2021/09/04 (土) 12:00 18
東京五輪が終わり、自転車競技のトラック種目では念願の“金メダル獲得”とはいかなかった…。
競輪選手として挑んだ新田祐大(35歳・福島=90期)、脇本雄太(32歳・福井=94期)、小林優香(27歳・福岡=106期)、そして橋本英也(27歳・岐阜=113期)も結果を残すことはできなかった。
梶原悠未(24歳・筑波大大学院)のオムニアム銀メダルは輝いたものの、“次こそは…”がテーマとして残った。この5人の戦いの後、に焦点は移る。
村上義弘(47歳・京都=73期)は競輪選手として、また自転車を愛する一人として、とにかく期待を持って見ていたという。そして今、「次の世代、後輩、若い人たち、子どもたちが、『オレが世界一に』と思ってほしい」と話した。受け継いでほしい戦いが、あった。
子どもたちは少し置くが、自転車のプロである人たちには求めるものがある。「新田と脇本の走りを見て、感じてほしい」。
ちょうど向日町記念(平安賞)の前検日。新田が自転車を組み立てる姿が、村上の視線の先にあった。
“どれだけの戦いを見せてくれたか”熱いまなざしを送っていた。
メダルを獲得した歴史はあるが「外国人選手には勝てない、といったようなコンプレックスがあったでしょう」。一時期は、結果など残せるはずも…といった風潮すらあった。恵まれた体格でも、決して裕福な環境でもなかった村上だ。
「持って生まれたものが、結果という差に生まれるんじゃないんですよ。そこまでの過程で、差が生まれる」競輪選手になり、日本一を目指すと口にした時、誰も相手にしなかった。「それを乗り越えて、何とか日本一になることができた」。自分の姿は、世界一を目指す選手に重なった。「やってくれる」。信じていた…。
無論、ただ頑張れば認められるという世界ではない。結果を残すために、最善、最高を尽くす。
「強くなるということは、今の自分より強くなるということではないんです。他人(ひと)より、強くなることなんです」。向日町競輪の検車場、新田と脇本がいる空間で村上がしゃべっている。
世界に立ち向かった2人。しかも、延期という一年があった。「他の競技もですが、若い選手たちの一年とは違ったはず」。30歳を過ぎて、その一年から逃げなかった2人が、どれだけ苦しかったか、を思っていた。
競輪界、自転車競技界、BMXやMTB、すべてにおいて一つになって、日本が「自転車大国になってほしい」と願う。それが、五輪を戦った選手たちへのメッセージ。
「競輪が好き、とか自転車競技が好き、はファンの立場。競技者としては、良くしていく、強くするという責任があるんです」と、すべての自転車人に訴えるのだ。
2012年3月、伊東競輪場で日韓対抗戦競輪が開催された。そこに日本勢の総大将として村上は参加した。他地区の選手にはつかない村上だが、ついたこともある。このときは静岡の柴田竜史(33歳・静岡=96期)に前を任せたレースもある。柴田が日本の先陣として頑張りたいと、強く訴えたからだ。
向上心にあふれ、結束し、全身全霊でぶつかってくる韓国の選手たちと、文字通りの死闘を繰り広げた。村上は優勝した。そして「次は、若い選手たちに参加してほしい」と話した。
この時、37歳。
どこかで、だれかが…。
走るたびに何かを訴え、また仲間の走りから感じ取る。パリで、またその先で、どこかの競輪場で、競技場で、ロードの大会で。東京五輪の戦いが与えてくれたのは、今を教えてくれることであり、また未来の話なんだと…。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。