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【新田祐大独占インタビュー・後編】東京五輪、絶対絶命の中で迎えたケイリン初戦。今後は競輪に全力投球

2021/09/06 (月) 18:00 9

ロンドン、リオ、東京…足掛け9年五輪に挑み続け、世界を相手に自転車競技の舞台で戦ってきた新田祐大。競技の前線からの引退も発表し、1つの節目を終えた今、これまでの5年間を振り返る。

《後編》では、スプリント初戦の振り返り、S級S班という競輪界トップの立場として地元凱旋レースとなったオールスター競輪の振り返り、秋以降のビッグレースに向けての意気込みや目標、「今後日本の自転車競技メダル獲得のために必要なこと」など新田祐大にしか聞くことができない話ばかりだ!(取材・構成=netkeirin編集部 神島由圭)

※このインタビューはZoomで行いました

■前編はこちら■

東京五輪「男子ケイリン」第1ラウンド(写真:AP/アフロ)

根性で乗り切ったケイリン初戦

ーー予選落ちしたスプリントからケイリンへの切り替えはどのようにしましたか?

 自分自身、練習ではタイムも、感覚もすごくよかったと思っていましたし、ブノワから「特別変えることはしなくていい」と言われていました。ただ、ブノワから見て“いつもと若干違う部分がある”とも言われて、「少しでも不安に思っていることや悩みがあるなら吐き出してくれ」とも言われました。ですので、本当に些細なことを吐き出すということは敢えてしたんですけれども。だからと言って「スプリントで負けたからケイリンでは勝つためにこうする」というような切り替えはありませんでした。

ーーケイリン初戦は”スプリントの絶対王者”ハリー・ラブレイセンなど強豪揃いの4組で1着。振り返っていかがでしたでしょうか?

 人生で過去1番緊張したレースでした。その理由としては、3日前のスプリントでいきなり負けてしまったので、本数を多く走れなかったからです。本数を走れば走るほど、疲れは出るんですが同時にリラックスも出来るんです。自分のやってきたことが、走れば走るほど表現できるので。走れないと自分のやってきたことを一切伝えることができません。ケイリンの初戦を迎える時点では「もう自分のやってきたことを一切伝えられず終わってしまうかも」というナーバスな状態になっていました。

 そしてメンバーを見たときに1組目から前回のメダルの金・銀・銅の順で並んでるんですよ。必ず金・銀・銅の選手がいて、その次に世界ランク1位の選手からはじまってメンバーが構成されていくんです。それで僕が出走した4組が1番キツいメンバーのところ(苦笑)。世界選手権メダリストはいるわ、五輪メダリストはいるわ…そんな状況の中で僕は日本の1番手、期待されてるだろうということも考えてしまってすごく緊張しましたね…結果として1位を獲ることができて、予選ではありましたが自分の中でもはじめて湧き上がる感情がありました。

ーー自分の走りが出せた、という感じでしたか?

 自分の走りが出せたというよりは、根性で乗り切ったという感覚でした。

ーーケイリン初戦はラブレイセンなど競合を破り、1着。初戦の残り2周からのまくりがすごくて鳥肌が立ちました。

 自分の中では綺麗に勝ち上がった感じではなかったです。「日本人らしい走りだった」「新田らしい走りだ」という風にメッセージを送ってくれた方もいたんですけれども、自分の中では全然自転車が進んでいなくて、思い通りに操作もできていない、タイミングもズレている…という感覚でした。しっくりは来ていなかったけれど、固まっていた部分がここで解放できた感覚はありました。

緊張がほぐれた2日目

 当日、脇本も予選を勝ち上がって一緒に帰ったときに「ワッキー、緊張した?」って聞いたら「新田さんの走りを見てさらに緊張しました」と言われましたね。過去1番、グランプリも世界選手権が比じゃないくらいの緊張でした。それを脇本に話したら「それも伝わったし、新田さんが勝ったことによって自分も勝たなきゃいけないプレッシャーが出てきたので僕も1番緊張しました」と言ってて。お互い緊張していたけれど、それがやっとほぐれたね、みたいな話で1日が終わりました。

新田選手と共に東京五輪を戦った脇本雄太(提供:日本自転車競技連盟)

ーー2戦目ですが残り2周からレースがすごく動きましたね。ケニーが出てきて、エラルも一気に後ろから。ああいう展開は予想できましたか?

