2022/10/07 (金) 12:00 75
9月29日に村上義弘が引退を表明した。脇本雄太にとって“村上義弘”は当コラムで何度も登場しているように、特別過ぎる存在だ。「予兆を感じていた」という切迫感と、引退が現実になった時に頭の中を巡ったもの。そして、これからの自分が、自分たちが背負うものとは…。(取材・構成:netkeirin編集部)
「稲垣さんと話していたんです。ひょっとしたら…って」
名古屋競輪場で開催されたGII「共同通信社杯」に出走中のその時、村上義弘(48歳・京都=73期)がGIII向日町記念「平安賞」を欠場すると伝わってきた。「地元の向日町の平安賞は、村上さんはどんなケガをしていても、どんな状況でも走るイメージだった。その人が…」。稲垣裕之(45歳・京都=86期)と、まさかのことを思った。
脇本は「平安賞」を完全Vで期待に応え、翌々日の午後。「直接の連絡はなくて、みんなと一緒。リリースが出てから、知りました。予兆を感じていた分、やっぱりか…って」。静かに、頭の中だけが回る。
「初めて連係した向日町のレースとか、市田(佳寿浩)さんが優勝した寬仁親王牌の決勝とか…」
一緒に戦った時間は、長い。「京都勢や市田さん以外では、一番長く近くにいて一緒に戦ったんじゃないですかね」と、脇本と村上の深い関係を思い出す。とにかく、大きい。
「全国の競輪選手を代表する、というイメージです」
その中で近畿の後輩としてつながっていった。「近畿の仲間を強くするリーダーシップがありました。自分もS級に上がって、色々なアドバイスをいただきました。怒られることも多かったです」。20歳を超えてそこそこの若者。当時は「なんで怒られているんだろう」と感じたこともあったという。
だが、「その時は意味がわからなくても、今思えばこういうことだったのか、とか強くなってから分かることばかり。今後の競輪人生においてムダになるものはひとつもなかった」という。全身で向き合ってくる村上との時間が、脇本を成長させた。
村上について印象的だったのは、古性優作(31歳・大阪=100期)が2021年8月のいわき平「オールスター」でGI初優勝を飾った時のことだという。「古性が優勝して自分とワンツー。引き揚げる時に村上さんが喜んでいる姿が印象に残っています。こんなにも近畿の選手が優勝したら喜んでくれるんだ、と」。満面の笑みを持って見つめる表情が、心に刻まれている。
村上の選手人生は苦闘の連続で、2014年3月に名古屋で開催された「日本選手権」ではSSイレブンという選手会騒動のため、その開催の後、村上は長期間、自粛欠場することが決まっていた。「優勝してすごく喜んでいたのを覚えていますね。自分はその後、残された僕たちが頑張らないと、と強く感じました」。翌6月には宇都宮競輪場で開かれた「高松宮記念杯」の決勝に稲川翔(37歳・大阪=90期)と勝ち上がり、脇本が駆けて稲川がGI初制覇。成長した姿を、村上に届けた。
“魂”という言葉で表現された走りがあった。脇本から見ていて「何があってもあきらめないというのが全面的に出ていた。そうじゃないと“魂”という言葉につながらないと思う」と感じていた。
「真似しようと思っても真似できない。村上さんに並ぶこともできなければ、超えることなんてとてもできない」。
ものすごく近くにずっといたが、偉大過ぎる選手だった。今思うのは「近畿のみんなにこうあるべきだというレールを敷いてくれた。僕だけじゃなくて近畿全体で感謝しないといけないし、競輪界全体で感謝しないといけない」ということ。
初めて向日町で一緒に走った時。「雰囲気とか空気とか今までに味わったことのないものだった」。村上がドリームレースを初めて勝った時。「あの時の村上さんの表情も印象的でした」。もしかすると誰よりも多く連係したかもしれない。「その都度、村上さんのテーマに応えようと思って走ってました」ーー。
「お疲れさまでした、のひと言で済ませてしまったら失礼になる。僕なりの形で何かを届けないといけないと思っています」。
脇本もまた、苦しみの中にある今だ。「自分自身で解決しないといけない」。西武園「オールスター」を完全優勝し、立川FIも3連勝。ただし、その後「全日本トラックで競技を走って、疲れなのか、原因は分からないけど…」も体の不調を感じている。
西武園は6日制ナイターで台風の影響による順延もあった。「しんどかったっす。6日制の上に順延でしょ。でも寺崎(浩平)と一緒にGI決勝を走れたのはうれしかった。みんなに警戒されて後ろを守れなかったので、それは自分の課題。後ろを回るために持っていないといけないものを身に着けていくか、まだそれは早い、という考えの人もいるだろうし」。何とか「普通なら絶望する」展開を乗り切っての優勝は、破格だった。
腸骨、体の深部を痛めたのがまさに昨年のこの時期だ。どうしても「あの時のような痛みが1回痛みが出てしまうと、トラウマなのか、全力で練習できない」状態に陥る。シビレも出たし、疲れも抜けない…。
そして、名古屋の共同通信社杯、向日町の平安賞の走りに至る。
「疑問に思ったファンの方もいたと思います」
仕掛けられず、後方からの勝負。“脇本雄太”がやってきた走りではなかった。「体がブレーキをかけている、っていう感じではない。気持ち? う〜ん、思考かな」。常に先行の選択肢を持っていたはずなのに、思考から外れてしまっているレースがあると分析する。
オッズを見れば、絶大な人気。2車単1倍台もザラにある。レース前に確認するタイプなので「1着を取らないといけない、っていうのが自分には求められている」ことを自覚する。無論「後ろの選手と決めたいのはあるんです」。
後ろに気を使って先行態勢に入り、別線の動きをすべて面倒見て…は1着を目指すには厳しくなる。「先行はリスクを背負っているんです」。理想的なのは向日町決勝の稲川との連係の形。
「気兼ねなく走れるのが、古性と稲川さんの2人。しっかり付いた上で、ラインの仕事もしてくれる」。
先行できる思考に導いてくれる後ろの選手の存在は大きい。競輪はライン戦。その戦いに没頭してきたからこそ、脇本は自分の力以上に後ろを頼っている事実がある。そして「僕に付くのを目標と言わないでほしい」と話した。脇本の後ろで付け切って仕事をする、そしてゴール勝負。近畿の選手にはそうあってほしい。
村上が他の選手に対し、強くなることを求めた姿が浮かぶ。
松山GIIIナイターや福井FIなどを経て、小倉のGI競輪祭が当面の目標になる。「欲しいタイトルですし、期間も長く取れるので」と心身を仕上げ直して臨む構えだ。村上がいなくなった近畿、競輪界を背負って、覚悟を新たに突き進む。
脇本雄太
Yuta Wakimoto
脇本雄太(わきもとゆうた)。1989年福井県福井市生まれ、日本競輪学校94期卒。競輪では特別競輪9勝、20年最優秀選手賞を受賞。自転車競技ではリオ、東京と2度オリンピック出場、20年世界選手権銀メダル獲得。ナショナルチームで鍛えられた世界レベルの脚力とメンタルは競輪ファンからの信頼も厚く、他の競輪選手たちに大きな刺激を与えている。プライベートではゲーム・コーヒー・麻雀など多彩な趣味の持ち主。愛称は”ワッキー”。