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【記者特選】“コンマ何秒のことだろうか” 盟友の熱き思いを受け覚醒した村上義弘の本能/忘れられぬダービーの記憶

アプリ限定 2025/04/30 (水) 18:00 5

“最高峰のGI”と称される日本選手権競輪(以下ダービー)。今年で第79回を数えるダービーではこれまで多くの名勝負が生まれ、競輪ファンの心に感動のシーンが刻まれていることだろう。今回は「忘れられぬダービーの記憶」と題して、7名の競輪記者によるダービー決勝回顧をお届けする。(構成:netkeirin編集部)

2011年3月6日・名古屋競輪「第64回日本選手権競輪」
netkeirin特派員

「市田がプロテクターを着けていなかった」

 名古屋でダービーがあるとなると、ホットでクールでもある村上義弘(京都・73期)がよく勝った姿を思い出す。中でも思い出深いのは、大会初優勝になった2011年の決勝。近畿ラインで目標にした市田佳寿浩が落車すると、すぐに機動戦にチェンジしたあの走りだ。序盤から中盤、終盤へと、勝利の女神があちらこちらに振り向いた接戦を制してみせた。

数々の“記憶に残るレース”で魅了、カリスマと呼ばれた村上義弘氏

 ヒーローは共同会見でこうつぶやいた。「市田がプロテクターを着けていなかった」と。この前に既にGI覇者となっていた2人。片や村上が初優勝を遂げた02年の岸和田全日本選抜は別線で戦い、片や市田の初優勝は10年の前橋寬仁親王牌で村上の番手まくりをかわした賜物だった。互いを認め合うからこそ、時に分かれて力勝負し、組む時でも作戦会議を開くのは野暮でご無用というもの。もちろん、ビッグ戦線の中央に位置し、捨て身で先行するヤングの立場はとうに卒業していた。

 ただ、ともに力を出し切ることが信条でも、果たしてどういう走りで力を出し切るのか。村上は号砲からすぐに、目の前を走る市田の両肩と背中がすっきりしていることに気づいた。こぶがない。プロテクターがなかった。身軽に見える。たびたび落車禍で出世が遅れた盟友が、大ケガを避けるメリットを放り出してまで、果敢に仕掛けようとする思いをくみ取った。以心伝心。

熱い思いは一瞬で冷静な判断力に

 市田が別線封じに専念するなら、こちらは番手として責任が増す。真後ろには地元中部の顔でもある山口幸二が控え、緊張も増した。ところが、気持ちが高ぶるそんな折に、市田は中団で外並走になった長塚智広と接触し、落車してしまった。このとき、残りは2周を切っていた。

 熱い思いは冷静沈着なモードに切り替わる。コンマ何秒のことだろうか。

 “先行日本一”と呼ばれはじめた村上は、うろたえず本能を呼び覚ます。持てる技と力を示した。落車をひらりと避け、外をさばき、内へと潜りながら中団3番手をキープすると、間髪入れずに自力発進。2角まくりで、逃げていた鈴木謙太郎を4角で捕らえ、山口や、足をためていた兵藤一也の強襲も封じた。

 村上は小柄で、競輪学校(現・選手養成所)でも目立たぬ存在ながら、1994年4月に「ただ特別競輪を勝ってもおもしろくない。先行で勝つ」と大志を抱いてデビューした。あえて長い距離を踏むことを要す「後方から前団を押さえての先行」にこだわり、力を付け、さばきも覚えた。たたかれても、外をどかす。たたけずでも、外並走に耐えながらまた仕掛ける。そうこうするうちに前出の全日選でタイトルホルダーの仲間入りを果たし、翌年には一宮オールスターで逃げ切り優勝し念願をかなえた。

 それでも満足できなかった。特別競輪の中でも最多162人が挑み、Vロードが狭く険しいダービーをあえて正式名称の通りに「選手権」と呼び、このGI最高峰レースに集中した。名古屋大会は2011年を皮切りに、現役引退まで開催された3度全て優勝した。13年立川を含めた、4度のダービー優勝は吉岡稔真に並んで最多記録になった。ただ「選手権」での逃げ切りVは果たしておらず、この点でも闘志をかきたてられて活躍を続けた。

“ただのひとつ”の妥協をも許さぬ精神性

選手時代の村上義弘氏、一切の妥協も妥協に繋がる緩みも皆無だった(Photo by Shimajoe)

 選手間で、今では流行りの室内練習。村上の時代は機器がそろってなく、盛んではなかった。ある記者が「雨の日はバンク練習は休むでしょ?」と問うと、「雨でもやりますよ、休むわけないっ。ひとつの妥協が次の妥協を呼ぶのだから」と怒気をまじえて答えた。また、「息抜きはどうやって?」という問いにも、気色ばむ。「息抜きなんかないっ」と返した。プライベートでは腰痛につながるからと、実の子でさえ抱いて風呂にいれたことがない。

 全ては「選手権」で念願をかなえるために意識を注ぎ、あの市田が落車した有事にも妥協せず、勝負を諦めなかった。そして記録にも記憶にも残る大選手になった。

 2011年の決勝は他にもエピソードがある。2着だった山口は賞金額の上積みから、暮れには12年ぶり3度目の出場となったKEIRINグランプリ(GP)で2度目の優勝を飾った。一方で兵藤は目標が不発の流れで3着の大健闘も、「3着じゃ駄目なんだ」と表情を曇らせた。07年には平塚ダービー2着が効いてグランプリ初出場を果たしており、結果的にその再現にならなかった。

 名古屋大会は今回も名レースを生み、暮れの大一番への流れもつくるだろう。春の天王山、頂上決戦はすぐそこまで迫っている。(文中敬称略)

【動画】名古屋競輪「第64回日本選手権競輪」決勝

(※本稿記載の通り、当レースでは赤板周回のホームストレッチライン付近にて市田佳寿浩選手が落車するアクシデントがございましたが、該当するシーンは編集にてカットしております。レース映像使用のポリシーに係る部分ですので、ご了承ください)


(協力:公益財団法人JKA 提供:名古屋競輪場)

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