2022/12/07 (水) 18:00 12
今年28年間の現役生活にピリオドを打った村上義弘選手。ここでは「後世に語り継ぎたい村上義弘 伝説のレース」と題して競輪メディアに携わる4名の方に、村上選手が出走した2,236レースの中から1レースを挙げていただきました。2人目は夕刊フジ・秋田麻子記者です。レース映像と一緒にお楽しみください。
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2010年7月4日 寛仁親王牌決勝(前橋競輪場)
(提供:公益財団法人JKA)
村上義弘氏の引退会見に行くことができた。村上氏は満面のとっても晴れやかな笑顔で会見場に現れた。途中、ご家族の話を振られた際には涙ぐむシーンもあったが、終始、今までに見せたことのないような笑顔で受け答えで正直、驚いた。検車場での村上氏はいつも眉間にしわを寄せた険しい表情だったから。
「ご迷惑をおかけしました」
会見中に突然、村上氏が頭を下げた。それは「その緊張感を持ち続けないと、自分の心が維持できない、ちょっとでもゆるめると戦えなくなる弱さがあった。その弱さを勝負の世界である以上表に出してはいけないと考えていた」と、周囲の人にその険しい顔で威圧感を感じさせていたという意識があったからだった。
そんな村上氏の会見時と同じくらい、いやそれ以上のとびっきりの笑顔の記憶。それは2010年、前橋競輪場で行われた、第19回寛仁親王牌(GI)決勝戦終了後だ。
レースは脇本雄太(福井)が先行し、追走した村上氏が番手まくり。続いた市田佳寿浩(福井)氏が村上氏を差して悲願のGIを果たした。嬉し涙を堪え切れない市田氏と熱き抱擁をかわした瞬間の村上氏の笑顔が忘れられない。「市田は兄弟も同然。市田の初優勝の場に一緒にいられてうれしい」の言葉どおりのスマイルだった。
弟の村上博幸(京都)が同じ年の3月に日本選手権(松戸)でGI初制覇を決めた時ももちろん嬉しそうだった。師と仰いだ松本整氏の優勝の時も同じく。シビアな競走の多かった松本氏の走りを非難する向きもあったが「番手捲りされるのは自分が弱いから」と厳しい顔で言う時すらなんか気配がうれしそうだった。
村上氏は実は強き幸せ配達人だったのか。…あれ? 私は村上氏のGI優勝もグランプリ優勝もほとんど全部、現地で見ている。絶対、笑っていたはず。なのに思い出すのは村上氏が誰かの優勝に貢献したシーンの笑顔ばかり。なぜなんでしょうか?
【レース結果】
1着 ⑨市田佳寿浩
2着 ①村上義弘
3着 ③武田豊樹
秋田麻子(あきた・あさこ)
元・東京スポーツ競輪記者、デスクで、現在は夕刊フジ競輪記者。「スポーツ紙初の競輪担当女性記者」として業界取材歴は約30年のベテラン。
netkeirin特派員ほか
netkeirin特派員による本格的な読み物。競輪に関わる人や出来事を取材し、競輪の世界にまつわるドラマをお届けします