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伏見俊昭のいつだってフロンティア!

【伏見俊昭と日本選手権競輪】村上義弘との争いの隙を突かれた、忘れもしない“ピンクの弾丸”

2022/04/30 (土) 12:00 21

 netkeirinをご覧のみなさん、こんにちは。伏見俊昭です。
 まもなく日本選手権競輪が僕の地元である、いわき平競輪場で開催されます。僕自身、同大会には過去25回出走してきました。今回はそんな日本選手権競輪の思い出についてお話ししたいと思います。

(PHOTO:島尻譲)

GIの中で最高峰、準決勝への道のりも険しい大会

 日本選手権競輪、「通称ダービー」は僕の中でGI全6大会の中でも最高峰の大会という位置付けです。競輪祭が6日制になる前は、ダービーだけが6日制でした。参加人数も162人と多く、他のGIと比べると、とにかく勝ち上がりが厳しいんです…。

 他のGIは、予選から大体3着に入れば準決勝へ進めます。しかしダービーは、二次予選で3着に入っても準決勝に行けない選手がいます。一方でその分賞金も高く、KEIRINグランプリにグッと近づける大会になるので、重要な大会だと感じています。

坂本勉 直伝! 時差ボケの直し方

 思い出に残っているのは、2004年の静岡競輪でのダービー。

 当時は直前にメキシコでのワールドカップに参加して、中1、2日での静岡入り。体調は最悪で、練習中にコンクリートのバンクで落車したのも痛かったですけど、何よりも辛かったのが、時差ボケ…。

 メキシコと日本の時差は大体14時間。メキシコを出発する際、日本時間は朝なので、日本時間で生活するために、時差ボケ対策として眠くなっても寝ないを貫きました。メキシコ出発から丸1日くらい起きていたかな。それじゃ疲れも抜けるわけないですよね。

 初日の特選スタートは「失敗しても二次予選があるから巻き返せる」と気持ちに余裕はあったのですが、初日全く体が動かなくて、結果は9着…。さすがにマズイな、と。

 走るからにはしっかりしたパフォーマンスも見せたいし、結果も残したい。同年のアテネ五輪を目指していたけど、それで国内の戦いをおろそかしているなんて思われたくもなかった。優勝までは無理でも、最低でも決勝には乗りたいってかなり焦っていました。

時差ボケのアドバイスをくれた坂本勉さん (PHOTO:村越希世子)

 それで、初戦を走り終えて坂本勉さんに「時差ボケってキツいですね」って相談しました。すると勉さんは「朝練習でキツめにモガけ」ってアドバイスをしてくれて。

 最初は理解できなかったんですけどやってみる価値はあるなと、2、3日目の休みを使ってモガいてみました。そうしたら二次予選で思ったより体が動いたんです。さまざまな経験をされている先輩のアドバイスはてきめんでした!

 4日目は静岡の渡邉晴智さん、海野敦男さんがついてくれる番組構成で二次予選メインでした。地元の追込み選手と組んでもらえるってことは先行選手として高い評価をしてもらっているわけですから、気合も入るし責任感もあります。

 結果は先行一本の組み立てで挑んで3着。特選シードだったのでなんとか勝ち上がれました。その後、準決勝は番手が(佐藤)慎太郎君。ここでも先行して、慎太郎君がすごくいい仕事をしてくれて3着に残してもらい、2人で決勝に乗ることができました。

村上義弘との先行争いを選ばなかった決勝戦

当時から絶対的なオーラを放っていた村上義弘(PHOTO:村越希世子)

 そんな中迎えた決勝戦は村上(義弘)さんとの2分戦。

 村上さんの番手は伊藤保文さんと小野俊之君の競りでした。やることは2つに1つ。真っ向から勝負して村上さんと先行争いをするか、引いてカマすか、まくるか…。どんな戦法で行くのかギリギリまで考えていました。

 出した答えが、前受けから引いて競りを見極めて最後まくって優勝。慎太郎君、3番手についてくれた出口真浩さんまで連れ込んでワンツースリーを決めることができました。

 前年2003年のKEIRINグランプリでは村上さんとの先行争いをしていました。その対戦が続いていた感じだったので、村上さんとしては「どっちが上か白黒はっきりつけよう」という気持ちだったかもしれない。

