2024/08/03 (土) 18:00 17
大きな期待を持って、パリ五輪の自転車競技トラック種目を応援しようと思っている。“とにかく金メダルを”と切に願うのみだ。何より、これまでに苦しい思いをして、涙を流していた先人の分まで…と祈っている。
ただし、どうにも魔物が棲む場所には違いない。初出場で全く体が動かなかった、また、どうしてもミスが生まれてしまうことがある。魔物がパリにいないことは、祈るというより、もはや念じるものである。
脇本雄太(35歳・福井=94期)がリオ五輪に出場した時、まるで体が動かなくて…とぼう然としていたことを思い出す。脇本はその経験を生かし、1年延期になった困難な東京五輪で力を発揮した。準決の接触が、他の選手に突っ込まれたことが、魔物ではあったものの、本人は心身ともに完璧だった。
パリに出場する選手に伝えられることはすべてを、と話していた。技術的、心理的に大事なことは伝えたと思うが、やはりそれ以上に、脇本の思いを伝えられた選手たちが、持てる力以上のものを出してくれると信じている。
競輪のデビュー戦についても、「緊張のあまりまったく覚えていない」と話す選手もいる。ファンから投じられたおカネを背負っての戦い。歴戦の先輩たちとの戦い。よほどのプレッシャーがある。
7月本デビューの125期では山崎歩夢(19歳・福島=125期)が、7月7日、地元いわき平の初戦で先頭誘導員早期追い抜きの失格となってしまった。相当な緊張と高ぶりがあったのだろう。失格はダメだが、この失敗は絶対に取り返してくれる若武者だ。
父・山崎芳仁(46歳・福島=88期)とその後に会うと「翌日の朝から練習しています。とにかくまた走れる時から、返していけるように、頑張らせますから」と話していた。
車券を勝負して、思わぬアクシデントに泣いたファンもいるだろう。だが、この若者の失敗は、先を見て、応援の気持ちに変えてほしいと思う。ある意味でとんでもないインパクトを与えた。これを取り返す戦いに、熱烈な視線を送ってほしい。
父・芳仁に話したことなのでここに書くが、「あれだけのインパクトを残したんですから、芳仁さんや、それに新田祐大をも超える選手になってもらわないと!!」。
引退レースでは魔物を見かけることはあまりない。コロナ禍にあっては、最終日が引退レースとなるはずが、レースカットで2日目になってしまった、というものもあったが、こればかりはやむを得ないもの。また、モーニングの開門時間前やミッドナイトだとファンがいないところで、ということもあった。
様々な引退レースがあるが、ひとつ味わい深かったのが、神奈川のマーク屋・星川淳さん(引退=41期)のものだ。ゴリゴリのマーク屋として鳴らし、スキンヘッドの風貌から、迫力も満点だった。
2012年11月25日、川崎競輪の最終日に最後のレースを行った。先行の番手を回ってきて、直線。1着で最後かと思われたが、外を伸びてきた選手につかまって2着だった。41期には井上茂徳さん(引退)という伝説の選手がいて、多くのマーク屋が活躍していた。
こちらもマーク屋で鳴らした安福洋一さん(引退)だったと思う。同期の引退レースを見に来て、金網越しに視線を送っていた。マーク屋。先行選手の番手を守り、奪い、しのぎ合って続くことを生業としてきた鬼たちだ。井上さんは差す脚が強烈だったが、基本的にマーク屋はその位置を取り切ることが使命だった。
その時は描いている形ではなかったものの、安福さんが「俺たちにとって2着が1着だったから、これでいいんだよ」と、ポツリつぶやいたのが印象的だった。魔物たちと戦う、鬼の姿があって、心が震えたことを覚えている。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。