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【パリ五輪】大黒柱の太田海也と世界ランキング5位の中野慎詞“2人揃っての表彰台”もあるかもしれない/坂本勉の開催展望・男子編

アプリ限定 2024/08/03 (土) 12:00 17

日本人初となる銅メダルを獲得した“ロスの超特急”こと坂本勉氏。競輪選手を引退後には自転車競技日本代表監督を務め、2021年の東京五輪では男子ケイリンのぺーサーの役目も担いました。今回はパリ五輪・自転車トラック競技の戦いのはじまりに備え、坂本勉氏にインタビューを敢行。日本代表選手の「メダル獲得の可能性」についてお話をうかがいました。本記事では男子選手について掘り下げていきます!(構成:netkeirin編集部)

日本代表の大黒柱・太田海也

メダル獲得が有力視されている日本代表のエース・太田海也

ーーいよいよパリ五輪がはじまります。自転車トラック競技・日本代表選手ですが、男子は今村駿介、太田海也、小原佑太、窪木一茂、長迫吉拓、中野慎詞、橋本英也選手、女子は池田瑞紀、内野艶和、太田りゆ、垣田真穂、梶原悠未、佐藤水菜選手が選ばれています。

坂本 3年前の東京オリンピックから更に実力を付けてきた選手、東京オリンピックの後から一気に成長を遂げた選手が選ばれた印象を受けます。

ーー今回は男子選手についてお話を聞かせてください。選手たちはアジア選手権や世界選手権、ネイションズカップなどで世界の強豪を相手にポイントを獲得してきました。

坂本 その中でも日本のトラック競技の大黒柱と言えるのが太田海也です。2024年はネイションズカップ第1戦の男子スプリントに続き、第2戦の男子スプリントも連勝。第2戦では男子ケイリンでも優勝しており、今年に入ってからの充実度が著しいです。

男子チームスプリントはメダル可能性きわめて高い

男子チームスプリント、先頭でチームを牽引する長迫吉拓(写真:公財JKA提供)

ーー太田選手は長迫選手、小原選手と臨んだ2023年のアジア競技大会のチームスプリントで大会記録を樹立して金メダルを獲得しました。海也選手が出場を予定している種目はケイリン、スプリント、チームスプリントです。

坂本 太田が出場する3つの競技の中で、最もメダルの期待が大きいのは、長迫、小原と挑むチームスプリントだと思っています。この競技に関しては、オランダとオーストラリアが抜けた存在となっています。そこに開催国であるフランスと日本の3位争いとなりそうですが、今年のネイションズカップではオーストラリアに続いて2位の成績を残しています。

ーー五輪直前の大会で2位、期待も膨らんできますね。チームスプリントは第1走が長迫選手、海也選手が第2走で、第3走が小原選手となっています。

坂本 長迫はBMXの競技でリオと東京、2大会連続でオリンピックに出場しています。BMXでならした脚力というのか、いわゆる「ゼロ発進」に秀でている第1走向きの選手です。第2走の太田は長迫のダッシュを更に伸ばして行けるスプリント能力に秀でており、第3走の小原はトップスピードの高さはさることながら、そのスピードを維持できる走りができますね。

ーーこの3人で臨んだ2024年のネイションズカップ第1戦では、42秒742で日本記録を樹立、男子スプリント史上最強かつ最速の3人とも言えそうですね。

坂本 それに、ほぼメンバーを固定しながら戦ってきているだけに、オリンピックでも安定した力を発揮できるはずです。小原は自分と同じ青森の選手ですが、最近は調子を更に上げているとのことで、太田や中野よりもいいのではとの声も聞こえてきているほどですよ。

チームスプリント第3走をつとめる小原佑太、個人スプリントにも出場する

現実的に考えて“2人揃っての表彰台”も充分ある

ーー小原選手はチームスプリントだけでなく、太田選手と同じくスプリント競技にも出場しますが、今の調子の良さならば、太田選手との上位争いも期待したくなってきます。そして、太田選手とは同じ121期でライバル関係となる中野選手もメダル奪取の期待がかかります。

