アプリ限定 2022/04/29 (金) 12:00 18
日々熱き戦いを繰り広げているガールズケイリンの選手たち。その素顔と魅力に松本直記者が深く鋭く迫る『すっぴんガールズに恋しました!』。4月のピックアップ選手は豊岡英子(41歳・大阪=114期)。41歳にして今なお進化し続ける秘密とは? 晩成レーサーの現在に至るまでの軌跡を写真とともにご紹介します!
3人きょうだいの長女として大阪府吹田市に生まれた豊岡英子。生粋の姉御肌で、3つ下の弟と6つ下の妹を可愛がってきたそうだ。実家は大阪万博の開催地のそばで、自然に恵まれた土地柄ということもあり、遊びはもっぱら屋外が中心。当時大流行していた一輪車に夢中で、あっちへ行くのもこっちへ行くのも一輪車、四六時中一輪車にまたがっていたそうだ。
豊岡が中学1年生のときにJリーグが開幕し、日本全国にサッカーブームが巻き起こった。流行の波にしっかり乗るタイプの豊岡は、迷うことなく女子サッカー部へ入部し、サッカー中心の中学生活を送っていた。吹田市の隣、茨木市にある追手門学院高校へ進学すると、高校ではテニス部を選択。高校まで毎日、片道40分の道のりを自転車で通学したが、この頃はまだ自転車の魅力にはまることはなかったという。
高校卒業後、神戸松蔭女子学院大学へ進学したが、いわゆる“お嬢様大学”で水が合わなかったこともあり、神戸松蔭女子学院大学を1年で中退。もともと運動が得意だったことに加え、“体育教師”だった母の影響もあって、大阪体育大学に入り直すことになるのだが、それが人生のターニングポイントであるトライアスロンとの出会いとなる。
大阪体育大学運動部は高校からの推薦入学者で占められており、新規入部者が入り込む隙間はほとんどなかった。そんな運動部を探している豊岡の目に飛び込んできたのがトライアスロンだった。
「トライアスロンなら大学から始める人が多く、スタートラインが一緒。これなら勝負できる」
意を決して飛び込んだトライアスロンは、ラテン語の“3”を指す「トライ」と“競技”を指す「アスロン」を組み合わせた複合競技。「ラン」、「スイム」、「バイク」と“3つ”の競技を競うのだが、豊岡はすべてが得意だったわけではなかった。当時のコーチからも「バイク一本でいったほうがいいのでは…」と進言もあって、豊岡は徐々に自転車人生を突き進むことになる。
大学2年のときにバイクの素質が実業団チームの目に止まり、豊岡は大学生活と並行しながら自転車競技大会に出続けた。自転車にどっぷり浸かった大学生活だったせいもあって、進路についても迷いは全くなかった。
「大学卒業後は、世界に挑戦したいっていう気持ちが強かったですね。シクロクロス(オフロードで行われる自転車競技)全日本選手権で2005年から11年まで優勝できたのは今でもいい思い出です」
ロードレース、シクロクロスをやりたいという強い意志のもと『チーム・パナソニックレディース』に所属し、大会と練習に明け暮れた。当時、豊岡英子はガールズケイリンの存在こそ知ってはいたが、転向するつもりは微塵もなかったそうだ。
しかし2014年に転機が訪れた。7連覇した女王として臨んだ全日本選手権(2012、2013年)で2年連続の敗退。さらには、ロードレースの大会中に落車をして肘を骨折するアクシデント。「このままでは終われない。もう一度優勝する」と心に誓い挑んだ2014年の全日本選手権で復活の優勝を果たした。が、そこで自転車競技に対する気持ちが燃え尽きてしまったという。
そんな中2014年12月に、西日本エリアとしては初となる『KEIRINグランプリ』が、岸和田で開催されることになった。自転車競技時代からの知り合いだった稲川翔(37歳・大阪=90期)がそのグランプリに出場するとあって、28日のガールズグランプリ(優勝:梶田舞)と30日のKEIRINグランプリ(優勝:武田豊樹)を見に行き、そして、人生が変わった。
「ここで走りたい」
生で見た競輪の迫力は、シクロクロスで燃え尽きていた豊岡のハートに強く響いた。岸和田競輪場の観客の多さ、そしてファンの熱量に圧倒され、ガールズケイリン選手になると心に決めたのだった。
しかし競輪選手になることはそんなに簡単なものではなかった。同じジャンルのように見えても全く違うのがシクロクロスとガールズケイリン。身体の使い方も、使用する自転車も、さらにはセッティングも、まるで違っていたのだ。想像していたようなタイムが出せないまま日本競輪学校112期の試験を受けたが、結果は不合格。厳しい現実を突き付けられた。
「次が最後」
ラストチャレンジ。日本競輪学校114期へ再挑戦することを決意した豊岡はガールズケイリン選手になるためだけに時間を費やした。貯金を切り崩しながらの浪人生活。一人暮らしをやめて実家に戻り、競輪に集中する時間をできる限り作った。後の師匠となる渡邉泰夫も、簡単には弟子入りを認めてくれなかった。それでも、豊岡が粘り強く交渉した結果の末に首を縦に振り、師匠として豊岡の稽古を見るようになったのだった。
