2025/07/02 (水) 18:00 26
現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが久留米競輪場で開催された「中野カップレース」を振り返ります。
2025年7月1日(火)久留米12R 開設76周年記念 第31回中野カップレース(GIII・最終日)S級決勝
左から車番、選手名、期別、府県、年齢
①郡司浩平(99期=神奈川・34歳)
②取鳥雄吾(107期=岡山・30歳)
③南修二(88期=大阪・43歳)
④三谷将太(92期=奈良・39歳)
⑤和田真久留(99期=神奈川・34歳)
⑥北津留翼(90期=福岡・40歳)
⑦松本貴治(111期=愛媛・31歳)
⑧太田海也(121期=岡山・25歳)
⑨和田圭(92期=宮城・39歳)
【初手・並び】
←⑧②⑦(中四国)①⑤(南関東)③④(近畿)⑥⑨(混成)
【結果】
1着 ③南修二
2着 ⑧太田海也
3着 ②取鳥雄吾
相変わらず真夏のような暑さで、7月に入ったばかりだというのに、今年は早くも梅雨明け宣言が出るとの話ですね。そんな猛暑のなか、福岡県の久留米競輪場で開催されたのが、中野カップレース(GIII)です。決勝戦が行われた7月1日は、なんと最高気温37度ですよ! バンクと屋内との気温差が非常に大きいので、走る選手もコンディション維持には苦労したと思いますよ。
清水裕友選手(105期=山口・30歳)や新山響平選手(107期=青森・31歳)も出場予定でしたが、いずれも病気欠場。S級S班の出場が郡司浩平選手(99期=神奈川・34歳)だけという、メンバー的にはちょっと寂しい記念となってしまいました。競走得点が2番目に高いのは太田海也選手(121期=岡山・25歳)で、3番手が和田真久留選手(99期=神奈川・34歳)ですから、基本的には神奈川勢が優勢でしょう。
しかし、強い選手が必ずしも勝てるわけではないのが、競輪という競技です。初日特選は、郡司選手が先頭の南関東勢が圧倒的な支持を集め、最終1センターでは先行する小林泰正選手(113期=群馬・30歳)を捲りきりますが、南関東勢の後ろに切り替えた近畿勢が最終バックで強襲。取鳥選手にスピードをもらった松本貴治選手(111期=愛媛・31歳)も、最後方から内を突いて伸びてきます。
早め先頭の郡司選手は最後まで粘りきれず、南修二(88期=大阪・43歳)の番手から最後よく伸びた三谷将太選手(92期=奈良・39歳)が1着。2着には松本選手が突っ込み、郡司選手が3着という結果でした。3連単配当139,060円という大波乱で、脚をできるだけ温存していた組に展開が向いた印象ですね。ここは3着に終わった郡司選手でしたが、デキが悪いとは感じませんでした。
実際に郡司選手はその後、二次予選を1着、準決勝を2着と、安定感のある走りで勝ち上がり。デキのよさが目立っていたのは北津留翼選手(90期=福岡・40歳)で、一次予選からオール1着で決勝戦に駒を進めてきました。あとは、太田海也選手(121期=岡山・25歳)や南選手も、調子は上々のようでしたね。どちらも、岸和田・高松宮記念杯競輪(GI)でのいいデキを維持して、このシリーズに臨めていました。
四分戦となった決勝戦。2車ラインの南関東勢は、初日特選と同様に郡司選手が先頭で、番手を和田真久留選手が回ります。ここも人気の中心となりましたが、シリーズ唯一のS級S班として、恥ずかしい戦いはできません。そして近畿勢も、先頭が南選手で番手が三谷選手という、初日特選と同じ並びで勝負です。南選手は、タテ脚の強化によって走りに幅が出ましたよね。今日も、位置にこだわる勝負をみせてくれそうです。
唯一の3車ラインが中四国勢で、先頭を任されたのは太田選手。その番手を取鳥雄吾選手(107期=岡山・30歳)が回って、3番手を松本貴治選手(111期=愛媛・31歳)が固めるという布陣です。総合力の高さはかなりのもので、取鳥選手は記念初優勝の好機到来といえます。そして、北津留選手の後ろには和田圭選手(92期=宮城・39歳)がついて、即席コンビを結成しました。
初日特選組が9名のうち7名と、再戦ムードが濃厚な決勝戦に。主導権を争うのは太田選手と北津留選手ですが、より積極的なのは太田選手のほうでしょう。久留米の400mバンクは前有利で捲りが決まりづらいので、後方に置かれる展開になるとその時点で厳しい。四分戦となったのもあって、有利なポジションを巡って動きのあるレースとなりそうです。ではそろそろ、決勝戦を回顧していきましょう。
レース開始を告げる号砲が鳴ると同時に、いい飛び出しをみせたのは2番車の取鳥選手。1番車の郡司選手もいいスタートを切っていましたが、ここは取鳥選手が誘導員の直後につけます。中四国勢の前受けが決まって、郡司選手はその直後4番手から。南選手が6番手で、最後方8番手が北津留選手というのが、初手の並びです。3車の中四国勢が前受けだと、突っ張り先行もあるかもしれませんね。
後方の北津留選手が動いたのは、青板(残り3周)周回の3コーナーから。北津留選手が外からゆっくり位置を上げていくと、近畿勢の先頭である南選手も、その後ろに切り替えます。赤板(残り2周)掲示の通過に合わせて北津留選手が前を斬ると、太田選手は抵抗せずに位置を下げました。北津留選手が先頭に立ち、3番手が南選手に。郡司選手も2コーナーで動いて、5番手につけます。
太田選手は後方7番手となって、ペースが落ち着いたまま打鐘前のバックストレッチに進入。そして打鐘の直前、後方の太田選手が一気に加速しました。素晴らしいダッシュで前との差を一瞬で詰めていきますが、追走する取鳥選手と松本選手は、その加速についていけずに離されかけます。しかし必死に食らいつき、打鐘後の2センターを回って先頭に立った太田選手に、最終ホームで追いつきます。
