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場立ち予想屋 大津昌広のゼロからはじめる競輪予想

「競輪って難しい」知識ゼロからの競輪予想、場立ち予想屋稼業は上司との喧嘩から始まった/プロローグ

2023/03/21 (火) 10:00 24

小田原・平塚競輪で場立ち予想屋として活躍され、『ウマい車券』では丁寧な見解が好評の大津昌広さんの連載コラムがスタートします。
「競輪予想の楽しさは推理にある」と語る大津さんですが、元々は知識ゼロの初心者でした。コラムでは予想屋として27年間蓄積してきた大津さんの予想メソッドを皆さんにお伝えし、競輪ライフをより楽しくしていきます。
▶大津昌広の見解と買い目はこちら

大津昌広(おおつ・あきひろ)さん(本人提供)

わからないことだらけだった競輪

 祖父が小田原、叔父が平塚競輪場で場立ちの予想屋として商売をしていました。僕は大学卒業後、電気器具の卸会社に就職。競輪場に行くことも車券を買うことも無かった。普段優しい祖父や叔父の「仕事場での怖い顔」を見たくなかったのかもしれません。入社して6年目に結婚をして、新しいアパートも見つけ「家族のために頑張るぞ」という時に、家から通うのが難しい場所に行ってくれと上司に言われて「こっちの状況も知っているのに、それは無いだろう」と喧嘩になって半ば衝動的に辞めちゃったんです(苦笑)。

 奥さんには「これからどうするの」と泣かれるし、親族一同にも「お前、何考えているんだ」とボロクソに責められ…そんな中、祖父が「職が決まるまで俺の手伝いとして働く気があれば、お小遣い程度だが日当を出す」と言ってくれたんです。本当は手伝いがいなくても回せるはずなのにね。可愛い孫のためにどうにかしてやりたかったんでしょう。

 叔父も助け船を出してくれて、予想屋の見習いとして働き始めました。朝一番に競輪場に行って予想台の後ろに新聞を貼ったり、ペンの準備、予想紙にハンコを押したり。祖父や叔父の準備が終わったら、当時は50人ぐらいの予想屋さんがいたので、御用聞きをしていました。

 見習いを始めた頃は競輪の知識はゼロでした。今でも思い出すのが、選手が一列棒状で周回している時に祖父の常連さんが「何で一番弱いのに前を取るんだよ」というのを聞いたんです。先頭から最後尾まで20メートルぐらい差があるから、ゴールに近い方が有利で、前を取ったほうがいいんじゃないか、と思っていた。誘導員を勝負所まで抜いちゃいけないと知らなかったので、誘導員がいなくなってからレースが動くことがわからなかったんですよね。

 他にもラインの概念を知らないので「レース中になぜ選手がセットで動くのか」とか、お客さんが発する「引け」「叩け」「切れ」など言葉の意味が理解できなかったりとか…。わからないことだらけで困りました。競輪は難しいなって思いましたよ。

競輪がわからないから面白いに変わるきっかけ

 祖父からは「見て覚えるしかないんだよ」と言われ、予想台の近くでレースを見続けた。日当を貰っていたけど無給、失業手当とサラリーマン時代の貯蓄を切り崩しながらの暮らしだったので、お金が無くて車券は買えず、本当に見るだけ。わからないことは祖父に聞いたり、めぼしい入門書も無かったので、当時連載が始まったばかりの漫画『ギャンブルレーサー』を読みました。あの漫画は僕の競輪のバイブル(笑)。

“わからないから面白い”に変わるきっかけは、自分の予想を他人が喜んでくれたことですね。祖父のお客さんと顔見知りになっていくと「アキちゃん、このレースどう思う?」って聞かれることが増えてきて、ある時、後ろから伸びてきて凄く良く見えた選手がいて、お客さんに「この選手が面白いんじゃないですか」と話したんです。その選手は大穴で、車券を的中させたお客さんから親方と同じ金額のご祝儀を貰ったんですよね。3万円ぐらい貰ったかな。日当だけが唯一の収入だったので嬉しかったですよ。

 まだ、知識も乏しくて展開説明が出来なかったので、おすすめ選手という感じでしたけど、快感でしたね。自分の予想で人が喜んでいる姿を見るのは嬉しいじゃないですか。祖父も理解を示してくれて「お客さんに無理強いしちゃダメだけど、聞かれたら教えてあげて良いよ」と言ってくれたので、いつ聞かれるかわからない予想を見習いの仕事が終わってから考えていました。

 腰掛けのつもりが、見習いを始めて1年経った時に、祖父や叔父のように場立ちの予想屋を生業としてやっていこうと思いました。最初の半年で競輪の流れやルールを覚え、次の半年で選手の特徴を覚えていきました。