坂本 中野はケイリンとチームパシュートに出場を予定していますが、その中でもケイリンの走りに期待をしています。

ーーケイリンは最大で7人の選手たちが、250mのトラックを6周回しますが、勝負が始まるのはペーサーが外れた残り3周となります。ケイリンのルールに準じたPIST6と一緒であり、PIST6を見慣れているファンは、馴染みのある競技とも言えますね。

坂本 競技のケイリンはライン戦が無いのもPIST6と一緒です。ケイリンは日本発祥の競技でもあり、それだけに関係者にとっては最もメダルを取って欲しいと願っている競技ともなっています。

ーー過去には北京五輪で永井清史選手が銅メダルを獲得しています。中野選手も2023年の世界選手権のケイリン種目で3位となっているだけに、それ以上の結果も期待したくなります。

坂本 中野はオリンピック前のランキングでも5位に入っており、ケイリン競技では世界トップクラスの選手であることは間違いありません。ただ、その中野とジャパントラックカップのケイリン競技で互角のレースをしているのが太田であり、力量的に互角である2人がパリで揃って表彰台に上がる可能性も充分にあると見ています。

男子ケイリンに出場する太田海也(左)、中野慎詞(写真:日本自転車競技連盟提供)

チームパシュートは“近年最強”の4人

ーー楽しみが膨らみます。中野選手はチームパシュートにも出場を予定しています。短距離競技のケイリンとは違い、チームパシュートは中長距離競技となります。「団体追い抜き」とも言われており、4人1チームで4kmの距離を走ってのタイムを競うわけですが、ここには今村選手、窪木選手、橋本選手も出走を予定しています。

坂本 中野はチームパシュート向きの持久力も持ち合わせていますが、ケイリン競技への出場を確実とするために、中長距離競技でエントリーをしていました。日本における中長距離競技のエース格である窪木は、今村とのコンビで2022年のネイションズカップ・男子マディソンで銀メダルを獲得しています。窪木は2022年の世界選手権の男子スクラッチでも2位となっています。

中長距離種目のエース格・窪木一茂(写真:公財JKA提供)

ーーまさに中長距離競技界の第一人者ですね。また窪木選手と橋本選手は、オムニアムでそれぞれ五輪出場経験があります。

坂本 オムニアムではリオが窪木、東京では橋本が日本代表に選出されました。ライバルだったこの2人が一緒のチームとなりました。そこに今村と中野も加わったチームパシュート、近年では最強の4名と言えるでしょう。

東京五輪を経験している橋本英也(写真:公財JKA)

パリ行きの切符を掴み初の五輪に挑む今村駿介(写真:公財JKA)

ーーオムニアムも気になります。

坂本 4種目の総合得点で順位を決める種目です。オムニアムは自転車競技の奥深さを教えてくれます。また、2名一組が交代しながらポイントを争うマディソンは、スピードもさることながら、選手が変わるタイミングも重要であり、注目ポイントです。2つの競技ともにメダルの可能性は難しいかもしれませんが、日本選手の走りを中心に観て、どんな競技なのかを見てもらいたいですね。

マディソンはハンドスリングで走者を交代するペアで争う競技(写真:日本自転車競技連盟提供)

“ロスの超特急”坂本勉に聞く!「なぜメダルが獲れたのか」

ーーありがとうございました。続いて「坂本さんと五輪」をテーマに話を聞いてもよろしいでしょうか?

坂本 もちろんです。

ーー坂本さんはロサンゼルス五輪の男子スプリントで銅メダルを獲得しています。その前のモスクワ五輪でも、“幻の代表選手”に選ばれていたそうですね。

坂本 高校2年の時、全国大会で優勝したのですが、その後のオリンピック予選では強化選手たちよりも上の成績を残しました。

ーー高校生が年上であり日本トップクラスのレーサーを退けるというのは、まさに『スーパー高校生』ですね。

坂本 その頃の感覚としては、雲の上にいる人たちと同じ舞台でレースができるという思いしかなかったです。青森ではようやく屋外練習ができるといったタイミングになるゴールデンウィーク期間中の大会でしたし、自分としてもビックリしていました。

