2024/08/05 (月) 12:00 9
2020年12月、当サイト「netkeirin」のオープンと同時にコラム「ノーメイクな私の本音」の連載をスタートした太田りゆ選手。いよいよ今夏、自転車トラック競技の日本代表選手として、フランス・パリで走ります。本記事では、これまで選手が連載コラム内で綴ってきた言葉を並べ、五輪出場の切符を掴むまでの“軌跡”をご紹介。前編となる今回は2020年12月〜2022年7月まで。いよいよ夢舞台に挑む太田りゆ選手を応援する前に、ぜひぜひチェックしてみてください。(構成:太田りゆ連載コラム「ノーメイクな私の本音」担当・篠塚久)
太田りゆ選手は2020年12月、第1回目のコラムで、「パリでメダルを獲得」と目標を書きました。東京五輪はリザーブ枠での選出となり、再び正代表選手に挑戦する覚悟を持つまでにさまざまな葛藤があったと語っています。選考発表を終えて「支えてくれた人に申し訳なくて、恥ずかしくて、情けなくて、悲しくて、悔しくて」といった気持ちを感じながらも、「この気持ちを味わえるのもリザーブだけ!」と前向きにとらえ決意を固めたそうです。パリへ向かうスタート地点で「この気持ちは最高の財産」と胸に刻みました。
この時期、りゆ選手はコーチにかけられる「continue(続けて)」という言葉に背中を押されていたと明かしています。やってきたことは間違いではないと言われている気がする言葉だったそうです。とにかく続ける、とにかくあきらめない。絶対に強くなると自分に言い聞かせて、無我夢中に“自信のなさ”をぶち壊す努力をしているように見えました。
2021年1月には沖縄の地でナショナルチームの地獄合宿(かなりの地獄モードみたいです)で鍛え上げ、2月、3月、4月はガールズケイリンで出場したすべての開催で完全優勝。4月に更新されたコラムでは「自分の力に疑心暗鬼ではなくなってきた」とレベルアップの実感を報告しながらも「まだまだ、まだまだできていない」とストイックな心境を書いています。一生懸命トレーニングに打ち込むとき、子どもの頃に憧れた陸上・高橋尚子さんの名言「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」という言葉を思い浮かべながら、パワーをチャージしていたそうです。
コロナ禍にあって、2021年はネイションズカップ第1戦が中止となり、香港で開催されるネイションズカップ第2戦がシーズンのスタートでした。これは東京五輪の出場枠をかけて戦い、悔しい思いをしたドイツの世界選手権ぶりの海外遠征でした。香港に向かう飛行機内で当時を思い返し「完全に心が折れる音を聞いた気がした」とコラムに綴られています。
当時、心が折れたりゆ選手に同じチームブリヂストン所属の長迫吉拓選手(パリ五輪・男子チームスプリントに出場)が『人間は嬉しいことや幸せなことがあると、過去に辛かったことを忘れるんだよ。これから成績が良くなっていっても今日の事を忘れちゃだめだ。この悔しさや気持ちを忘れないために何かするべきだよ』と声をかけました。“何かするべき”を考えた結果、りゆ選手は世界選手権の選手パスを肌身離さず持ち歩くことに決めたそう。
飛行機内でパスを見つめながら、フィジカル面・メンタル面のコンディションが非常に良いこと、身体もひとまわりサイズアップしていること、タイムも伸び続けていることを実感。「自分に自信を持って戦える」そんな確信のもと、香港の舞台に立ちました。そんな自信とともに戦った結果はスプリントで5位、ケイリンで5位。このシリーズを振り返ったコラムでは、「自信がついたことで“今”に集中できなかった」という言葉を残しています。
強さを備えて自信がついていく一方で、「次に勝ったら誰と当たることになる」とか「次はメダルを懸けたレースになる」など、“次”に意識が向いてしまい、瞬間瞬間の集中力を欠いていたとのこと。結果報告のコラムを入稿してくれた際には「コロナ禍で参加メンバーだって少なかったです。大反省して先に進まないと。本番でしか学べないことを学べたのは収穫なんですけどね」と話していました。
