2022/12/08 (木) 18:00 12
今年28年間の現役生活にピリオドを打った村上義弘選手。ここでは「後世に語り継ぎたい村上義弘 伝説のレース」と題して競輪メディアに携わる4名の方に、村上選手が出走した2,236レースの中から1レースを挙げていただきました。3人目は東京スポーツ・前田睦生記者です。レース映像と一緒にお楽しみください。
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2011年1月22日 向日町記念初日特選(向日町競輪場)
(提供:公益財団法人JKA)
村上義弘はどんな選手だったかを語る上で、取り上げたいレースがある。2011年1月22日、向日町記念の初日特選10R 。村上が稲垣裕之の前を回ったレースだ。村上36歳、稲垣33歳の時ーー。
競輪では基本的に自力同士が連係するなら、後輩が前になることが普通。連係を重ねると、その時々で選手の持ち味を踏まえ、メンバー構成を考慮して、前後を入れ替えることもある。が、よりによって村上と稲垣。この2人の関係性において、まず稲垣は「尊敬している村上さんの前で頑張ること」だけを考えて戦ってきた。村上もそれはよくわかっている。
頑張りたいという後輩を差し置いて、前を回る、というケースはあまりない。前検日、稲垣にまず話を聞いて、取材側としては「稲垣が前だろう」と普通に思っていた。ただし、並びについては、選手同士が確認を取ってからでないと、正式にはわからない。
しばらくして村上と稲垣が話をするために、検車場を離れた。正確な時間は計っていないが、思いのほか長かった。村上がやってきて「自分が前。調子がいい方が前、でいいでしょう」と短く語った。後ろにいる稲垣の表情はゆがんでいる。
稲垣に気持ちを聞くと「前で頑張りたい気持ちでしたが、以前に自分が失敗していることもあったり、今の状態を考えたり…」と、説得されての後ろ回りのようだった。
当時、大ケガもあって思うように走れていなかった稲垣の前で、かわいい後輩の前で、何とか復活のきっかけを…の気持ちがあったか。いやそれ以上に、稲垣がただ前で頑張ることに村上は不満を感じていたのではないだろうか。
レースは前団のもつれを村上がまくって1着。稲垣はやや口が空きながらも2着に続いた。
壁に当たっている稲垣に対し、レースに挑むにあたり、また競輪と向き合うにあたり、を教えるような時間だった。後輩に対して厳しい道を歩ませ、強くなれ、と走りで鼓舞する。
稲垣にとっては悔し過ぎる出来事だったはず。だがレースを終えて引き揚げてきた時の稲垣の表情は何か吹っ切れたようだった。
これが“ムラカミ”なんだと思った。走りそのもの、レースで感じること、も大きかったが、そこに付随するドラマがあまりにも峻烈だった。
【レース結果】
1着 ②村上義弘
2着 ④稲垣裕之
3着 ①前田拓也
前田睦生(まえだ・むつお)
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。
netkeirin特派員ほか
netkeirin特派員による本格的な読み物。競輪に関わる人や出来事を取材し、競輪の世界にまつわるドラマをお届けします