人らしいです。

中川誠一郎(左)と荒井崇博(撮影:島尻譲)

 こんなに荒井、荒井って言っていると本人から文句が来るかも?(笑)

 いやいや、大丈夫。
 もし何か言ってきたら「オマエ、このコラムのおかげで来年のオールスター、ファン投票でオリオン賞乗れるかもしれないよ?」って言っておきます(笑)。荒井は今、乗れてるし、今年最後のGI競輪祭は九州地区開催でもあるから優勝してKEIRINグランプリ出場のチャンスもありますね。

 あのふてぶてしさが出ればイケそうな気もしますね。



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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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