 その前の動きは予想していました。残り3周でペーサーがいなくなるんですけれども、そこでレースは絶対動くだろうなと予測をしていました。

東京五輪「男子ケイリン」準々決勝は6着に終わった(写真:日刊スポーツ/アフロ)

 実際のレースの流れは、ラブレイセンは最初に動いた選手に合わせて動き、残り2周半くらいから先頭に立っていました。あの時恐らく全ての選手が「そのままラブレイセンがスピードを上げて(先頭の方に)行くから、2着以降の着順はそれ以外の選手で争うだろう」と考えていたと思います。結果としては、残り2周ラブレイセンはスピードを上げませんでした。僕はラブレイセンがスピードを加速させるという想定で踏み込んだのですが、彼は加速しなかった。予選は4着上がりなので、残りの2人は仕掛けないと終わってしまうのですが、そこで僕は仕掛けるチャンスを失いました。

 そして、そのタイミングを後ろの選手は逃していなかった。4番手だったケニーが先に動いていました。そこのチャンスさえ逃さなければ勝ち上がりやすい状況にはなっていたと思います。後方から前方へ出てきたケニーが主導権をとり、先頭にいたラブレイセンが4番手になる展開になりました。僕は1番後方になってしまって「まずい」と思った時には、ほかの選手が加速し続けていて、仕掛けられずに終わってしまいました。

「世界一が日本一を制す」9年間貫いた信念

ーー足掛け9年、トラック競技にかけてきたもの、自分の中で得られたものは?

 五輪という舞台で戦うことによって自分自身を磨き続けられたことです。僕はもともと世界の舞台で戦ってみたいという気持ちがありました。「世界一が日本一を制す。だから競技で世界一を目指そう」という考えのもと、9年間やり続けていました。五輪を目指すことによってKEIRINグランプリに安定的に乗れるようになりましたし、タイトルも獲れるようになりました。競技だけでなく競輪での成長にも繋がったと思います。

五輪短距離代表とブノワ・ベトゥコーチ(提供:日本自転車競技連盟)

ーー今回新田選手をはじめとしたトラック競技チームによって、日本のトラック競技にどんな影響が与えられたと思いますか?

「影響を与えた」かはわからないです。五輪でのメダル獲得は叶わなかったわけですが、“日本人でも”世界一が獲れるということはわかったのではないかと思います。個人としてもチームとしても世界ランク1位になり続けていましたので。僕自身は、目指すところが高ければ高いほど苦しいことはもちろんありますが、不可能なことは無いかなと感じました。

ーー海外の強豪選手についてどんな印象を持ちましたか?

 五輪にかける想いが皆すごいです。その想いが強い人ほど勝つと実感しました。長い時間、そこへの強い想いを持ち続けた人が当たり前のように上位に入っていきます。

ーー自転車競技に入られたきっかけ自体が五輪への憧れからだったと思うのですが、もうメダルや五輪出場を望む気持ちはないのでしょうか。

 メダルへの挑戦に関しては…チャンスがあるならば正直やりたい気持ちはあります。ただ体力的な部分、肉体的な部分は難しいというのと…「通用しないから」ということではなく、リスクが大きいと考えています。怪我のリスクということではなくて、今まで休んできた競輪をまた同じように休んで求めていくメダルの“価値”っていうのが僕の中では薄れてきた。その中でリスクを背負ってまで頑張れるのか。

 どちらかと言うと競輪で活躍する方が、必要になってくると思うので。そういう意味で僕の中では賞味期限が来てしまったのかな。

日本の選手に足りない「五輪は人生」の覚悟

ーー今後、日本のナショナルチームがメダルを獲得するために必要なものは何でしょうか?

