アプリ限定 2022/06/27 (月) 12:00 29
6月23日に西武園競輪場で、ガールズケイリン1期生の田中麻衣美(39歳・新潟=102期)がラストランを終えた。
ウエディングモデルをやっていたが、弥彦競輪場が主催するクラブスピリッツに入り、ガールズケイリンができる前のエキシビションを走っていた。
そのエキシビションは出走表も配られ、1km独走のタイムも記されていた。1分20秒辺りの上位選手がいる中、田中は1分50秒くらいだったと記憶している。当然、ぶっ離れてゴールしていた。
他の出場者の経歴を聞いても、ガールズケイリンができるなら挑戦しそうだった。が、田中に関しては挑戦しないんだろうな…と思っていた。どこにそんな根性があったのだろう。競輪学校(現養成所)試験に合格し、もちろんタイムも格段に伸びて…、1期生としてデビューした。
ちょっとした見た目、によったものと思うが、スタンディングが弱々しかった。それで教官から「全力でやれよ!」と叱責されたという。重いギアを全力で踏み出す時、選手たちは鬼の形相になる。
全力でやっていても田中にはそれが見えづらかったのだろう。悔しさばかりが胸に残ったようだが、懸命に力を付け、デビュー当初はレースに参加するのがやっとだったものの、徐々に伸び脚を発揮するようになっていった。
代謝制度ができた時に、すぐにそれにかかってしまうのでは…と思われたが、根性で生き残った。田中は初期のころのガールズケイリンの広告活動で最も活躍した功労者だ。
持ち前の明るさと、弥彦のメンバーの支えがあったからこそだと思う。苦しくも選手生活を楽しんだと思うし、意義深い10年だった。いつだったか地元の弥彦で落車し、意識朦朧とする中で再乗した時、鎖骨は折れていた…。
「アドレナリンが出ていたみたいで(笑)」。
その話を聞いた男子選手は「女子の方が強いな」と笑い、ガールズケイリンのすごさを感じていた。
最初のころは「ガールズのいる開催には行きたくない」という男子選手の声が一部にはあったのも、確かな事実なのだ。
同じく1期生の飯塚朋子(43歳・奈良=102期)は実に903回、レースに出場した。年間90回ペースだが、初期のころは開催が少なく、多くは走れなかったことを思うとすごい数だ。
無事に開催できることが大事だったし、選手が無事に走り終えることに意味があった。一つひとつのレースをきっちりこなし、開催を支えた功労者だ。器用なレーサーだったので代謝のイメージはなかったが、全体のレベルアップと、4月の鎖骨骨折が響いた。
ガールズケイリンができる前から見ていた者としては、ただただこの2人の頑張りに感服するほかはない。10周年を迎えるガールズケイリンを支えた足跡は、いたるところに刻まれている…。
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前田睦生
Maeda Mutuo
鹿児島県生まれ。2006年東京スポーツ新聞社入社、競輪担当として幅広く取材。現場取材から得たニュース(テキスト/Youtube動画)を発信する傍ら、予想系番組やイベントに出演。頭髪は短くしているだけで、毛根は生きている。