アプリ限定 2024/12/24 (火) 14:01 49
G1歴代最多となる16度の優勝、生涯獲得賞金最多29億円超えなど数々の金字塔を打ち立てた神山雄一郎(56歳・栃木=61期)。当時を知る秋田麻子記者(夕刊フジ)に素顔を振り返ってもらった。
私が競輪記者デビューした1992年6月は、直前に中野浩一氏が引退し、競輪界が新時代を迎えようとしていた時である。当時競輪を知らなかった私に「これからは吉岡の時代」「とにかく吉岡の強さを見ろ」と先輩記者から教わった。吉岡とは吉岡稔真氏(54歳・福岡=65期・引退)のことだ。吉岡氏はその年の3月に日本選手権で優勝しており、中野氏引退後の競輪界をリードする存在と目されていた。
一方、神山は高校時代から自転車競技界で名を馳せ、一発合格で日本競輪学校(現・養成所)に61期生として入学し、在校1位、学業も1位で卒業したエリート中のエリートだったが、初タイトルは後輩の吉岡氏に先を越されていた。
吉岡氏はすでにスターのオーラを放ちまくり、安易に近寄り難い存在だったが、神山は笑顔であいさつをしてくれる“絵に描いたような”好青年の印象だった。それはのちに神山がタイトルを取っても変わることはなかった。
何歳になっても好青年ぶりは変わらず、2022年8月の西武園オールスターの前検日。競輪場入りした神山は記者陣を見ると「今回は選んでくれてありがとうございます」と大声で発し、深々と一礼した。ファン投票での出場を逃した今大会、神山は一生に一度だけ使用可能な“記者推薦”枠での出場だったからだ。神山はこれでオールスター競輪33大会連続出場の金字塔を打ち立てたが、奇しくもこれが最後のG1出場となった。
永遠の好青年神山が公の場で怒ったのを見た記憶はないがでも感情を抑えることができず、大泣きするシーンを二度見た。1993年、神山の地元である宇都宮競輪場で開催された「第36回オールスター競輪」で悲願の特別競輪(現GⅠ)初制覇を果たし、優勝インタビューでは男泣きを見せた。
二度目は1996年5月、いわき平競輪場のバンク内だった。プロアマオープンとなって同年のアトランタから競輪選手も五輪に出場が可能になり、神山は日本に出場権が1枠あった1キロタイムトライアルへの出場を目指していた。その選考会である全日本プロ自転車競技大会に彗星のごとく現れたのが十文字貴信氏(引退)。十文字氏が1分3秒台のタイムを叩き出し、神山は1秒以上の大差で負けた。競技後、神山はバンク内でマッサージを受けながら多くの報道陣の前で大泣きした。こちらから声なんかをかけられる状態ではない。ただ黙って見ているだけの私たちに先に声をかけてくれたのは神山だった記憶がある。どちらの涙も神山の強さの源になっているのだろう。
記者との軽口にも気さくに応えてくれていた神山。とあるレースで間一髪、絶妙な回避技で落車を避けた神山に某記者が「神山君は動体視力がいいんだね」と問いかけると「かなりいいと思います」と神山は即答。するとその記者は「だったらスロット打ったら大儲けできるな。一回、打ってみてよ」と大好きなパチスロを神山に猛プッシュ。神山は「機会があれば…」と苦笑いしていたが、絶対打ってないと思う。気さくで好青年、時に涙する神山雄一郎の姿をバンクで見られなくなるのは寂しい限りである。
netkeirin特派員
netkeirin Tokuhain
netkeirin特派員による本格的読み物コーナー。競輪に関わる人や出来事を取材し、競輪の世界にまつわるドラマをお届けします