後方となっていた郡司選手も、最終ホーム手前から仕掛けて進出を開始。最終1センターで、北津留選手の外までポジションを上げます。北津留選手も踏み直しますが、太田選手に叩かれたのもあって苦しい態勢。バックストレッチに進入したところで、郡司選手が前に出て4番手に浮上しました。ここで南選手は、南関東勢の後ろにスイッチ。最終バックの手前で、郡司選手は松本選手の外に並びかけました。
ここで「奇襲」を仕掛けたのが松本選手で、ヨコの動きで郡司選手をブロック。松本選手にしっかり止められた郡司選手は、かなりスピードを削がれましたね。しかし、松本選手が勝負どころで内を空けたことで、郡司選手マークの和田真久留選手や、その直後にいた南選手が、これ幸いと空いた内に突っ込んでいきます。ここで取鳥選手も郡司選手のブロックにいったことで、インはガラ空きとなりました。
これはマズいと察した松本選手が和田真久留選手を内に押し込もうとしますが、それをかいくぐり、和田真久留選手は松本選手の前に出ます。そして今度は、郡司選手のブロックから戻ってきた取鳥選手を内から張りにいきますが、このときに後輪が松本選手の前輪と接触。松本選手は落車し、後ろにいた三谷選手も巻き込まれて落車してしまいます。このアオリで、郡司選手も大きく外を回らされました。
この一連の動きを“無風”で通過したのが、和田真久留選手の後ろから最内を突き進んだ南選手。最終2センター手前で太田選手の直後まで進出して、あとは直線で外に出すだけという絶好の位置につけます。その後ろは和田真久留選手と取鳥選手ですが、どちらもイエローライン付近。和田真久留選手の後ろには郡司選手や、落車をまぬがれた北津留選手と和田圭選手という隊列で、最終2センターを回ります。
そして、太田選手が先頭のままで最後の直線に向きますが、外に出した南選手がジリジリと差を詰めてきました。そこから大きく離れて、内の和田真久留選手と外の取鳥選手が前を追います。太田選手もよく粘りますが、南選手は30m線で太田選手の外に並びます。そして、ゴール前では南選手がハッキリと太田選手の前に出て、先頭でゴールラインを駆け抜けました。2015年8月の富山以来となる、じつに10年ぶりのGIII制覇です。
2着には逃げた太田選手が粘り、3着争いは外の取鳥選手が競り勝っていましたね。続いて和田真久留選手が4位で入線しましたが、レース後の審議で失格となっています。郡司選手は残念ながら人気に応えられず、繰り上がっての4着。3連単は172,250円と、初日特選をさらに上回る高配当決着となりました。勝負どころで落車があったことで、かなり「タラレバ」の残る決勝戦となってしまいました。
起点は、中四国ライン3番手の松本選手が、外の郡司選手をブロックにいったこと。ライン3番手は「内をしっかり締める」のがいちばん大事な仕事で、捲ってきた選手のブロックは、2番手である取鳥選手の仕事です。しかし、松本選手はそれを承知の上で、郡司選手を止めにいった。捲ってきた選手をブロックで止める技術については、取鳥選手よりも松本選手のほうが上なんですよね。
普段から、同地区の“仲間”のために頑張ってくれている取鳥選手。その優勝を後押ししたい気持ちが、松本選手がブロックにいった背景にあったかもしれません。確かに、あそこで松本選手が止めていなければ、郡司選手が捲りきっていたかもしれませんからね。その阻止には成功しましたが、空けた内に和田真久留選手と南選手が突っ込むという、新たなる脅威を生んでしまう結果となったわけです。
その後の和田真久留選手の動きによって、松本選手と三谷選手が落車。こういったいくつもの偶然が、南選手の優勝につながっています。松本選手が内を締めたまま動かず、郡司選手が取鳥選手の外まで迫っていた場合、どうなっていたのか? 取鳥選手はブロックにいったかもしれないし、合わせて前に踏んでいたかもしれない。太田選手を残そうとして前に踏めず、ブロックもできず、郡司選手が捲りきっていた可能性もあります。
とはいえ、郡司選手もポジション争いで後手を踏んで長い距離を踏まされていますから、あのまま捲りきれたかどうかは微妙なところ。いずれにせよ、内が空かなければ南選手の「10年ぶりのGIII優勝」はなかったでしょうし、あの落車がなければ、このような展開で太田選手が2着に残ることもなかったと思いますが……すべてはタラレバ。どうなっていたかは、神様でなければわかりません。
落車や失格が大きく影響した結果で、それもあってか優勝者インタビューでの南選手は、控えめなコメントに終始していましたね。しかし、どんなに“運”が向いたとしても、それを生かせる力がなければ勝てないのが競輪であり、グレードレースです。大舞台で勝つのに不可欠なタテ脚を、43歳という年齢になっても磨き上げてきた努力が、ここで結実したということ。素直に、勝者を称えたいですね。
山田裕仁
Yamada Yuji
岐阜県大垣市出身。日本競輪学校第61期卒。KEIRINグランプリ97年、2002年、2003年を制覇するなど、競輪界を代表する選手として圧倒的な存在感を示す。2002年には年間獲得賞金額2憶4434万8500円を記録し、最高記録を達成。2018年に三谷竜生選手に破られるまで、長らく最高記録を保持した。年間賞金王2回、通算成績2110戦612勝。馬主としても有名で、元騎手の安藤勝己氏とは中学校の先輩・後輩の間柄。