 僕自身も必要だと感じ、ブノワも強く言っていたのが「ファイティングスピリット」つまり戦う気持ちですね。今回脇本とも、五輪終わった直後くらいから話をよくしていました。先ほど言及した “海外選手との違い”にも共通するのですが、海外選手は五輪に向けてかなりモチベーションを上げて来ます。

 その理由として「それが人生だから」「五輪で失敗する=人生の失敗だから」というぐらいに考える人たちが多くて。五輪での活躍が将来生活していく上で、成功する重要な通過点だから「絶対に結果を残さなくてはいけない」という気持ちで挑んで来ます。そういう部分が、日本の選手の大半にはない…。「最悪、競輪に戻ればいいや」という感覚があるように思います。ブノワからも負けるたびに「またお前らは競輪に戻って稼げばそれでいいと思ってるんだろう」と言われました。本当はこんな優しい言い方ではないですけど(笑)。

ブノワ・ベトゥコーチ(写真:望月秀太郎/アフロ)

 僕の経験を反面教師として、とても厳しいことを言いますが、これから五輪を目指すナショナルチームの選手たちは、ブノワのコーチングをほぼ受けていません。なので…“ぬるま湯に浸かってる”っていう表現が適切ではないかもしれませんが、過保護に近いような環境でトレーニングしてきているので世界がどういう気持ちで戦ってくるのかっていうのがわかってないと思います。どういう気持ちで挑むと、“彼ら”にメンタル的なプレッシャーを与えられるのか…っていうのも理解できてないはずなので。体力的にキツくても、トレーニングして挑むというのは当たり前。その上でメンタル的な部分も強化しないと、いざ自分たちがピンチになったり、五輪の舞台に立った瞬間に気持ちで負けてしまうのではないかなと思います。

ーー今後も、ブノワ監督のような厳しく鍛えてくれるコーチが必要ということですね。

 それもありますし、ブノワが言っていることなのですが海外では過去(五輪などを)経験してきた人たちが、未来のメダルを目指す人たちに実戦で教えていく文化があります。日本には先輩後輩っていう関係がありますよね。海外では日本の“先輩後輩”っていう感じではなく、(システム的に)後継を育てていく土壌っていうのがあります。

 そして海外では「実戦で教えていかなければならない」環境です。それを日本はやって来なかったし、実現が難しい部分もあると思いますが、それができれば日本は今後成長していくだろうという話をブノワとしています。僕たちが、どういう風にできるかはわからないですがコミットしたいと思っています。

ーー先日(別会社の)報道で、脇本さんがジュニア育成の塾を構想しているという記事がありました。前述のお話のような想いが脇本さんにもあったのだと思いますが、新田選手にはそのように、子供や選手を育てていく構想はおありでしょうか?

 僕としては、今後のメダル獲得に繋がるような活動をやっていきたい想いはありますが、具体的な構想はまだ僕の中にはないです。というのも、今のナショナルチームがどういう風になっていくかというのも僕にはわからないので、それ次第だと思っています。

次世代の五輪選手を支えたい

ーー新田選手が立ち上げられた「ドリームシーカー」の活動も、ナショナルチームの在り方に左右されるのでしょうか?

 ドリームシーカーに関しては、必要とされる状況であれば継続したいと思っています。チーム設立の背景には出場枠というものがあります。五輪に出場するためには世界選手権に出て、世界ランキングで上位に入らなければなりません。そして、世界選手権に出るためには各国の地区大会みたいなものに出ないといけません。

 世界選手権に出るために日本代表として、枠が4枠しかない等の制約がありました。ですので、枠数を増やすために「ブリヂストン」や、「HPCJC」等いろいろなチームが存在していました。ですが、今後大会自体がなくなってしまったり、「ナショナルチームでしか出場できない」という状況になった場合ドリームシーカーも必要ではなくなるのかなと。パリ五輪、その次のロサンゼルス五輪を目指す中でチームを存続させることが有益であるならば維持したいですが、今後どのようにすべきかは考えないといけないなと思います。

ーー外部的な要因に左右されるということですね。

 そうですね。元々五輪への最短ルートを実行するために作ったチームでした。ドリームシーカーを利用してメダルへの最短ルートが築けるのであればいいと。

ーーナショナルチームの動向は未定なのでしょうか?

 決まってきているとは思いますが僕は運営側ではないのでわからないですね。僕自身は競技にはひと区切りをつけるので、ナショナルチームのトレーニングに参加させてもらいながら、次世代の選手たちのお手伝いができればと考えています。

ーーしばらくはナショナルチームのある伊豆を練習拠点にされるのでしょうか。

 そうですね。今のところは特に地元・福島や、別の練習拠点を作るというプランは無いです。コロナの状況もありますし。(練習拠点を伊豆にする)1番大きな理由としては、今の確立されたトレーニング方法を受け入れられる土台が他の場所に無いからです。

ーー受け入れる土台というのは具体的にどういうことですか?