ーーそのような練習環境にも関わらず結果を出すあたりが、まさに『スーパー高校生』です(笑)。モスクワ五輪では、お兄さんの坂本典男さんと共に代表に選ばれています。

坂本 当時のオリンピックにはアマチュア選手しか出場できなかったんですよ。大学生だった兄はこの機会を逃してしまうと、4年後の大会には出場できなくなってしまいます。自分ではオリンピック出場は降って湧いたような話であり、当時の世相からしても、出場は難しいのでは? と思っていましたが、兄のような限られた時間しかない選手たちにとって、不出場が決まった時(※)はとても悔しかったはずです。 (※…政治的背景・影響による五輪ボイコット)

ーー背景が個人的なものではない分、選手の悔しさは図り知れません。坂本さんはその4年後のロサンゼルス五輪でも出場権を掴み取りました。

坂本 一度は代表選手に選ばれたことで、オリンピックは雲の上の存在ではないのだと思いました。ロサンゼルスオリンピックに日本代表は参加するとの確信もありましたし、ここから4年間頑張れば、オリンピックに出場できるとの目標を持って、日本大学に進学しました。

ーー大学に入ってからも実力を伸ばしていき、1983年の世界選手権では男子スプリントで6位に入着。これは世界選手権の自転車競技で初の入賞となりました。

坂本 こうした実績が評価されて、ロサンゼルスオリンピックの出場も決まったわけですが、当時の感覚としてはメダルなんて“夢のまた夢”。少しでも上の順位に行ければいいなと思っていました。

ーーそれが、敗者復活戦から勝ち上がってのベスト4進出。3、4位決定戦では2連勝で勝利を決め、日本自転車競技界に初のメダル獲得をもたらしました。

坂本 敗者復活戦に回ったこともありますが、リラックスして臨めたのが、いい結果に繋がった要因だと思います。それでも3位決定戦の前日はほぼ眠れなかったですね。メダルを取らなかったら“ただの人”になってしまうと思いました。メダルを獲得して日本に帰国してからは、まさに別の世界が開けていました。

1984ロサンゼルス五輪で日本人初となるメダル獲得を果たした坂本勉氏(写真:L'EQUIPE/アフロ)

ーー「坂本勉」の名を知らしめただけでなく、日本の自転車競技の地位向上も果たした結果だと思います。

坂本 帰国してからは毎日のように取材がありましたし、昭和天皇と拝謁(はいえつ)させていただく機会を設けてもらったのは光栄の至りでした。その時の経験は一生の思い出となっただけでなく、写真を見返す度に、こんなことがあったのかと振り返っています。

ーー改めて、坂本さんがメダルを取れた要因はどこにありましたか?

坂本 先ほども話したように、リラックスして大会に臨めたのは大きかったと思います。五輪に限らず、どの大会でもそうですが、実力がありながらも、緊張感に飲まれて力を出し切れない選手がいます。自分のように20代前半の人間に勢いがつくと、手が付けられない存在になってしまうんですよ。そこにスプリント競技ならではの、対戦相手に恵まれた“運”だってありました。全てが備わったのが良かったのでしょう。

ーー太田選手、中野選手、小原選手その頃の坂本さんのような勢いがあるだけでなく、大舞台も経験しています。自信を持って大会に臨めそうですね。

坂本 あとは運が備わってくれば、メダル獲得は現実となってくるでしょうね。それが叶えられるように、みんなで応援をしていきましょう!

ーーはい! 次回は女子選手たちについて話を聞かせてください!

坂本 わかりました!

●坂本勉(さかもと・つとむ)プロフィール
1984年のロサンゼルス五輪で日本人初となる銅メダルを獲得した“ロスの超特急”こと坂本勉氏。自転車競技の先駆者としてその名を刻み、競輪選手としても活躍しました。競輪選手を引退した後、2011年に自転車競技日本代表のコーチに就任し、2014年にはヘッドコーチとして代表チームの指導にあたりました。2021年の東京五輪では男子ケイリンのペーサーを務め、現在も競輪と自転車競技の両面でレジェンドとして活動を続けています。



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