アプリ限定 2021/11/16 (火) 19:00 11
⽇々熱い戦いを繰り広げているガールズケイリンの選⼿たち。このコラムではガールズ選⼿の素顔に迫り、競輪記者歴12年の松本直記者がその魅⼒を紹介していきます。11⽉のピックアップ選⼿は118期の「⻄島叶⼦(にしじま・かのこ)選⼿」
本格デビューは2020年の7⽉、同年12⽉に松阪で初優勝。憧れの選⼿として奥井迪の名前を挙げており「奥井さんに認めてもらえるような先⾏がしたい」と志の⾼さを⾒せる⻄島選⼿。デビューまでの道のりはなかなかの遠回りで、それこそが彼⼥の情熱と根気を物語っています。どんな経緯があって選⼿になり、今に⾄るのか、熊本バンクへの想いなど…ここでしか聞けない話が盛りだくさんです!
⻄島叶⼦にとって競輪はずっと⾝近な存在だった。⽗は⻄島聡一(56 期・引退)、叔⽗は⻄島貢司(64 期)、しかし学⽣時代は⾃転⾞競技ではないスポーツを選んだ。中学でバレーボール、⾼校では“やんちゃ”な性格を⽣かして空⼿に打ち込んだという。ちなみに熊本の⽠⽣崇智(109期)、曽我圭佑(113期)とは九州学院中学、⾼校の同級⽣で6年間同じ校舎で過ごしたそうだ。
ガールズケイリンとの出会いは⾼校時代。「スポーツに携わる仕事がしたい」と考えていたため、ガールズケイリンの情報に触れた瞬間「やりたい!」とときめいた。体に流れる競輪一家の⾎が騒いだようだ。
しかし競輪の激しさ、厳しさを⾝をもって知っている⽗は競輪選⼿になることを反対した。だが、それでも簡単に諦めるつもりはなかった。⽇本競輪学校(現・⽇本競輪選⼿養成所)の受験は許してもらえなかったが、⼤学へ進学し⾃転⾞競技の経験を積んで4 年後の試験に備える⼿を選んだ。
「⾼校卒業後は空⼿で⼤学の推薦もあったけれど、ガールズケイリン選⼿になりたかったのでその選択肢はなかったですね。⿅屋体育⼤学か⽇体⼤で迷ったけど、熊本から近い⿅屋体育⼤学1本に絞って受験に備えました」
空⼿の推薦ではなく、一般⼊試だったので⼤学⼊学までは苦労した。
「中学までは勉強が得意だったけど、⾼校に⼊ってからは…(笑)。勉強が苦⼿になってしまい、試験勉強には苦労しました」
念願の⿅屋体育⼤学には2浪の末合格を勝ち取った。
⿅屋体育⼤学は⾃転⾞競技をするには最⾼の環境だった。
「⽥舎なので遊ぶところも無いし、練習するしかない。根占の⾃転⾞競技場も使えるし、⾃分を⾼めるにはいい場所でした!」
ガールズケイリンの⽅に舵を切る転機は⼤学3年の松⼭で⾏われた国体だった。
「実は⽬標がはっきりしていない時期もあったのですが、松⼭国体で(⽯井)寛⼦さん、(児⽟)碧⾐ちゃんとケイリンを一緒に⾛り、全く⻭が⽴たなくて…。松⼭国体に向けて練習をして調⼦もよかったのに悔しい思いをしました。『この⼈たちに勝ちたい』という気持ちから真剣にガールズケイリンと向き合うようになりましたね」。
満を持しての⽇本競輪選⼿養成所の試験は⾃信があったようだ。遠回りにはなったが、⼤学⽣活4年間に積み重ねた実⼒で難なく試験は突破。
⼊所したのは118期、バラエティーに富んだメンバーがそろっていた。
「⼊所して最初の同部屋が保⽴(沙織)さんだったんです。保⽴さんはビーチバレーで実績もあり年上なのに、とてもフレンドリーで楽しかった。厳しい訓練も同期のおかげで乗り切れました」訓練では先⾏を意識していたという。最終バックを先頭で通過、先⾏本数を増やすことを考えて練習に臨んだ。養成所は3位(27勝)で卒業と優秀な成績だが、集⼤成の卒業記念レースでは悔いが残ったようだ。優勝だけを狙って臨んだが、結果は九州学院の後輩・尾方真生に敗れて準優勝で終わってしまった。