 機材や場所の問題ですね。伊豆には室内のトレーニング場がありますが、それ以外には2か所、小倉と前橋しかない。そこを拠点にするとなると、機材もないですし色々な問題があります。少なくとも、今機材などを用意してそこで新しく始める時期ではないと思っています。

押しつぶされそうなとき、観客の応援が力に

ーー五輪の自転車トラック競技は有観客で行われました。会場では新田選手の幕や国旗を持った方たちが応援されていたと思います。直接の応援は、やはり力になりましたか?

 なりました、かなり力になりました! スプリントでは力が入りすぎてウォームアップでアップしすぎました(笑)。独特な環境下ではあったんですが、非常に背中を押していただけたというのもありますし、ケイリンの時も自分が押しつぶされそうな時に声援はかなり力になりました。

ーー配信を見ていると、手を握りしめて祈るように応援しているファンの方がいっぱいいらっしゃり、印象的でした。

 五輪ならではの光景にグッと来ました。

ーー伊豆ベロドロームはナショナルチームの練習拠点でもありましたが、本番の感覚はやはり違いましたか?

 違いましたね。真っ赤に装飾されていてオリンピック感が出ていましたし、走る選手たちも全然気持ちが違っているのも伝わりましたし。僕たち自身も気持ちが昂るのを感じました。

ーーそんな中、中距離女子・オムニアムでは梶原悠未選手が銀メダルを獲得しましたが、新田選手は率直にどう思われましたか?

 言葉を選ばず率直に言うと「金じゃないのか!」でした。彼女のレースや行動などを見ていたので、獲るべくして獲るだろうと予想していました。他の選手も皆そう思っていたと思いますよ!

 結果的には梶原以外の選手の転倒や、本人の落車もあり「金」には届かなかったですが、彼女がメダルを獲ったことは「すごいことをやってのけた」という感じは無いです。もしかしたら失礼な言い方かもしれませんが、安定感のあるレースを見せてくれて、当たり前のようにメダルを獲ったという印象です。安心して見ることができました。

中距離「女子オムニアム」で銀メダルを獲得した梶原悠未(写真:共同通信社)

コンディションは万全、どこまで通用するか期待のオールスター

ーー東京五輪後は、中0日で地元・福島いわき平開催のオールスターに出走されました。肉体的な疲労回復や気持ちの切り替えはどのように行なっていましたか?

 肉体的な疲労は予想以上にありませんでした。体力的な部分に関してはすごく余裕がありました。精神的な部分に関しても、ケイリンが過去1番緊張したレースだったのでそれ以上の緊張は特にありませんでした。リラックスして走れましたし、競輪の楽しさを改めて感じることができました。

ーー佐藤慎太郎さんが「新田選手と走ると気持ちが入る」とおっしゃっていましたが、その言葉はどのように受け止められましたか?

 僕も同じ気持ちですね。一走一走しっかり走り切る原動力にもなりましたし、皆で走る競輪ってやっぱり楽しいなと思いました。

ーー競技のケイリンと競輪とでは、ラインの有無など違いがあると思いますが走っている感覚は違いましたか? また不安はありましたか?

 もちろん難しい部分もありますが、競輪の走り方が読みやすいというのがあります。長年の慣れですかね?不安はなく、どちらかと言うとワクワク感が強かったです。

ーーワクワクした理由は、競技のトレーニングの成果を出せるからでしょうか?

 そうですね。それに加えて成果を出さないといけないな、という気持ちもありました。僕たちは最高の状態で五輪を迎えているわけなので、その最高の状態がどれだけ競輪において通用するかっていうのを実感してみたいなっていう楽しみな部分がありましたね。

ーー初日のレースは松浦選手に最終コーナーでかなり浮かされていたのに、ゴールの前ギリギリまで追い込んできてすごかったです! あんな不利な状態で最後まで追い込んでくるっていうところに驚きました。

 競輪の流れもあるので100%不利か有利かっていうのも難しいところがありますけど、僕たちが思っていた以上に他の選手は僕たち(五輪出場組)と戦うことをプレッシャーに感じていたと思いますし、「厳しい戦いになる」と思っていたと思います。僕としてはそういう部分もポジティブに捉えながら対戦できたのですごくよかったと思います。

ーー競輪場で、他の選手たちから意識されているのを感じましたか?

