アプリ限定 2024/06/22 (土) 18:00 36
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。今回は26日から始まる小松島競輪初のガールズケイリン開催を地元代表として迎える藤原春陽選手(22歳・徳島=122期)。選手をめざしたきっかけから現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!
藤原春陽は徳島県小松島市の出身。父は競輪選手の藤原義浩(76期)だ。2歳上の兄と6歳下の弟の3人きょうだいで育った。
自宅には父の練習場があり、小さいころから競輪が身近にある環境。父がレースを走るときは母親、きょうだいそろって正座で父のレースをみていたそうだ。
小さいころから体が動かすことが大好きな活発な女の子だった。小学生低学年のとき、友だちに誘われてバレーボールを始めると一気に熱中。ポジションはセッターで、パス回しやゲームメイクが得意だったそうだ。
中学校でもバレーボール部に入部した。小学生から一緒にクラブ活動をしていたメンバーが多くチームワークは抜群で、徳島県大会で3位に入賞する活躍を見せた。
しかし中学時代にあまり身長が伸びず、高校進学後もバレーボールを続けるつもりはなかった。「高校では新しいことを始めたい」と思っていたタイミングで父から「自転車競技はどうかな?」と声をかけられ、父の母校である徳島県立小松島西高校への進学を決めた。
小松島西高校は室井健一(69期)、竜二(65期)や太田竜馬(109期)など競輪選手を多数輩出している自転車競技の名門校。父の勧めもあり自転車競技部の門をたたくと、同級生には121期でプロデビューした小川将二郎がいた。
「新しいことにチャレンジする気持ちで自転車競技をスタートしました。入部したときはまだガールズケイリン選手を目指すつもりではありませんでした。強くないと選手にはなれないと思っていたので」
まずは挑戦してみて、自分が自転車競技に向いているかどうか見極めようと思っていたという。しかし競輪選手である父のほうが張り切っていたようで…?
「父は高校入学が決まったらすぐ、自転車の道具をいろいろ準備してくれた。私が自転車競技を始めることがうれしかったのかも。やめるにやめられなくなったことは覚えています(笑)」
当時は驚きもあったようだが、同時に父への感謝を口にした。
「でも父には感謝しています。練習でも部活以外のとき、小松島競輪場に連れて行ってくれた。試合が近いときはバイクで引っ張ってくれたり。父のおかげで続けることができたと思います」
高校から始めた自転車競技に手ごたえを感じたのは思いのほか早く、高校1年の冬だった。初めて経験する全国大会の舞台。小倉で行われた高校選抜で、藤原は500メートルタイムトライアルに出場した。
「第1走者だったんですけど、自分のタイムをなかなか抜かされなかったんです」
結果は5位入賞。賞状をもらい「もっと強くなりたい」と思ったそうだ。この手ごたえがガールズケイリンを目指すきっかけとなった。
そこからは「自転車競技で結果を出したい」「ガールズケイリンの選手になりたい」という思いで一気にギアを上げ、部活に熱中したそうだ。
「高校は服飾科だったのですが、あまりハマれなくて…。部活は頑張ろうと思っていました。自転車はすごく楽しかったんです」
500メートルタイムトライアルに力を注いでいた藤原は、高1冬の選抜での5位から、高2の夏のインターハイでは3位になる。少しずつ順位を上げていた最中だったが、新型コロナウイルスの影響で高2冬の選抜、高3夏のインターハイが続けて中止になってしまった。
「成績がよくなっていたので、高3のインターハイはいい結果を出したかったのに…。代替大会があったけど、父が『養成所の試験が近いから欠場したほうがいい』と言ってきたんです。自分は高校最後の大会だし挑戦したい気持ちが強かったけど、結局養成所の試験を一番に考えて自粛しました。でも父のことは一生恨みます(笑)」
コロナ禍でインターハイの出場を諦め競技生活は不完全燃焼に終わってしまったが、ガールズケイリンという夢の実現のため練習に打ち込んだ。
養成所の試験は想像以上の緊張感のなか行われた。
「養成所の試験は自信がなかったです。でも試験会場の張り詰めた雰囲気は二度と味わいたくないと思い、1回の試験で絶対に合格するって気持ちで1次試験に臨みました」
実技の1次試験は無事クリアしたが、2次試験は苦労の連続だったそうだ。
「本当に勉強は苦手だった。2次試験に向けて県内進学高の近くにある学習塾に通いましたよ。必死に勉強したけど、試験当日は時間が足りず全然問題が解けなくて」
面接でも思わぬハプニングに動揺してしまったという。
「面接もうまくいかなかった。面接会場に入るドアに挟まれてしまって、あたふたして…。もう最悪、って感じでした。もし今回受からなくても、もう1年頑張ろうって思っていたくらいです」