 結果としては僕が優勝したけど、勝負から逃げたと言われればそれまで…。当時、同年のアテネ五輪出場はまだ確定してなかったのですが、ダービー優勝してアテネ五輪を迎えられたことは結果的にすごくよかったので、あのときの自分の選択には後悔はないです。

2回目のGI優勝を手にした伏見俊昭(赤) (写真提供:共同通信社)

 それとダービー優勝が2回目のGI優勝だったんですが、「GIは2回勝ってホンモノ」って言われていたので、2回目の優勝がすごく欲しい気持ちもありました。五輪がなかったら…2分戦じゃなかったら…優勝できなかったかもしれない。いろんな要素と気持ちが葛藤して、絡みあった決勝戦でしたね。

鈴木誠さんへの大きな貸し

 今でも悔やみきれない大会は、2005年松戸ダービー決勝。今思い出しても後悔する一戦でした。

 決勝に乗ったのは北日本からは僕一人、南関も鈴木誠さん一人だけで地元のマコトさんが僕についてくれました。あの頃の僕は先行主体からまくり主体に変わりつつあって、決勝も村上さんの先行が有力視されていました。そこであえて意表をついて打鐘前に内をすくって先行。「伏見の先行はないだろう」と思われていただろうから先行できましたね。

 最終3コーナー入った時に斜め後ろにまくってきた村上さんが見えました。合わせ切ったんですが、4コーナーでまだ村上さんがはりついていたので振りぎみに踏んだ時………

 ピンクの弾丸が内に飛び込んできたんです。

 なんだ? と思った瞬間、そのピンクの弾丸はガッツポーズしていました。松戸は直線短いですからあっという間の出来事。一体何が起きたんだと、よくわからないままゴールを過ぎました。

 ピンクの弾丸の正体は、僕の番手を回っていた“マコトさん”です。

ガッツポーズをする鈴木誠さん(PHOTO:村越希世子)

 先行した選手をその番手の選手が内から抜くなんて信じられなかったけど、内を開けなければ僕の優勝だった、でも内を開けた自分が悪い、内を突いていけないというルールはない…。

 ゴール後のクールダウン周回で少し冷静になって、それでも2着。ダービー決勝2着は賞金が高いから「KEIRINグランプリ出場にぐっと近づいた、2着なら納得」なんて考えていました。

 検車場に戻ると当たり前だけどマコトさんは大喜び。僕もまあ、喜んでワンツー決まってよかったと言っていました。

 そこにマコトさんの後輩のエビちゃん(海老根恵太)が、冗談混じりに「伏見さん、あれ怒ったほうがいいですよ」って。でも、そうだよなとは言えないから「仕方ないよね、僕が内、開けたんだから」と。

さらにエビちゃんは「車、買ってもらったほうがいいですよ。フェラーリとか。ねえ? マコトさん」とけしかけました。マコトさんは「わかった、わかった」と言いましたけどもちろん買ってもらっていませんよ(笑)。マコトさんには「これは大きな貸しですからね」と伝えました。

 その後、マコトさんと一緒のレースになると南関の目標がいても「僕の4番手、固めてくださいよ〜」と言っていたら、いわき平記念でマコトさんが4番手を固めてくれたんです。そしたらそれ以降、マコトさんは「あの時、固めてやったろ」とずーーっと言うようになりました(笑)。

 でも、そのレースって特選か優秀かのどっちかで勝ち上がりに関係がないやつだったんですよ。それなのに恩着せがましく言ってくる(笑)。先行の番手から内を突く。これくらいじゃないと一流の追込みにはなれないんだなあと勉強させられました。本当にマコトさんとトカちゃん(高木隆弘)にはいいように操縦されてました(笑)。

 レース後は、中野浩一さんをはじめいろんな人に「内を開けてなければ伏見の優勝だった」って言われました。自分でもなんで開けちゃったんだろうと考えましたが、やっぱり村上さんのオーラ、威圧感がそうさせたんでしょうね。

地元で迎える初めてのダービー

26回目となる今大会も一つでも上を目指す(PHOTO:島尻譲)

 次のいわき平でダービー26回連続出場になります。いわき平でのダービー開催は1978年大会以来、44年ぶり2回目。僕は当然、初めての地元ダービーです。一つでも上のレースを目指して全力を尽くします。地元3割増し、気持ちも3割増しで、いい状態で迎えられるよう仕上げます。応援も3割増しでお願いします(笑)。



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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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