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平原康多の勝ちペダル

【#33】侍ジャパンにインスパイア!関東で“チームの力”を体現した暁に名乗るは…競輪界の〇〇!?

2023/03/30 (木) 18:00 33

3月のレースを振り返ります!(撮影:島尻譲)

3月の平原康多選手は、大垣G3と、G2ウィナーズカップに出走。2場所で4勝をマークし、復調を印象付けました。今月から戻したセッティングも功を奏したようで、大舞台でのガッツポーズが見られる日も近そうです。


◆セッティングを戻し「やってきたことは間違いじゃなかったと思えた」

ーー 3月の競走お疲れ様でした。自力での力強い走りが戻って安心しました。

 そう見えましたか? 調子が良かったというよりは、セッティングを戻したら、感覚も戻ったなという感じでした。

ーーあれ? 少し鼻声ですね?

 そうなんです。別府の最終日のレースが終わった後、濡れたままで片付けをしていたら、嫌な寒気を感じました。帰宅して熱を測ったら、37.5度あって。翌日に病院に行ったら、インフルにかかっていました。

ーー今もまだ休んでいるんですか?

 数日休みましたけど、もう練習は再開しているので、次の高知は問題ないと思います。

ーーそれなら安心しました。では、今月のレースの振り返りをお願いします。大垣では吉田有希選手と2日間連係がありました。

 初日はかばいすぎてコースを失い、悔しい終わり方になってしまいました。準決は、谷口(遼平)は突っ張るつもりじゃなかったと思うんですけど、ユウキの仕掛けるタイミングが遅くて、谷口の距離になってしまった。合わされると思って中団に入ったら、ユウキが行ってしまったので、すぐに追い上げました。

ーー最近、吉田有希選手の仕掛けが少し遅くなっていますか?

 彼はダッシュがない分、前に出た方が強さを発揮できるし、周りも怖がる。彼の良さは2周踏めるところですから。自分はそれを何度も見てきたし、強さを知っています。最近はその武器を生かし切れていないので、もったいないなと思いますね。

吉田有希選手(2番車)、久木原洋選手(5番車) (撮影:島尻譲)

ーー2日目は、吉田選手とは対極の脚質の橋本瑠偉選手の番手でした。初連係でしたが、橋本選手の印象は?

 それまでも彼のレースは見ていましたし、脚力があるのは知っていました。ただ、7車は上手でも、9車で記念クラスだとまだ力を出し切れない感じでしたね。覚えてくればもっと強くなると思います。

ーー平原選手自身は、車が前に進んでいる印象でした。

 1、2月と試したものに見切りを付けて、去年の集大成と言えるセッティングに戻したわけですけど、やってきたことが間違いじゃなかったと思えましたね。乗っていて安心感がありました。

ーー決勝は最終的に古性優作選手の後ろになりましたが、作戦の1つだったんですか?

 スタート位置の失敗もあって、最終的にああなりましたが、狙っていたわけではなかったです。ミスが重なってしまったレースでした。

◆途中欠場を考えるうちに、力がみなぎってきて…

ーー続くウィナーズカップですが、脇本雄太選手との対戦が3度もありました。

 初日のワッキーはすごかったですね。坂井(洋)が3番手から車が出なくて、自分で踏み込んだ時に、普通なら前と詰まっていくんですけど、いかなかった。

ーー日に日に脇本選手は、不調を訴えていましたが…

 ポーズじゃないんですか? はははは。

 ただ、2日目はさすがのワッキーもまくってこられなかった。調子うんぬんじゃなく、本当の上位クラスが集まると、ワッキーでも簡単には勝てないというのは分かりましたね。

ウィナーズカップ2日目、毘沙門天賞(撮影:島尻譲)

ーーその2日目のレースですが、新田祐大選手とのデッドヒートは、見ていて力が入りました。

 真後ろから新田がまくってきて、張れるスピードじゃなかったので、前に踏むしかなかった。でも、森田(優弥)がレースを作ってくれたおかげです。今年の前半は失敗も多かったけど、このレースは久々にいい手応えがありました。

ーー森田優弥選手は、アクシデントもありますが、レースがいいですよね。

 アイツは、「ザ・競輪選手」ですからね。ははは。

「ザ・競輪選手」森田優弥選手(撮影:島尻譲)

ーー準決は大垣でも連係した吉田有希選手と一緒でした。

 嘉永(泰斗)を叩いて、あんなに早くまた来るとは思いませんでした。ユウキもトップスピードに入れていなかったので、スピード差もあって対応が遅れました。荒井(崇博)さんに押し込まれた時、ハンドルか何かが入ってオーバーに内に行ってしまい、戻った時にスリップしてからんでしまいました。

ーー落車のけがはどうだったんですか?