その後、コロナの影響で1年延期となった東京五輪が開幕。りゆ選手はリザーブ選手としてチーム入り。出場できない悲しさに現実感がともなって、涙する日々もあったそうです。そんな悲しみの中でしたが、自転車トラック競技種目がスタートする直前、「ブノワJAPAN」の仲間への思いをコラムに綴りました。この回のコラムは大反響でした(文字通り“桁違い”のアクセス数値)。ニュースサイトのコメント欄やSNS上でも「太田りゆ、次回パリ五輪がんばれ」の声が多数見受けられました。
そして各種目が順次開催されていき、リザーブ選手の出番はありませんでした。出番がないことが確定し、りゆ選手は東京五輪を観客席で応援しました。その観客席で、出場選手を応援する人達に交じり、空気を感じることで、「深く大切な学びがあった」とコラムで心境を詳しく書き記しています。
この時の“大切な気持ち”は今もインタビューなどで語っており、パリ五輪の内定会見でも話していました。「応援してくれる人達の気持ちを理解して頑張らないといけない」という選手の芯です。東京五輪が閉幕したとき、「今までは自分のため“だけ”だったのかも」と向き合っていました。
また、“ノーメイクな私の本音”のコラムタイトルに違わず、東京五輪後のコラムでは「レベルの高さに圧倒されてびびった」とストレートに書き残しています。続けてこう綴られています。「びびってるけど、後ずさりはしません」。2021年8月のコラムは担当編集としても強烈におすすめしたいバックナンバーです。
「びびってるけど、後ずさりはしません」の宣言後、「自分の実力がどこにあるのか理解する」といったテーマを持って世界選手権へ。スプリントのハロンで自己ベストを更新しました。大舞台で結果を出し、大きな一歩に。そして、この好結果を受け、ヨーロッパで行われる「チャンピオンズリーグ」に招待されることになります。このチャンピオンズリーグはナショナルチームを離れて“個人”で参加する大会です。(※ナショナルチームのコーチ陣も参加することを支持し、ブノワ氏は「Don’t think you go」と背中を押したそうです)
そのことをSNSやコラムで発表すると、ファンのみなさんの大半が大応援してくれたそうですが、「日本に戻らず転戦とはそのチャンピオンズリーグとやらはさぞや金が稼げるんだろうな」と批判めいたメッセージを何通か受け取ったそうです。このメッセージを選手はとても悔しがっていました。それもそのはず、急きょ決定した参戦だったため、短期間のうちにさまざまな企業へスポンサーを募り、旅費から何からすべて個人で工面していましたし、チャンピオンズリーグで得られる賞金はガールズケイリンの賞金の足元にも及びません。(ましてや競輪祭の出場チャンスを投げてまでの参戦)
その月、コラム原稿にも悔しさが強く表されていたため、公開する前に「多くの太田りゆファンが応援しているのだから、ほんの一部の批判の声に焦点を合わせて書かなくても良いのではないでしょうか?」と選手に尋ねました。「そうかもしれないです。でも事実が違うのも言いたいことだけど、全然それだけじゃない。私の次の世代の夢を追う子たちにこういった批判が送られないようにとも思うんです」と真意を明かしてくれました。その後、「ちょっと書き直してみます!」と原稿を試行錯誤してくれました。
ちゃんと思いが伝わるように感情的な文章を調整して整理して調整して。時間をかけて1本を書き上げてくれました。異国の地で戦いながら、日々コーチから送られてくる練習メニューをこなしながら、その中で原稿を何度も書き直してくれた誠実さに人間性を見た気がしました。
チャンピオンズリーグから帰国して隔離期間を過ごし、視力改善のためのレーシック手術を受けたため安静期間も発生しました。東京五輪前から続いていた緊張と激動の毎日は一旦“長期休み”へ(2021年12月〜2022年1月まで約1か月)。レースのことを軸に書き続けてくれたコラムも「マイルール」や「ルーツ」といったテーマに広がりました。
