アプリ限定 2022/12/17 (土) 18:00 23
今年の競輪祭で特別競輪(GI)を初制覇し、KEIRINグランプリの出場権利を獲得した新山響平選手。今回のインタビューでは決勝レースの振り返りはもとより、昨年の競輪祭決勝2着の悔しさやナショナルチームの活動に終止符を打ったこと、北日本地区への思い、自身の武器や理想とする競輪選手像、初出場となるKEIRINグランプリへの意気込みなど、たくさんの話を聞かせてくれました。新山選手の言葉を余すことなくお伝えすべく【前編】【後編】に分けてお届けします。
(取材・文 netkeirin編集部)
ーー新山選手、競輪祭優勝おめでとうございます。今日はよろしくお願いします。
ありがとうございます。よろしくお願いします。
ーーまず、最初にゴールした瞬間の気持ちを教えてください。
ゴールした瞬間は正直ホッとしたような気持ちでした。先輩に前を走ってもらい、後ろも先輩に守ってもらい、これで優勝できなかったらマズイな…と思いながら走っていて、とてもプレッシャーを感じていたので。
ーーこの競輪祭で優勝するイメージはお持ちでしたか?
優勝という結果に対するイメージは自分の中に思い描きながらシリーズに入っていました。準決勝までの走りは自力戦でしたし、イメージ通りに戦うことができました。でも決勝の並びなどは準決勝が終わるまで予測できるものではなかったので、当然ですが、事前にイメージしていた勝ち方ではありませんでしたね。
ーーその北日本ラインの並びですが、ここで改めて決定するまでの経緯を聞いてもよろしいでしょうか?
新田さんと守澤さん、成田さんと話し合う際に、新田さんの番手に行かせて欲しいと気持ちを伝えました。新田さんはすぐに受け入れてくださって、グランプリの権利争いをしている成田さんも後ろについてくれました。守澤さんにも相談に乗ってもらい、あの並びが決まりました。本当に北日本の先輩たちに恵まれての優勝です。
ーー実際に新田選手の番手はいかがでしたか? また、勝利を確信したのはどのタイミングでしょうか。
新田さんは筋肉がすごいし、デカいし、ダッシュも凄まじい選手です。後ろを走っていて一瞬でも気を抜けば一気に離されてしまうので、追走しながらドキドキしていました。レース中に勝利を確信することはなく、「真後ろに誰かがいるはずだ」と無我夢中で踏んでいました。ゴール線を切る瞬間に横に誰もいないとわかったので、そこで初めて確信できた感じです。気持ちに余裕はありませんでした。
ーーゴール後のウイニングランでは歓喜のガッツポーズも飛び出しました。喜びを爆発させたような表情も浮かべていましたね。
ゴールした後に観客席からたくさんの祝福と声援をいただきました。そのお客さんたちの声に応えたいような感覚になってガッツポーズしました。もちろん優勝できたことに対して心からの嬉しさもありました。
ーーその後に行われた優勝者インタビューでは喜びを爆発させる雰囲気ではなく、感謝の気持ちを噛み締めるような雰囲気だったのが印象的です。
そうですね。レース直後こそガッツポーズはさせてもらいましたけど、優勝という結果自体ラインのおかげで、日ごろから連係してくれる北日本の先輩たちの存在があってのものです。インタビューで話している時はそんなことを考えていて、喜びよりも感謝の気持ちが上回っていました。
ーー新山選手にとって北日本地区の選手たちはどんな存在ですか?
北日本は仲間意識も強いですし、ひとつのチームのような雰囲気があります。でも「個と個の戦いがある」ということは忘れないようにしています。仲間だから負けてもいいやと思って走っている人はいません。選手同士、お互いを高め合える関係性があります。
自力選手なら「オレの方が強い」と意識し合いますし、追い込み選手なら「番手なのか? 3番手なのか?」と並びを決める部分にも情熱やプライドを見ることがあります。いつも連係している北日本の追い込み選手は全員すごいです。先行しても厳しいブロックを繰り出してくれる選手ばかりなので、自信を持って思い切り踏んでいくことができます。
ーー競輪祭を制するまでの1年、たくさんの出来事があったと思います。
そうですね。大きな決断もしました。
ーー昨年の競輪祭は同期のライバル吉田拓矢選手が優勝し、新山選手は準優勝でした。あの惜敗から1年、この戦いを今振り返ってみてどうでしょう?
