アプリ限定 2023/11/17 (金) 18:00 119
S級S班特集3回目は、「経験者が語るS級S班」のテーマで、武田豊樹選手のインタビューをお届けします。2003年7月に競輪選手となった武田選手は、2005年12月、わずか1年半で競輪グランプリ初出場を果たしました。スピードスケート出身の武田選手が鳴り物入りでデビューした時はすでに29歳でしたが、たぐいまれなポテンシャルと日々の精進で、以降は2018年までに11年間もS級S班の座に君臨しました。今回は、栄光も挫折も知り尽くしている武田選手にSS班というものが何なのかを語っていただきました。(聞き手=松井律・日刊スポーツ)
ーー初めて競輪グランプリに乗った2005年は、早い段階でヤンググランプリの出場が決まっていて、最後の最後に昇格してグランプリ初出場が決まりました。その時の気持ちはいかがでしたか?
武田 デビューが遅かった自分は、1年1年が勝負という気持ちでした。遅くても3〜5年のうちに上に行かないと厳しいだろうと思っていました。だから、最初からグランプリ出場を目指していたし、決まった時は、これが自分の戦う舞台なんだと思いました。生意気なようですけど、出て当然という気持ちもありましたね(笑)。
ーーその後も何度もグランプリには出場していますが、前半でダービーを勝って早々に決まる時もあれば、最後の最後に競輪祭を勝って逆転で決めた時もありました。その時で違いはありましたか?
武田 違いというのはよく分からないですね。早く決まったからといって、休んだことも安心したこともないし、常にGIをどう戦うかを考えていました。ただ、競輪祭には重点を置いていましたね。後半になると、そこをどう走るか常に考えていました。だから競輪祭は成績が良かったんだと思います(優勝2回、準優勝3回)。
ーー最初はSSが18人の時もありました。9人の時とはどう違いますか?
武田 18人の時はそこまでの特別感がなかったかもしれませんね。9人の場合は、本当に隙のない強い選手しかなれないというイメージです。
ーー特別感というお話がありましたが、SSで良かった点はどこですか?
武田 優遇はされますよね。常に9車の記念に出られて、特選回りになる。スケジュール的な面でも調整はしやすかったと思います。ただ、そこがどうしても欲しいという感覚ではなかったですね。
ーーそれはなぜでしょうか?
武田 SS班になっても、実力が伴わないと苦労するだけです。コンディションのいい時期というのは限られているし、いつも同じようなパフォーマンスをするには実力が必要です。だから、SSになりたいとか、グランプリに出たいというのではなく、いつでもがむしゃらにやっていました。
ーーS1班でもその気持ちに変わりはないですか?
武田 SSだからとか、S1だからとかは特に感じないし、今でもその気持ちは変わりません。
ーー武田選手がSSにいた時期は、茨城全体のレベルが上がったように見えました。
武田 それはあるでしょう。強い選手が一人いることで、周りから目標にもされるし、全体的なレベルの底上げにはなったと思います。僕がGIに出始めた時は、茨城からの参加が1人とか2人の時もあったけど、その後は10人以上の大所帯になっていました。
ーー練習仲間や身近なところにいいお手本がいるのは大きいのですね。武田選手が当時、意識していた存在はいましたか?
武田 同じ関東でも今の競輪の流れとは違う部分が大きかったです。同じラインの中でもライバル感が強かったし、(平原)康多は同じ自力選手として刺激し合いました。当時の関東は強い追い込みの人もたくさんいましたし、ヒリヒリした感じがありました。今の雰囲気を見ていると少し寂しい部分もあります。
ーー吉田拓矢選手や眞杉匠選手は、まだ武田選手がデビューした年齢よりも若いんですよね。
武田 そうですよ。まだまだこれからでしょう。
ーー以前、お話されていた還暦まで走るという目標は簡単に達成されそうですね。
武田 この年齢になってくると、1年が過ぎるのがあっという間になってくるんです(笑)。頑張っていれば、それは出来そうですね。
ーー今もGIの舞台でどう戦うかがテーマですか?
武田 夢や目標は大きく持ちすぎても難しいので、目の前の一戦一戦を大事に一生懸命走っていきますよ。
netkeirin特派員
netkeirin tokuhain
制度の仕組みや選手の証言を通して競輪界の顔ともいえるS班を解説します。