苦難続きの浪人生活ではあったが、その努力は実を結んだ。なかなか上がらなかったタイムも上がり、晴れて日本競輪学校114期生として合格。入学時、豊岡は36歳になっていた。同期の114期生は若い候補生が多かったが、競輪学校生活については嬉しそうに振り返ってくれた。
「114期で本当によかった。仲間に恵まれています。慕ってくれる子が多くて、苦しいはずの学校生活が本当に楽しかった。とくに自分の誕生日(8/10)を同期で祝ってくれたことが思い出。夏帰省の前日で、テンションが上がっている中だったけど、みんなに祝ってもらい最高にうれしかった」
在所成績は114期21人中6位。卒業記念レースでは決勝6着の成績で学校生活を終えて、プロデビューを迎える。デビュー戦は2018年7月14日、地元の岸和田競輪場で行われた。
予選1は先行勝負で2着。予選2も積極策に駆けるもまくられて6着。ギリギリで進出した決勝では、前々へ踏んで番手に入り、最終バックでは番手まくり。最終4角を先頭で回ってくるが、4着に終わった。デビュー戦で優勝…とまではいかなかったが“豊岡英子”の名前を競輪ファンにしっかりアピールすることができた。
「何でもできる選手になりたかったから、先行できたことはよかった。でも学校時代とレースの中身が全然違ったことにビックリしました」
2場所目の高松最終日の一般戦(2018年7月31日)、まくりが決まって初白星。デビュー1年目は37走して1着4回と好成績を収めた。
「先輩がみんな強くて頑張らないといけないと思いました。同期もみんな、学校のころより強くなっていた。特に114期は(佐藤)水菜、(野本)怜菜、(柳原)真緒が引っ張ってくれていたので、なんとか追い付きたいって気持ちでいっぱいでした。でも競輪選手は本当にいい仕事だと思っています。自分は自転車が大好き。好きなことをしてお金がもらえる。最高の仕事に就けたと思いました」
2年目は苦しい1年を過ごした。代謝の対象になる47点になることもあったが、そのときにできることをしっかりやることで、苦しい時期を乗り越えることに成功した。2020年の春はコロナ禍で開催中止になることもあり、なんだか嫌になってしまいそうな時期ではあったが、豊岡はそれをプラスにとらえていた。
「まとまった練習ができるし、いろんなことを試せる」
レースのない期間は自転車と真っ直ぐ向き合い、できることを何でもやることで、メキメキと効果が現れてきた。2020年5月の広島から8月武雄まで7場所連続で決勝進出。落車棄権や失格もあったが、10月3日の向日町で待望の初優勝を成し遂げたのだった。ただ、「向日町での初優勝は複雑でした。レース中に落車もありましたし、失格での繰り上がりだったので。次は自力で優勝を取りたいです」と複雑な心境だったことを明かしてくれた。
2021年の1月には初めてコレクショントライアルに参加した。「取手のコレクショントライアルは自分が競走得点一番下でしたし、とにかくみんなが強かったです。その中でも太田美穂ちゃんの走りは勉強になりました。一般戦を一緒の時期に走っていましたし、向日町の初優勝のとき美穂ちゃんは落車をしていたのに、この取手では果敢に逃げて2着に。たくさん刺激をもらいましたね」
豊岡への追い風は止まらない。東京五輪使用のフレーム(TS9)の登場だ。2021年9月の豊橋から使い始めた豊岡は、競走得点をグングンと上昇させ、ついには2022年1月のいわき平で2回目の優勝をつかみとった。先行する篠崎新純の後ろから番手まくりを打ち、梅川風子、荒牧聖未といった強敵を振り切る、内容タップリの1着だった。
「いわき平の優勝はたまたまだと思います。風が強かったですし、無我夢中で踏んでいたら、勝っちゃったって感じ。でも、決定放送を聞いて“ああ優勝できたんだな”ってうれしさがこみ上げてきて。ファンの人からも“おめでとう”と声を掛けてくれて。携帯にも“おめでとう”メールがいっぱい届いてて。うれしくてグッときましたね(笑)」
この優勝はガールズケイリン最年長優勝として記録に残るものだった。
今年8月で42歳になるが、豊岡の進化はとどまることを知らない。年々強くなっている。
「練習環境に恵まれていると思います。大阪支部の選手から“せっかく毎日練習をしているんだし、力を出し切らないと”と言われてますし、自分もそう思う。年齢を感じることは全くありません。タイムも出ています。限界は自分で決めるもの。まだまだやりますよ。やっぱり1回は競輪祭(グランプリトライアル)に出てみたい。今年は賞金を積み上げて、競輪祭にいけるように頑張りたいです!」
ガールズケイリンに年齢なんて関係はない。豊岡の話を聞いていてそう思った。好きなことを仕事にしているからか、とにかく元気いっぱいだ。「仕掛けて負けたらしゃーない」と気持ちよく話してくれる豊岡の優勝を、これからもたくさん見ていきたい。
松本直
千葉県出身。2008年日刊プロスポーツ新聞社に入社。競輪専門紙「赤競」の記者となり、主に京王閣開催を担当。2014年からデイリースポーツへ。現在は関東、南関東を主戦場に現場を徹底取材し、選手の魅力とともに競輪の面白さを発信し続けている。