あのレースは本当に悔しかったです。そもそも吉田が強いことなんて当たり前にわかっていましたけど、自分の状態も万全でした。レース展開も自分に向き、うまいペース配分で走ることができました。すべての条件が揃っていて、自分の持っている力をすべて出し切れたんです。
それで優勝できなかったわけですから、「もう自分は優勝できないんだ…」と落ち込みました。吉田の優勝が悔しくて、その場では自分も頑張っていくしかないと思い直したのですが、その後は落胆の気持ちが成績にも出てしまいました。でも今年、競輪祭が近づいてくる日々で、あの負けたレースはよく思い出していました。調子を上げていく原動力になったと思います。
ーー優勝するまでの1年、どのように競輪と向き合ってこられましたか?
自分は競技と競輪の両立を精一杯やってきましたが、なかなか結果を出すことができませんでした。自分の中に『どちらかがダメでもどちらかが良ければ』みたいな考えもあって、それは良くないと思っていました。今年8月の競技の大会で、目標とする結果が出せなければナショナルチームの活動をやめようと考えました。その大会の結果と自分の気持ちを照らし合わせて、競輪1本に専念しようと決意が固まりました。
ーー競輪に専念することを決意してから約3か月でのGI制覇ですが、これはイメージ通りでしたか?
いいえ、自分が思うよりも早い段階でチャンスがあり、結果が出てくれた形です。競輪に専念すると決めてから共同通信社杯や地元記念、寛仁親王牌ではなかなか思うように結果が出ずに、自問自答していたんです。実は焦っていました。
でも結果を焦らずにレースの内容を重視しようと目線を変えました。それも大きかったと思います。活動こそやめましたが、今もナショナルチームで培ったノウハウを競輪のトレーニングにアレンジしています。その感触を確かめながらレースと向き合って、手ごたえを感じ始めていました。
ーーなるほど。結果を求めるために、焦らずに(結果よりも)レースの内容に向き合ったということでしょうか?
はい。寛仁親王牌は初日に負けてしまったんですが、2日目から最終日までの内容がとても納得できるものでした。2日目1着、3日目1着、最終日3着だったのですが、最終日の走りに手ごたえを感じました。自分のペース配分、燃料タンクの使い方にピンと来るものがありました。それは競輪祭の勝ち上がりでも活かせた部分です。
ーー今もナショナルチームのノウハウをトレーニングに取り入れているとのことですが、自転車競技の活動を通じて得た教訓やこれからも大切にしていく考えなどはありますか?
あります。「練習量が自信に繋がる」でしょうか。練習が与えるレースに対するメンタルを実感しました。考えて組まれているメニューでたくさん練習して、しっかりとコンディショニングをして、大会に向けて準備している時、短期間でタイムがみるみるうちに上がっていった経験があります。その時の練習量は多かったですが、その練習量に取り組むことで得られる自信はデカいと学びました。自信がレースに与える影響ってデカいです。
ーー「競輪はメンタルスポーツ」といった言葉もあるくらいですし、やはりメンタルが大事なですね。
大事だと思います。その自信をつけるまでの練習量がとてもキツイですけど(笑)。
ーー想像もできません(笑)。ちなみに「競技と競輪の両立」と「競輪に専念」を比べるとフィジカル的な違いなども出てくるものですか?
開催に向けてのコンディショニングはかなり違ってきます。両立している時は競技の大会にターゲットを置いて体を追い込むような練習をしたり、軽めの調整をしたり、スケジュールが決まっていました。「ビッグレースを控えているし疲労のたまらない軽めの調整がしたいな」と思っても、そうは言っていられない難しさがありました。
今後はGIに向けてあれをしようとか、ターゲットを競輪開催のみに絞ることになります。これはプラスにできるように考えていくつもりです。でも「レースに向けて」の意識だけでトレーニングメニューを組むと、両立していた時と比べて圧倒的に練習の量が足りなくなります。ここはしっかりと考えて、メニューに落とし込んでいきたいです。
ーーメンタルにもフィジカルにも大きな変化があるのですね。プラスの面がたくさん出てくると良いですね!
はい、簡単にいかないとは思っていますけど、自分も楽しみに試行錯誤していきたいです。
ひとつひとつの質問に思慮深く言葉を選びながら応じてくれた新山選手。ここから話は「新山選手の持ち味・武器とは何か」、「グランプリ出場への意気込み」、「来季S級S班で走る心構え」「自分の性格・オフの日に楽しみにしてること」などのトピックに広がっていきました。その模様は後編(12月18日19時公開)でお届けします!
※取材日:12月8日(木)
※インタビューはオンラインで実施
netkeirin特派員
netkeirin Tokuhain
netkeirin特派員による本格的読み物コーナー。競輪に関わる人や出来事を取材し、競輪の世界にまつわるドラマをお届けします