「ショックでした。卒業記念レースは優勝を狙っていったので。師匠の東⽮(昇太)さんは98期の卒業記念レースで準優勝だった。師匠の分まで優勝するつもりで臨んだが、越えることができませんでした…」
モヤモヤした感情のまま卒業すると、吹っ切れないままプロデビューを迎えてしまった。118 期からルーキーシリーズが始まり、5、6⽉の2カ⽉は同期だけの戦い。養成所の流れのままに⾛っていると、案の定7⽉の本デビューでいきなり先輩たちの⾼い壁にぶつかってしまった。
そんな状況で助⾔をくれたのは⽗だった。
「5⽉⼩倉のルーキーシリーズは決勝に乗ったけど、本デビューしてから7⽉の2場所は全くレースをさせてもらえなかった。何をしていいかも分からずキツかった。8⽉の弥彦に参加する前、⽗に『どうせ⼤きい着を取るなら、先⾏したほうがいいよ』ってアドバイスしてもらえたんです。その⾔葉のおかげで勇気が持てました。3⽇間先⾏するって決めていきました」
8⽉の弥彦は予選2⾛を先⾏勝負。着順は5、6着と結果は付いてこなかったが、最終⽇の一般戦は主導権を握り、最後まで誰にも抜かれることなく押し切ってデビュー初勝利を飾った。
弥彦後は⾼知、⼩倉と決勝進出。少しずつガールズケイリンの流れに慣れてきたが、初優勝にはもうひと⽪剥ける必要があったという。
「10⽉の熊本記念(久留⽶開催)のとき、新⼈紹介でテレビに出たんですよ。そのとき、熊本の⼤先輩・緒⽅浩一さんに怒られたんです。『もったいないぞ』って。そう⾔ってもらい緒⽅さんの朝練グループに⼊れてもらい練習をするようになりました」
朝練の効果はてきめんで、12⽉松阪で初優勝をつかみとった。
「松阪の優勝でビックリしました。⾃分の調⼦はよかったけど(中川)諒⼦さん、⻲川(史華)さんと⾃分より強い選⼿もいたので、まさか優勝できるとは…!」
初優勝後もコンスタントに決勝進出を続け、4⽉武雄で2回⽬の優勝。同⽉⻄武園では若⼿の登⻯⾨「フレッシュクイーン」にも参加(優勝は同期の増⽥⼣華)、7⽉には久留⽶で⾃⾝3回⽬の優勝と着実に結果を残している。
しかし、今の状況にはまったく満⾜をしていない。
「3回⽬の優勝の久留⽶はしっかり⾃⼒を出して勝てたけど、最近は消極的なレースで出し切れず終わることもある。先⾏逃げ切りで優勝したいって気持ちは持っているし、いつか実現したい。そのためにはしっかり⾃⼒を付ける練習をするしかない」と話す。
⼩さなころからなじみのある熊本競輪場は改修⼯事に⼊り、再開は2024年の秋を予定している。改修⼯事中は⼤学時代に慣れ親しんだ⿅児島に練習拠点を移す予定だ。
「いままでバンク中⼼の練習だったし、改修⼯事で使えなくなるのは痛い。でも⼤学時代を過ごした⿅児島で1⼈暮らしして練習するつもりです。⼤学時代は⾃分が1番成⻑できた時間。原点に戻って、もう一段階強くなれるように練習していきたい。地元開催って憧れますよね! 熊本の競輪ファンは熱い⼈が多いし、早く⾛ってみたい。地元戦なら知り合いの⾒に来ることができると思うし、そういう⼈の前で優勝できるように頑張っていきます!」
次⾛は11⽉のグランプリトライアル。佐藤⽔菜、太⽥りゆの⽋場で繰り上がり出場も決定。今年の⽬標に掲げていた⼤会への出場が決まり、モチベーションは上がっている。富⼭で失格したことは残念だが、気持ちを切り替えて⼤一番に臨むはず。
着実にステップアップを続ける⻄島叶⼦のチャレンジはまだまだこれから。熊本競輪場の復活時にはガールズケイリンの中⼼選⼿になってくれるだろう。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。