アプリ限定 2024/07/20 (土) 12:00 10
前回大会・東京五輪で、自転車トラック競技日本代表チームの獲得メダルは1枚。その唯一のメダルは梶原悠未が女子オムニアムで獲得した銀メダルだ。二度目の五輪となる今回、梶原は女子チームパシュート、女子オムニアムに出場する。梶原の意気込みや心境、見据えるメダルの色はー。静岡・伊豆ベロドロームでインタビューを実施した。(構成:netkeirin編集部、取材日:2024年6月26日)
ーー東京五輪後からここまではいかがですか?
東京オリンピックが終わってすぐスイスでロードレースに挑戦していました。日本に帰ってきてから1年間、相次ぐ怪我に見舞われ、また今年に入ってからは母が大きな手術を受けたりと、この3年間はいろいろな試練や課題がありました。でも全て正面から向き合い、乗り越えてきたので、東京オリンピックの時以上に、精神的にも肉体的にも強くなったと、実感しています。
ーーサポートしてくれたお母様の状況を教えてください。
持病を悪化させてしまいまして、4月に1ヶ月間入院し二度の手術を行いました。私自身とても不安な気持ちがあったのですけれど、母が本当に強い気持ちで病気に立ち向かってる姿を見て、すごくポジティブで本当に強い人なんだなっていうのを実感しました。私も負けてられないと思いトレーニングに励むことができました。一人で家事も料理もトレーニングも全てやってきて、本当に大変な1ヶ月だったので、改めて母のサポートのありがたさを実感しました。
ーーお母様がいない間、ご自身で何か気づきはありましたか?
料理はすごく難しかったですけど、家事はやってみたらすごく楽しかったです。とくに買い物です。自転車で練習帰りの途中に、無人販売のお店がたくさんあるんですけど、このトマトはここが1番美味しいとか、ここは長ネギが安いとか、自転車で1時間半ぐらいかかる山奥のスーパーの方が安いから頑張って行ってみたりとか、練習帰りに考えながら買い物していたのがすごく楽しかったです。
ーー得意な料理はありますか?
鍋です(笑)。毎晩鍋を食べていました。鍋が一番簡単で、栄養バランスが整うので最適な料理だと思いました(笑)。
ーーお母様退院後もご自身での買い物や自炊は続けてらっしゃるのですか?
朝ごはんは自分で用意するようにしたり。でも今はもう本当に出発まで残り2週間で、母が少しずつ回復してきて、母の体調の許す限りサポートしてもらって、作り置きだったり、食事を準備してもらっています。今が自立のチャンスなんだなって思っています。
ーーお母様の料理で好きなものは?
全部美味しくて好きですが、一番はハンバーグです。
ーーリラックス方法はありますか?
私は本が大好きなので、小説を読んでリラックスして過ごしています。伊豆は弘法の湯長岡温泉があって、そこに岩盤浴に入りながら小説を読んでリラックスしています。最近だと『かがみの孤城』を読み直したのですが、夢中になって二日で読み切ってしまいました(笑)。パリにも小説を持っていく予定です。
ーー改めて、お母様はどのような存在なのでしょうか?
私にとって太陽のような存在です。いつも一番番近くで支えてくれて、私が不安になったり、ネガティブになったり、落ち込んだりする時も、隣で“大丈夫だよ”って声かけてくるんで。また、母が毎日毎食、栄養の整った食事を揃えてくれて、全てをサポートしてくれることが本当にありがたいです。
ーー改めてオムニアム4種、どういう展開を想定されていますか?
最初のスクラッチは一番緊張する種目でもあると思うんですけど、ラスト2周から先頭に出て、先頭を譲らずにそのまま1着でゴールできる走りをイメージしています。
テンポレースではしっかりと点数を獲得して上位進出を目指します。
エリミネーションレースでは、大学、大学院で研究してきた戦術を活かして、安全な位置取りで最後まで必ず残って上位目指します。
この3種目を3番手以内で終えて、メダル圏内に位置して、ポイントレースをスタートさせたいです。 ポイントレースは東京オリンピックの反省を活かしてポイント周回から5点を取って、レース展開を優位に進めていきたいです。
イメージ通り走れるように戦術、技術、持久力、スピード、すべてにおいてベストを出せるように仕上げていきたいと思います。
ーー日本ウェルネススポーツ大学の専任講師はいつぐらいから、どういうことをやられているのでしょうか?