 過去僕自身が、五輪シーズン直後の五輪出場選手に対して「特別な人たちと戦う」という感覚がありました。逆に僕がロンドン五輪に出た時は声をかけられるなど、やはり意識されているのを実感しましたし、今回においても他選手との会話の中で感じることもありました。また、対戦相手たちはいつも以上に自身が優位に立てるような考え方(作戦)をしてくるだろうなということも考えました。

ーー具体的に五輪の話題に言及してきた選手はいましたでしょうか?

 そうですね、平原康多選手と話しました。平原さんは本当に自転車競技が好きで、ご自身もジュニアの頃から日本代表として海外の大会に行ったりしていて。僕たちのトレーニングや海外の練習方法、海外での知識を入れた上でどう競輪に繋げるかっていうことを実践されてる方なので、今回の五輪の結果や五輪に挑むまでの姿勢についてなどをじっくり聞かれました。

 そういう話を平原さんと話していく中で「競輪の方にも(ノウハウなどを)活かしてほしい」ということを言われましたし、「僕もそうしたいと思っています」とお伝えしました。できれば僕たち、競輪の今のトップ選手含めて、皆で競輪界を盛り上げていけるような形にできればという話もしました。

同じS級S班の平原康多とは競技や競輪界の未来について話すことが多い(撮影:島尻譲)

ーーかなり本質的な会話をされていたんですね。

 平原さんとお話するときは大体そんな感じですね。僕自身がそんな感じ(真面目なトーン)で話すので。内容としては今までやってきたことを共有したり、今後どうするべきかを相談させていただくことが多いです。

中野氏の描くドリームマッチは「五輪より緊張するかも」

ーー手前味噌で恐縮ですが、netkeirinの【中野浩一が選ぶ時空を超えたオールスター9人】という企画ご覧になってますでしょうか?(※新田選手が選出されている)

 いえ、見てないです。僕選ばれてるんですね! あの世界的に有名な中野さんからそのように選んでいただいたのは光栄です。自転車競技での活躍はもちろん、グランプリも獲ってますし、競輪選手としても超一流であった中野さんから選出していただけるというのは素直に嬉しいです。

 単純に競輪が強いからとか、今活躍してるからというだけではなくて何かの意図があるんじゃないかと僕は思っていて。競輪界のトップに君臨し続けていて色んなことを考えていらっしゃった方ですし、現在進行形で色んなお話をさせていただき勉強になっていますし、普通の人とは違うような角度からのアドバイスをいただいているので…そういう意味でも本当に嬉しいなと思いました。

ーー中野さんが選出されたのは、中野さんの世代以降〜現在の選手の中でのベスト9という形です。「神山と新田が戦ったらどうなんだろう」ということもおっしゃっていました。

 僕を題材にしてくれるというのが嬉しいですね。

ーーその9人の中だと、中野さんご自身と井上茂徳さん以外の7人の先行争いが見どころのレースになるとおっしゃっていました。

(9人のメンバーを全員聞いて)凄すぎますね。なるほど…。

ーー中野さんは最後に「俺が勝つ!」と締めていました。

 そういうことを言うだろうなと思いました(笑)。

ーー中野さんは新田選手の持ち味であるダッシュ力と、パワーアップしているからナショナルチームの練習が合っているというお話もされていました。

 それはそうだろうなとは思いますが、同時に体力的には今じゃないな…という感じもありますね。つまり、体力的に絶好調の状態でピークが来ている感じではなくて、絶好調のピークを(この年齢で)作っているだけで、あふれんばかりの体力がある時にそのピークを作れているわけではない。今35なんですけど、10年前とか15年前とかに今の練習環境にあったらもっと違っていたんだろうな…とも思います。

 中野さんは20代前半から世界選手権を優勝されていたわけですが、その中野さんと戦ったら多分勝てる感じではないのかなと思ってしまいます(笑)。でも、現役時代の中野さんや神山さんや、村上さんと戦うことを想像したらワクワクしますね。もしかしたらオリンピックより緊張するかもしれないです(笑)。

競輪の課題と未来

ーー話は変わりますが、日本では自転車競技がまだまだマイナーで競技人口も少ないですが広めていくための展望などはありますでしょうか?