 打撲した部分が痛くて、欠場しようかとも考えました。

ーー欠場か、出走かの判断は短い時間で決めないといけませんが、走ろうと決めた要因は何だったんですか?

 1日早く帰るとなると、航空券を買い直したり、色々と手続きも面倒くさい。今回はそんな事を考えているうちに、だんだんと力がみなぎってきて、よし走ろう! と。はははは。

ーー面倒くささが、痛みを超えたんですね(笑)。

 自分に「喝」を入れて、集中を切らさないように努めました。

ーー最終日の負け戦は、再び森田選手との連係でした。森田選手が内に詰まってしまいましたが、ここでも鮮やかなまくりが決まりましたね。

 この日は本当にお客さんの声援が力になりました。顔見せの段階から応援していただいて。雨なのに、けっこうお客さんが来てくれていましたね。

ーー普段から別府は声援が多いのですか?

 いや、そんなこともないと思うんです。落車明けだったからなのかな。

ーー2日目のレースがファンの心をつかんだんじゃないですか?

 それだったら、うれしいですね。

本当にお客さんの声援が力になりました(撮影:島尻譲)

#競輪界のダルビッシュ

ーー声援と言えば、別府の最終日はWBC準決勝のメキシコ戦をやっていましたよね。参加中の選手もテレビで応援していたんじゃないですか?

 みんな見ていましたよ。僕がアップに行く前に見た時は日本が負けていて。アップを終えて、ローラーに行こうとした時に検車員の人たちが騒ぎ始めた。急いで見に行ったら、ちょうど村上選手のサヨナラヒットの場面でした。いいもの見たなと思ったし、そこでも元気をもらえたのかもしれませんね。

ーーWBCでは、ダルビッシュ選手の若い選手たちをまとめる力がクローズアップされていました。今回のダルビッシュ選手の立ち位置って、関東ラインにおける平原選手とかぶるのですが。

 そういう立場ではあると思いますけど、僕は結果を出せていないので。そこが大きな違いですね。ここははっきり書いておいて下さい、はははは。

ーー代表チームにインスパイアされた部分はありましたか?

 今回の日本代表は、他国よりも明らかにチームワークが良かったと思います。個の力もすごいんですけど、大谷選手がバントをしたり、自分だけじゃなく、みんなで勝とうという意識が強かった。それは学ばせてもらいましたね。

改めて感じた“みんなで勝とう”という意識の大切さ(撮影:島尻譲)

ーー特に思い入れのあった選手はいましたか?

 特に誰かを応援というのはなかったですけど、村上選手には注目していました。一次リーグで打てなかった時に、周りがどうやって村上選手のメンタルを盛り上げたのか気になりました。結果が出せない感覚や辛さは自分も分かるので、打順が5番になった時は、どんな風に思っているのか想像しましたね。だから、準決勝と決勝で目立った結果を出した時には感動しました。

ーー本当にいい大会でした。

 やっぱりチームの力ですよね。ラインに置き換えても、自分1人じゃ出来ません。関東の1人1人がそういう気持ちになって、これからしっかり結果を出していきたいですね。

ーーその時は、競輪界のダルビッシュを名乗りましょう。

 はははは。頑張ります。

(※文中敬称略)

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平原康多の勝ちペダル

平原康多

Hirahara Kota

埼玉県狭山市出身。日本競輪学校87期卒。競輪選手・平原康広(28期)を父に持ち、その影響も受けて高校時代から自転車競技をスタート。ジュニア世界自転車競技大会などで活躍し、頭角を現していった。レースデビューは2002年8月5日の西武園。同レースで初勝利を記録。2009年には高松宮記念杯と競輪祭を制し、2010年も高松宮記念杯で勝利。その後もGⅠ決勝進出常連の存在感を示し、2013年は全日本選抜、2014年と2016年には競輪祭、2017年も全日本選抜などで頂点に輝く。最高峰のS級S班に君臨し続け、全国の強者と凌ぎを削っている。

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