2020/08/27 (木) 18:27
遂にメダリストが初勝利を挙げた。2018年平昌冬季五輪フリースタイルスキー男子モーグルで、銅メダルに輝いた原大智(宮城117期)だ。新人シリーズを含めて13走目。待ちに待った勝利の瞬間はF2いわき平競輪(8/15〜17)の2日目、第1レースのチャレンジ一般戦だった。最終ホーム前からスピードを上げ、そのまま逃げ切り。いわき平バンク(最後の直線が長い)だったので、果たして保つのか?そう思われたが、最後までスピードは衰えなかった。
翌日のスポーツ紙の扱いは大小それぞれ。写真入りで大きく扱っているところもあり、簡単に触れる程度のところもあった。ただ、五輪のメダリストということを考えるとなると、もっと大きくテレビのニュースなどでも大々的に報じて貰いたかった。デビュー戦の時は多くのマスコミが集まり、夜のスポーツニュースでも取り上げられていたのだから。
初勝利に続いて、最終日は3番手の位置で、最終3コーナーからの捲り。ややスピード感には欠けていたが、それでも、力でねじ伏せた印象だった。
この2日間のレースを観て、原の成長を感じた。2日目は一旦、動く素振りを見せ、先頭を走る選手にプレッシャーを与えた。最終日は2番手で粘るような感じになり、最終的には3番手を確保した。レースを待つのではなく、自らレースを動かしているように思えたのだ。
競輪は個々の力だけでは勝てない。ラインの力に加え、対戦相手に対して、いかにプレッシャーを与えるかも重要な要素だ。少しではあるが、そのことが分かってきたのではないだろうか。
他競技から競輪に転向(原はモーグルで2022年北京五輪を目指すため、転向ではない)した選手について触れたい。原が受験した『特別選抜試験』の適用第1号は1998年長野冬季五輪スピードスケート男子ショートトラック500mで銅メダルの植松仁(岐阜86期・引退)だ。この時の金メダルは西谷岳文(京都93期)だが、西谷は競技を続け、競輪に転向した時は特別枠ではない。植松はS級に上がったが、目立った活躍はできなかった。
次に思い浮かぶのは2002年ソルトレークシティー冬季五輪スピードスケート男子500mで8位の武田豊樹(茨城88期)だろう。この時、武田は清水宏保らを抑え、金メダルの有力な候補だった。五輪後、ワールドカップを転戦しながら願書を提出。デビューしてからの活躍は言うまでもないだろう。尚、前述の西谷もそれなりの結果を残している。
松谷秀幸(神奈川96期)は元プロ野球選手。ヤクルトスワローズからドラフト3位指名を受けてプロ野球の世界へ飛び込んだ。期待されながらも右肘を痛め、手術も数回に及び、残念なことに花開かず。そして、第二の人生を競輪に懸け、現在はトップレーサーとして頑張っている。競輪界にプロ野球出身者は多いが、松谷クラスの活躍をしている選手はいない。S級には在籍していても、グレードレースで名前を聞くことはあまりない現状だ。
「競輪がこんなにキツイとは思ってもみなかった」
そのように漏らすプロ野球出身の選手もいる。
ガールズケイリンではビーチバレーの尾崎睦(神奈川108期)や、アルペンスキーの奥井迪(東京106期)、石井貴子(千葉106期)が有名。それでも、世界レベルとは言い難く、このあたりが男子とは違うところか。
話題を原に戻そう。彼は現在、モーグルの強化指定選手になっており、7月からはモーグルの練習も再開したようだ。あくまでも北京五輪が目標なのだが、せっかく2勝したのだから本音を言えば、競輪に専念していただきたい。ただ、2勝とは言っても、いわゆる『敗者戦』。コンスタントに決勝に名を連ねて欲しいものである。原が競輪で活躍することは業界の発展に繋がる一片であると、筆者は信じている。そのためにもマスコミはもっと原を追い掛けるべきではないだろうか。
岩井範一
Perfecta Naviの競輪ライター