 これはめちゃくちゃ難しい(笑)。コロナがない状況下の話だと、五輪のメダルの数や色が結構直結するのではないかと。憧れのスポーツという地位を築いた上で、競輪の稼ぎという部分を見せていく。自転車競技をやり続けることが収入にもなるし、スポーツの楽しさを感じ続けることが結果的に収入に繋がってくるということがわかるといいのでは?と思います。

 いつか子供たちの「憧れのスポーツ」に食い込んでいくことは可能なのではないかと思っています。ただ、同時に「メジャーなスポーツ」に変わることは難しいとも思っています。日本は世界でも有数のバンク保有数で、主に競輪場ですけれどこんなに小さな国なのに走れる場所は多いです。ただ、問題はそこを簡易的に利用できないということ。一般の方が利用しにくいというのもありますし、環境の違い(問題)もあります。

 僕がオーストラリアのバンクで練習していたときは、子供たちが体育の授業で来ていて一緒に練習する機会がありましたが、そういうのは日本では絶対無いですよね。1番は怪我のリスクで、教員が責任を取れないという事情があると思います。外国では、走りながら子供がバタバタ転ぶんですよ。イメージとしては、日本の競輪の落車みたいな感じではなく、学校の校庭でかけっこして転んだくらいの感じ。それで大きな怪我をする子も特にいなくて、擦り傷くらい。日本ではそのように自転車競技が当たり前にある環境ではないですよね。

 まずは、バンクが気軽に入れる場所でないのがメジャーになれない要因だと思います。それから機材がすごく高いこと。安いものでも何万円から始まっていますよね。例えば、バスケだったらシューズさえ買えば、学校にはコートがありますし、ボールも揃っているので1万円以内で始めることができます。自転車は初めて自転車に乗るだけで何万とかかってしまう。金銭的な部分がかなりスタートしにくい部分だと思います。あとは先ほども言ったように走れる場所に行かないといけない「場所」の問題。

 じゃあ、どこへ行けば、誰に教わればオリンピックに出れるの? 競輪選手になれるの? というと決まった道筋がない状況です。インターネットで探すことはできるかもしれないけれど、そもそも目につくところに情報がないから見つけ出すことから始めないといけない。わざわざ調べて、わざわざバンクに入れてもらってまでやるかというと…扉があまりにも重い。なので、その扉がすでにオープンでウェルカム状態になっていることが自転車競技を普及させたり、メジャーにしていく条件だと思います。これは個人では結構難解で、やるなら組織が本気で取り組まないといけないことだなと考えています。また、日本の道路事情が普通にサイクリングしたい人含めてやりづらいものだと思うので改善点はあるかと思います。

競輪選手として、次に狙うのはグランプリ

ーー確かに欧州などと比べて、日本の道路において自転車は冷遇されている印象ですね。新田選手ご自身は、今後は競輪がメインになると思いますが今後の目標がありましたら教えてください。

 まずは2021年に関しては出走本数も少ないので、賞金狙いではKEIRINグランプリは狙えない位置にあると思っています。GIのタイトルはあと2つ(寬仁親王杯、競輪祭)。それを獲ることがグランプリへの道なので、そこを狙いたいです。その道のりはすごく険しいと思いますけれど、一戦一戦しっかり優勝を目指して頑張っていかなきゃなという気持ちです。競輪をこれまで走れなかったことと、自分の年齢を踏まえると今しっかり活躍したいですし、皆さんの胸に刻まれるような走りができるように一戦一戦大事に戦っていきたいと思います。

 後進の育成に関しては僕たちが今まで学んだことを伝えることに尽力したいです。競輪選手や自転車競技選手の成績や競技力向上に繋がっていくことが望ましいです。

競輪に戻ってきた新田祐大(左)は北日本ラインを組む佐藤慎太郎(右)と大暴れを誓う(撮影:島尻譲)

ーー最後にファンへのメッセージをお願いいたします。

 長きにわたり五輪を目指し続けてきましたが、競輪に支えられた部分も大きいですし、五輪で学んだことが競輪にも繋がると思うので恩返しできればと思っています。皆さんに応援してもらえるような競輪選手・アスリートになれるようにこれからも頑張っていきたいと思うので、引き続き応援よろしくお願いいたします。

ーーありがとうございました!!

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