一筋縄ではいかなかったが、2次試験も無事突破。晴れて日本競輪選手養成所122期の合格をつかみ取った。
養成所生活は藤原にとって初めての家族と離れて暮らす経験となった。
「高校生活の最後は結構ゆっくり過ごしていたので、養成所に入ったばかりの頃はキツかったです。最初の周回練習ではちぎれていましたから。あとはホームシックになりました。実家から荷物や手紙が届くことが楽しみでした。コロナ禍で夏と冬の帰省がなくなったのはつらかったですね」
122期はコロナ禍で帰省できなかったため心細かったようだが、養成所生活は仲間たちのおかげで乗り切れたと振り返る。
「集団生活がつらいと感じる時期もあったけど、同期のおかげで乗り切れました。1回目の記録会は青帽だったのに2回目の記録会で白帽を取ることができた。苦手な2キロタイムトライアルでは一緒のタイミングで走った河内桜雪といいタイムが出てハイタッチをして喜んだ記憶があります」
※記録会の成績を元に与えられる練習帽の色の順…金(ゴールデンキャップ)→白→黒→赤→青
自分自身の成長も感じながら、最終的には在所成績7位で養成所を卒業した。
デビュー戦は2022年4月の松戸ルーキーシリーズで迎えた。
「最悪でした…」
1走目は外々を踏まされる苦しいレースで7着とほろ苦いスタートになった。2走目は主導権を奪いに行くも、最終1角で畠山ひすいと接触があり不発。最終日は前受けから突っ張って先行する果敢なレース運びを見せて2着と奮闘した。
2場所目の松山では初勝利、初決勝進出。3場所目の大宮では予選2走を連勝。優勝こそ逃したがセンスの良さを発揮した。
しかし7月高松での本格デビュー戦はいきなり失格と厳しい船出となった。予選2走を3、2着で決勝へと勝ち上がるも、決勝は押し上げで失格してしまった。
「先輩との対戦は不安がありました。同期だけのレースに比べるとスピードが違うので置いていかれると思っていた。決勝は失格になってしまいました。父と一緒の参加だったんですけど、いきなり失格してしまって、家へ帰る道中は父の運転する車の中でずっと泣いていました」
悔しい本デビュー戦だったが、その後もコンスタントに決勝進出を積み重ね藤原春陽の名前をアピールしていった。
「デビュー当時は前受けから戦うことが多かった。父や周りの選手のアドバイスでした。ガールズケイリンは打鐘から1周半のレースなので、後方にいたら何もできずに終わってしまう。それなら前にいたほうが成績は良くなると思って」
その勝負度胸も藤原のセールスポイントだろう。
「自転車競技を始めたときから併走や追走は怖いと思ったことがないんです。顧問の先生も『お前のレースを見ていると怖くなる』って言うくらいだった。併走で競いながら踏むことが好きだったし、前受けは自分に合った戦法だと思いました」
デビューから10か月目の2023年2月小倉。ついに初優勝をもぎ取った。
決勝戦は判断よく最終4角から内に進路を取り、最内のコースをしっかり伸びきって1着。藤原春陽らしさを感じる優勝だった。
「うれしかったけど、内側追い抜きの審議対象になっていないか不安になりました。確信を持って内から抜いたし、1着の感覚はあったけど、審議ランプが付かないかドキドキしていたことを覚えています」
初優勝は思い出に残る大事な一戦となったが、目標を達成したことでそれまで張り詰めていた糸が切れ、暗黒期が訪れてしまった。
「初優勝のあとは気持ちが切れてしまっていたと思います。次の場所で決勝に乗れなくて、レース前は必ず行っていたマッサージも足が遠のいてしまって…。戦法に迷っていたのもこの時期でした。なかなか1着が取れず、どうすればいいか分からなくなっていました。前受けをやめて人の後ろを回るだけになってしまうレースもありました」
ふがいない日々が続いていた自分を奮起させるために、藤原は新しい目標を立てる。それが“GI出場”だった。
「初優勝して次の目標がまだなかったとき、5月の武雄で周りの人から『GI(オールガールズクラシック)に出られる可能性があるよ』って声をかけてもらったんです。それを知って『GIに出たい。GIで結果を出したい』って思いました」
それからは6月末の選考期間まで、追加あっせんも受け一生懸命走った。そして初めてのGI出場権を獲得。122期では唯一の出場だった。
「出場できることが決まってからは、このままだとGIでは3日間7着とか、隊列からちぎれて終わってしまうと思い、新しい練習を取り入れました。筋トレです。筋トレの効果が出るのは3か月後と聞いていたので、10月のオールガールズクラシックのときに結果が出ればと思って始めたら、成績が良くなっていきました」
迎えた10月のGI『第1回オールガールズクラシック』。4着、6着、3着と勝ち上がりは逃したが、最終日は車券に絡んだ。