はい。大学院を卒業した2022年4月から就任してるので3年目になります。2年目からは“献血”をテーマに学生に献血を体験してもらいながら、スポーツで培ったチームワーク力をどう社会に活かすか、どう社会で助け合うか。ワークショップ式授業を行いました。
スポーツの世界だけではなくて、大学生のうちから社会の一員として生きていくために、困ってる人がいたら手を差し伸べたり、声をかけたり、自分にできることをやっていこうということを考える授業を行っていくことで、自分自身もすごく考える機会になったり、今後の色々な想像が膨らんできます。
パリオリンピックが終わった後は“梶原悠未トレーニングキャンプ”を実施したいという構想を持っています。
ーー前回メダルを獲ったことでプレッシャーを感じていますか?
プレッシャーはあります。はい。やはりすごくありがたいことに注目もたくさんしてもらえているので、それをすごく私は嬉しいことだと感じているので、しっかりそのプレッシャーもエネルギーに変えて頑張りたいと思っています。
ーーケガもあったのことで、今回怖さや恐怖心はないですか?
落車をした時や大怪我をした時と同じシチュエーションになった時には、恐怖心が出てしまうことが分かっているので、同じシチュエーションにならないように、ラスト2周とか、1番危険なコンタクトをするところではもう先頭に立って、そのまま先頭を譲らないような展開がベストになるのかなと思います。
包まれての位置、選手と選手が混雑した位置ですと恐怖心で一歩下がってしまうので、そういったシチュエーションにならないように工夫していきたいです。
ーー具体的にはいつ、どんな怪我をされたのですか?
2022年10月の世界選手権で膝を3カ所と裂傷。その場で大会ドクターに縫ってもらう怪我をしました。また、2023年2月、ジャカルタでのネーションズカップにおいてラスト半周で落車してしまって、右第6肋骨前胸部の骨折、右膝内側広筋および付着部の損傷(肉離れ) 、左膝内側側副靱帯損傷、打撲に伴い顎関節障害、両膝の擦過傷の怪我をしてしまいました。
ネーションズカップ第3戦のカナダには出場しましたが、マディソンでまた落車をしてしまいました。それは打撲のみでしたが、2023年8月の世界戦の前には、骨盤の疲労骨折が判明しました。
ーーその中で得たものはあったのですか?
ここまで色々落車して倒されてしまって、心も折れてしまったり、リハビリしてレースに向けて仕上げていっても、また倒される、ということが何度も続いていたので、この怪我はいったい自分に何を教えてきているのか、ということを何度も自分に問いかけることもありました。
セルフケアが大切だと思いましたし、これまで休みなくトレーニングに打ち込んできたんですけど、休むことの大切さも学びました。いろいろな方に応援し続けてもらえて、リハビリ中もお医者さんが一生懸命私の怪我がすぐに治るようにサポートしてくださり、多くの人に感謝するきっかけになりました。
ーー落車の恐怖心が生まれる前と生まれた後とで、感覚は全然違うものなのでしょうか?
そうですね。やはりフラッシュバックというか、トラウマになったのは事実です。
ーーここまでどういったトレーニングで臨んでいますか?
伊豆で毎日100キロから120キロ以上のロード練習で走り込んでいます。
ーー改めてパリ五輪ではどういった思いで臨みますか?
東京オリンピックで金メダルを獲れなくて本当に悔しい思いをしたので、パリオリンピックではそれ以上の結果、女子オムニアム種目で金メダル獲得を目指します。
netkeirin特派員
netkeirin Tokuhain
netkeirin特派員による本格的読み物コーナー。競輪に関わる人や出来事を取材し、競輪の世界にまつわるドラマをお届けします