2022/09/30 (金) 18:00 34
ようこそ【ASAI☆LAB】へ
netkeirinをご覧の皆様、お元気でしたか??
私は高松宮記念杯の“準決勝”で落車をしてから約2ヶ月の間、復帰に向けての治療やトレーニングに専念していました。そして、オールスターより復帰することができました。
が…。
先日行われた共同通信社杯の“準決勝”でまたまた落車という結果です(2レースともコースを攻めた結果なので後悔はしていません)。
現在の私の“壁”は、特別競輪の“準決勝”ということがわかります。今までの経験上、トレーニングをやるだけではこの壁を乗り越えることはできません。もちろん、脚力があることを前提として話をしていきます。走り方やコースの選び方、普段のトレーニング方法や考え方など、どこかのタイミングで“何か一つの大切なもの”を見つけることが出来れば、その壁をクリアすることができるはず。それを見つけることが普段の“トレーニング”なのだと思う。
だだ筋肉だけを鍛え、ただ自転車に乗って走るだけが競輪選手ではない。
・スポーツや他の身体運動に習熟している人。
・スポーツ、身体的強さや俊敏性、スタミナを要求されるゲームについてトレーニングを積んだり技に優れている人。
一般的にはこのようにいわれています。
それでは【athlete】を少し探ってみましょう。
・英語の“athlete”の語源はギリシャ語の“athlētēs”からきている。
・ギリシャ語では『a person who competes for prize 』“賞品(athlon)のために競う人”と記されている。
さて、私たち競輪選手の賞品とは何でしょう。皆さんわかりますか??
賞品とは“賞金”です。
競輪界の場合、賞金を稼いだ人こそアスリートなのではないでしょうか!?
日本代表を経験してきた新田君、深谷君、脇本君はケイリンから競輪に戻り、まさに今本物の“競輪アスリート”になっていると私は思います。
世界を経験して学んだセッティングやトレーニング。そして、その成果を競輪に繋げて結果を出して賞品(=賞金)を貰う。
これが“athlētēs”ですよ。
私が日本代表時代にヨーロッパの金メダリストに話を聞いたことがあります。
「なぜメダルを獲りたいの?」と。
返ってきた言葉は、
「メダルをとればお金になる」
「お金のためだよ」
私はこの時、本物のアスリートはコレだと感じました。汚くても、ダサくても、精一杯ゴールまで1着を目指して走ることが今の自分に出来る事だと教えられた気がした。そして、ナショナルチームを続けるのかを迷っていた時に弥彦競輪場で開催されたGIで初タイトルを獲得。競輪に専念しようと思いナショナルチームを辞めました。
私の走りが嫌いな人は沢山いるでしょう。
でも、私はお金を稼ぐ為に競輪選手になりました。先輩にどんな走りをするべきかを指導され、経験を積むことで、今何をすべきなのかを理解しながらやってきたから、今がある。
だからこそ、ラインのことやファンのこと、そして競輪界のことも考えるようになった。
競輪界では、自転車競技をやっているからアスリートだ。という風に考える選手もいます。それ以外にも、メディアの取り上げ方により、選手達をその気にさせてしまい、本来あるべき姿の“競輪選手”ということを忘れている人が多い気がします。
「綺麗なんです!! 競輪は!!」って見せることはなしではない。しかし、ボクシングの殴り合いのような汚い世界でもある。汚いと表現しましたが、悪い意味ではなく身体を張って勝負してるってことです。
メディアの人達にはケイリンではなく、もう少し競輪に対しての知識をつけて頂き、競輪の魅力をテレビやSNSを通して伝えてもらえると嬉しいです(※競輪記者は除く)。
今からでも遅くない。
今の倍、トレーニングをする。
今の倍、頭を使って仕事の事を考える。
そうできれば、必ず今よりもいい結果に繋がるでしょう。これを見てくれているあなた!! 目の前のことから目を背けず立ち向かってください。何度失敗してもいい、必ず成長するから。そして、また次の難題がくる。
人生はだだそれの繰り返し。
スポーツに限らず、各自の現場で各自の目指す賞品(賞金、給料、ボーナス、昇給など)を得ることに専念し各業界の“athlētēs”を目指してほしい。
私は競輪をやって学んだことや感じたことを【ASAI☆LAB】で伝えさせてもらえることがとても嬉しく思います。まだまだ成長していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
最後に…オリンピックというスポーツの祭典を使い汚職した方々。事件の背景には、スポーツビジネスの膨張があると思いますが、スポーツ支援より利益目的が優先されるのなら、ある意味、この方々も”アスリート”なのかもしれない…(笑)。
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浅井康太
Asai Kota
1984年、三重県生まれ。日本競輪学校90期卒、ホームバンクは四日市競輪場。2005年7月松坂競輪場にてデビュー。第20回寛仁親王牌(GI)で特別競輪初優勝を決めた。その後もKEIRINグランプリを2度制するなど競輪界の中心選手として活躍、中部を牽引する存在としていまなお進化を続けている。キーワードは「KEEP LEFT」