走り終えての感想は「何もできなかった」の一言。上位陣の高い壁を乗り越えることはできなかった。しかし負けた中でも収穫はあった。
「3日間7着ではなかったし、ちぎれることもなかった。GIに向けてやってきたことは間違っていないはずだと思いました」
GI参加でモチベーションが上がると、12月に自身2回目の優勝を達成した。初優勝と同じ小倉バンクだった。
「勝てそうな予兆は全くなかったんですけどね(笑)。でも小倉のバンクは外に跳ねるから最終バックで前の方にいないといけないということは頭の中に入っていた。松井優佳さんの先行も強かったし、番手で展開が向いた優勝でした」
今年はここまで試練の前半戦となっている。
2月の高松でゴール前落車。初めてのレース中の落車で、右鎖骨骨折と靱帯(じんたい)損傷の大ケガを負ってしまった。
「危ないレースでもなかったので、まさかでした。前で小林優香さんが落車して、よけることができず落車してしまいました。落車で骨折することがこんなに痛いのかと…。入院中は本当に生き地獄で(笑)、手術をしたあとも痛くて腕が上がらなかった。痛すぎて涙が止まらなくて、実家に住んでいてよかったと思いました。ごはんは左手で食べられたけど、お風呂が大変だったんです。母に背中を流してもらったり髪を洗ってもらったりしたので感謝しています」
人生初の落車での大ケガ。気持ちがふさぎ込みかけたが、4月高知で開催されるガールズフレッシュクイーン出場の知らせが届きメンタルをつなぎとめた。
「落車した高松は父と一緒の参加だったんです。父が徳島の選手に鎖骨の手術のことをいろいろ聞いて回ってくれて、いい先生に巡り会えました。その先生が『普通なら復帰まで3か月かかるけど、1か月半で復帰できるようにやりましょう』って言ってくれた。1か月半なら高知のフレッシュクイーンに間に合うと思い、リハビリも頑張りました。フレッシュクイーンは絶対に出たかったんです。選考期間内の競走得点は戸田瑞姫と全く一緒で、賞金の差で7番手。あとは地元四国地区でのレースだし、ケガで諦めたくなかった」
ケガが癒え、自転車に乗り始めたのはフレッシュクイーンの1週間前。急仕上げで高知に向かったが、練習不足は否めず不安は大きかった。レース本番、いきなりスタートで出遅れ不安は的中してしまう。
「道中はドキドキが止まらなかった。ダッシュ勝負になるのが一番嫌でした」
しかし勝負所でのペースはスローで、ダッシュ勝負にはならなかった。藤原はレースの流れに乗り、内を踏み切って4着と奮闘を見せた。
直近5月、6月の普通開催では予選で1着を取るなど、雰囲気は上昇ムード。いよいよ始まる地元小松島でのガールズケイリン開催に向けて準備は万端だ。
「鎖骨の状態はもう大丈夫。違和感なく練習できています。今は落車をする前よりやる気がみなぎっています。鎖骨が折れて気持ちが変わった。鎖骨が折れてこのまま弱くなるのは嫌だと思い、より練習に励むようになりました」
これまで全国の競輪場のなかで小松島だけガールズケイリンが行われていなかったが、6月26日からついにガールズ開催が始まる。これで、開催を行っているすべての競輪場でガールズケイリンが実施されることになった。
小松島競輪場は宿舎を新築し、女子専用の控室をつくった。藤原も施設を見学したといい「全国で一番の施設だと思います。お風呂も24時間入れるんです」と太鼓判だ。
現在徳島に在籍しているガールズ選手は122期の藤原春陽と126期の豊田美香の二人のみ。若手ながら、26日からの開催に地元代表として臨む藤原は複雑な心境も話してくれた。
「もっと強くなってから走りたかった。もう少し後でもよかったかな(笑)。地元戦はやっぱり1着を取りたい。地元ファンの前で勝つってカッコいいですよね。知り合いも見に来てくれると思うし、いいところを見せたいです」
この開催は今年のGIウィナーである児玉碧衣、石井貴子(千葉)にパールカップ準Vの奥井迪も参加予定だ。強敵ぞろいのシリーズだが、藤原の心は燃えている。
「濃いメンバーですが、頑張りますよ。見に来てくれた人がガッカリするようなレースはしたくないので」
実は藤原、地元戦には新車を投入する予定だという。彼女のトレードマークである牛柄のフレームのイメージが強いが…。
「新車の色や柄は本番まで楽しみにしていてください。セッティングは今、父と頑張って出しています。新車で走れることを自分も楽しみにしています。今回は参加メンバーが強烈なので、『めざせ決勝!』の気持ちで頑張る」と力むことなく開催に臨む。
気持ちを前面に押し出す攻めのレースで存在感を発揮する藤原春陽。大ケガを乗り越え、やる気モードに突入した今、小松島初のガールズ開催で強敵相手に臆することなく挑んでいく。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。