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村上義弘 引退特集

【村上義弘 引退特集】魂の走りは永遠に「村上義弘 28年間の軌跡」

2022/11/28 (月) 19:00 31

1994年デビュー以降、GP・GIの8冠を獲得し、「先行日本一」にこだわったレーススタイルと、常に気力を漲らせた「魂の走り」で多くの競輪ファンを魅了した村上義弘選手が、今年28年間の選手生活にピリオドを打ちました。

netkeirinでは「村上義弘 引退特集」を、4回に分けてお届け。初回の今回は「村上義弘 28年間の軌跡」と題し、村上選手の足跡を辿ります。(構成=netkeirin編集部)

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競輪界に大きな影響を与えた村上義弘(撮影:桂伸也)

デビューから7年目までは普通の選手

 1994年のデビューからB級→A級→S級と順調に格付けを上げていったが、村上自身「特に注目されることのない普通の選手に過ぎなかった」と語っていたように、ブレイクまでに時間を要した。

28年間の現役生活で19億円を超える賞金を稼いだ

 飛躍のきっかけは、デビュー7年目の2000年ふるさとダービー豊橋。ここでビッグレース初制覇を果たすと、村上の代名詞となる「先行日本一」が浸透し始める。秋にはホームバンクの向日町で初の記念優勝を決め、年間獲得賞金は6301万円となった。

 2002年は、ふるさとダービー弥彦で優勝を飾ったほか、自身が印象に残っているレースに挙げる寛仁親王牌の決勝で、“心の師匠”松本整の優勝に貢献し、涙を流す場面もあった。その後「優勝以外、頭になかった」と振り返った全日本選抜競輪を優勝。デビュー9年目にして初のGI制覇を飾った。初出場となったKEIRINグランプリは松本と一緒に走り、3着で終えている。この年はGI・1勝、GII・1勝、GIII・3勝を制し、年間獲得賞金が初めて1億円を超えた年となった。

充実期を迎えた2004年に落車で大怪我を負う

 翌2003年、村上はさらに力を見せ始める。ふるさとダービー向日町を優勝すると、9月のオールスター競輪を制し、2度目のGI制覇。年間獲得賞金は前年に続き1億円を超えた。

 翌年も春先から伊東、高知、平塚、小松島と夏までにGIIIを4勝、8月のふるさとダービー福井を制覇し、10月に花月園GIIIを勝つなど充実期を迎える。しかし、11月の全日本選抜競輪2日目に落車。左脚付け根の腱を切る大怪我を負ってしまう。

2004年高松宮記念杯競輪。“心の師匠”松本整の引退に涙する(撮影:村越希世子)

 2005年は、前年の落車の影響もあり、向日町、広島と2つのGIII制覇に止まった。怪我周辺の筋肉を強化するリハビリを行いながらレースに出走していたが、パフォーマンスは戻らず低迷期を迎えてしまう。

 復活をアピールしたのは2009年。引退した松本の指導や練習内容の見直しの効果が表れ、3月の日本選手権競輪で優出、4月の川崎記念では3年4か月ぶりに記念優勝を決める。2010年は、1月の向日町記念で弟・博幸とワンツーを決めて優勝。4月の共同通信社では6年ぶりにGII制覇を飾る。GI制覇はならなかったが準優勝3回、年間賞金は1億3254万円となった。

日本選手権競輪、KEIRINグランプリを制覇

 2011年は、日本選手権競輪の決勝で、前を走る市田佳寿浩が落車して目標を失うも、バックから捲って初めてダービー王の称号を手にした。2012年は、年間を通して堅実に賞金を積み上げ、KEIRINグランプリに出場。グランプリに向けた練習中に肋骨を骨折するアクシデントに見舞われたが、それを敢えて公表してレースに臨む。豪雨の中で行われたレースは、単騎から捲りを決め、6度目の挑戦でKEIRINグランプリ初優勝を飾った。なお、この年は自身初の賞金王に輝いている。

豪雨を切り裂き優勝した2012年KEIRINグランプリ(撮影:村越希世子)

 2013年は、奈良と玉野でGIII優勝後、3月の日本選手権競輪を迎えた。決勝では最終バックから捲った武田豊樹に乗って鋭く抜け出し、2年ぶりに優勝を飾る。翌年はSSイレブン騒動のため、長期間欠場を余儀されたが、その直前の日本選手権競輪は決勝で先行する稲垣裕之の番手から捲りを放ち、後続の追撃を封じて連覇を達成。前述の騒動により、斡旋は3か月止まったが、年間獲得賞金は1億円を超えた。

2014年の日本選手権競輪で連覇を達成。3度目のダービー王に(撮影:村越希世子)

 2015年は、タイトル獲得こそならなかったが、2度のGI優出、GIII2勝など賞金を加算してKEIRINグランプリに出場した。

 2016年は、日本選手権競輪の決勝で近畿勢の3番手から臨むと、番手で運んだ川村晃司を直線で差し切って4度目の優勝、名古屋ダービー3連覇の偉業を達成した。年末のKEIRINグランプリでは稲垣の番手から捲り、平原康多とのもがき合いを制して抜け出すと、武田を振り切り優勝。年間獲得賞金は2億円を突破し(2億2920万円)、2度目の賞金王に輝いた。

怪我と体力低下に苦しんだ晩年も競輪への情熱は衰えず

 43歳となった2017年は玉野、小松島とGIII・2勝を挙げるも、度重なる怪我の影響で、3連覇が懸かった日本選手権競輪を欠場。賞金を加算することが出来ず、7年間守り続けたS級S班から陥落する。2018年は全日本選抜競輪と日本選手権競輪で準優勝し、KEIRINグランプリに出場するも、最終2センターで平原と接触し落車棄権。これが自身最後のグランプリとなった。

 以降もS級1班で走り続けるが、2019年の宇都宮記念が最後の記念優勝となる。今年の3月の武雄記念で久々に決勝に乗るも最後の直線で落車。そして、9月松阪FI後に突然の引退発表…。

「競輪選手として心身共に完全燃焼できました」

 10月5日の引退会見では時折り涙を浮かべ、競輪場ではなかなか見せることのなかった穏やかな顔も見せた。

 引退を決断したタイミングについて聞かれ、「松阪の出走表の連対率が0%でこんな事は初めてでした。初日・2日目とダメで、3日目は自力で動くメンバー。弱気にならず自分らしい気持ちを出したレースで1着でしたが、無様なレースを見せ続けるのは良くないし『村上さすがだな』って思ってもらえるタイミングで引くのが良いのかなと、帰りの車の中で決めました」と答えた。

 ここ数年は、髄膜炎の手術や落車による怪我の影響などで苦しんでいたが、ファンからの「村上君は走ってくれているだけでいい」という言葉に背中を押され、脇本や古性と組んだ時に走れるようにとの思いを持って練習を続けてきた。仲間を大切にし、ラインを守ることに生き甲斐を感じて戦ってきただけに、プロの誇りを守るため、けじめをつけたのかもしれない。

 数々のビッグタイトルを獲得しながら、「自分が理想とする日本一の競輪選手には残念ながらなれませんでした」と話した村上は最後まで競輪への情熱を持ったまま、28年間の選手生活に幕を下ろした。

魂の走りは競輪ファンの心に深く刻まれる(撮影:村越希世子)


今後の公開予定
12月6日(火)〜9日(金)18時公開 後世に語り継ぎたい村上義弘 伝説のレース
12月11日(日)20時公開 取材の裏側 記者が見た素顔の村上義弘
12月15日(木)18時公開 ありがとう、愛しのレジェンド

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