 お客さんから「選手を覚える必要はあるの?」と聞かれることもありますが、「選手を覚えないと予想がわからない」と答えています。

 競輪は選手を「先行型」と「追込型」に分けることが出来ますが、先行型といっても特徴(戦法)はさまざまです。逃げてこそ車券になる選手もいれば、捲りじゃないと車券にならない選手もいます。前者であれば竹内雄作(35歳・岐阜=99期)、後者であれば河端朋之(38歳・岡山=95期)ですね。また、イン粘りを得意とする坂井洋(28歳・栃木=115期)のような自在なレースが出来る選手もいますし、その逆もいます。選手の戦法を覚えるとお客さんに「この選手はイン粘りが得意だから、多分、飛びつくよ」とか教えることが出来るんです。

 追込型であれば、タテ(踏み出した際の伸び)はあるけど、ヨコ(後ろから来る選手をブロック)は弱いとか。1着は取れないけどヨコは強いとか。加齢によって脚力も戦法も変わってくるので、バージョンアップが必要です。今は「KEIRIN.JP」のレース検索から過去レースを見られるので良いですよね。昔は競輪場で見るか、神奈川テレビのダイジェスト番組で情報を入手していましたから。この連載コラムでは、今後『ウマい車券』の僕の見解をケーススタディとして紹介します。僕が選手のどんな所を見て予想するのかを説明していきますので、気になる方は見て欲しいですね。

『ウマい車券』で公開した2023年3月17日立川10Rの見解。1着◎蕗澤、2着〇鈴木、3着△白戸で3連単14,160円を的中。見解では選手の特徴を説明している

穴予想が僕の真骨頂、選手の調子と展開から穴を書く

 僕の予想スタンスは穴です。本命予想は専門紙やスポーツ紙に載ってますから(笑)。穴予想を聞きたいお客さんが来られることが多いですね。2年の見習いを終え、場立ちの予想屋として一本立ちする際、祖父に言われたことが2つあって、1つは「競輪場で自分の車券を買わない方が良い」。自分で車券を買うとなると当てたいじゃないですか。当てたいと思うと予想って不思議と本命に近付くんです。大胆な予想が出来なくなる。祖父は穴予想だったので、よく「予想がブレる」と話していましたね。

 もう1つは「常連にお金を貸す場合にはあげるつもりで、返ってこないと思って貸しなさい」。常連のお客さんに「最終までやられたから明日持ってくるから2万〜3万回して」とか言われるんですよ。誰にでも貸すのではなく、それまでにご祝儀を貰ったお客さんになりますが…。

 僕が予想屋になった時は、バブルが弾けて世の中の景気が下り坂に入っていた時なので、数十万円を貸すということは無かったですが、100万円以上は返ってきていない。祖父の頃は景気も良かったし、1000万円以上返ってきていないと思います。貸して返ってこないと腹立つじゃないですか。だから貸す場合はあげるつもりです。驚くかも知れないですが、そういう世界なんです(苦笑)。

 場立ちの予想屋をやらせてもらって27年、サラリーマン時代の平均月収は25万円ほどで、最初はその金額を目標にしてやってきましたが、ここまで続けてこれました。お客さんからは「選手の調子を見極めるが上手い」「展開予想がわかりやすい」と言って貰っていますがピンときません。「お客さんは負けて帰って欲しくない」だけです。

 思い出のレースは…2001年と2012年のKEIRINグランプリ。2001年は伏見俊昭が逃げ切って優勝、2着が山田裕仁、3着に稲村成浩で3連単85,040円。ちょうどこの年から始まった3連単を本線で的中させることが出来て、同じ場立ち予想の木村(安記)さんほどではないかもしれないですが、僕の予想で3束(1束100万円)獲ったお客さんがいたので、ご祝儀をもらいました。2012年は村上義弘が勝った雨の京王閣グランプリですね。村上、成田和也、浅井康太と入り、3連単84,800円。伏見も村上も直前で骨折して人気を落としていたのが要因ですね。展開と調子を読み切って獲った車券でした(次回に続く)

2001年に平塚で行われたKEIRINグランプリ。3連単⑤②⑧85,040円の万車券を的中させる(提供:共同通信社)


次回のテーマは、大津流の穴予想の手順や予想に必要な情報です。公開は3月30日(木)です。

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場立ち予想屋 大津昌広のゼロからはじめる競輪予想

大津昌広

Otsu Akihiro

親類に予想屋がいながらサラリーマンとして競輪とは無縁の生活を送っていたが、退職を機に予想屋に転身。小田原・平塚の場立ち台に立つ。選手の調子や特徴をベースにした展開予想はファンからの信頼が厚い。netkeirin予想サービス「ウマい車券」で予想を公開中。

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