りゆ選手の代名詞といえば“バッチリメイク”です。人に会わなくとも必ず時間を作り、メイクをしているそう。コラムに書かれた説明を読むと「私にとってメイクは鎧みたいなもので、顔面のコンディションは心のコンディションなのです。心のコンディションは身体のコンディションなのです。メイクをすることで『りゆちゃん』から『太田りゆ』になるのです」とあります。りゆ選手はよく「自信」という言葉を口にしますが、不安や弱気を払拭する大切なルーティンなのかもしれません。
また、原点・ルーツとして「小学校の帰り道」のエピソードを綴った回もありました。毎日、学校から家に帰るまでのタイムを測ってはノートに記録していたそうです。“きのうの自分よりも速く走る”は小学校時代から続けている習慣であり、ナショナルチームでも続けている“仕事”であり、りゆ選手のライフワークと言えそうです。その日起きたことを記録する日誌はプロになってからも続けており、手書きのノートにはぎっしりと言葉が詰まっています。
チャンピオンズリーグから帰ってきてからというもの、コーチと二人三脚で「弱点克服」に打ち込んでいたそうです。弱点は具体的数値に出るタイプのものらしく、“世界との差”を数字で理解できたとのこと。弱点と向き合うことで「力がついてきた実感がある」と胸を張っていました。そんな中、取手のガールズケイリンに参加した際、ステファニー・モートン選手の記録していたバンクレコードを更新。“格上”と見上げていた選手も同等になってきていると感じたそうです。
また、コロナ禍の制限はあったものの、チャンピオンズリーグでは他国の有力選手と活発に交流できたようで、「同じ人間なんだ」と肌で感じたそうです。「レースで相手を下すためには、相手に向ける最初の印象から重要なんです。ジェイソンコーチもチャンピオンズリーグでそのあたりに気がついて欲しかったみたいなんですよね」と語っていました。「格上と思っていたら勝てるものも勝てない。そういうのはやめようって」と意識改革が起きていました。
その意識改革やタイムの向上によって、2022年5月のネイションズカップでは五輪メダリストを相手に対等の勝負を繰り広げました。スプリントの対戦2人目で中国のバオ・シャンジュ(東京五輪チームスプリントで金メダル)を倒したかと思えば、対戦3人目のロリアン・ジェネスト(東京五輪ケイリン銅メダル)から1本先取。コラムでは「私のレベルがぐんと上がった気がしました。自分の中で見えているスプリントの世界を大きく変えることになった一戦」と綴り、「メダリスト相手にも勝負できる」と確信を得た貴重なシリーズでした。
カナダ・ミルトンのネイションズカップで感じた手応えが“まぐれ”ではないことを証明したのが2022年のアジア選手権。スプリント予選のタイムトライアルを1位突破、トップの座を譲ることなく優勝。当時、日本人女子選手でスプリントのアジアチャンピオンは史上初。表彰台に上がる前に、「国歌を聞いて、国旗が上がるのを見たら泣いてしまうだろう」と思っていたとのことですが、現実にそのシーンになると「ここからがスタート」という気持ちしか湧いてこず、まったく泣く気配すら感じなかったそうです。世界と戦えている感覚は絵空事ではなく、事実として結果になった形です。
しかし、アジアチャンピオンになってから体調を崩し、国内戦ジャパントラックカップに出場するも、競技人生初となる途中欠場を経験。体重は2日で4kg減。迫ってくる世界選手権を前にネガティブな想像をすることも。この月は、苦しい状況にも関わらず『そんなときもあるさ、人間だもの。りゆを。』とおどけた言葉でコラムを更新しました。
苦しさや失敗といったネガティブな問題を抱えているときほど、読者のみなさんに対して冗談めかして明るく報告するのはりゆ選手の特徴だと思います。この回では「ダメな時はダメなりにその日できる“最大限”を続けること」と意思表示をしました。
そして2022年10月、「絶対に自己ベストを更新したい」と意気込み、世界選手権へ向かいました。(後編につづく)
※後編は8月6日(火)12時に公開予定です。
netkeirin特派員
netkeirin Tokuhain
netkeirin特派員による本格的読み物コーナー。競輪に関わる人や出来事を取材し、競輪の世界にまつわるドラマをお届けします